「点と線」(11/24,25 テレビ朝日)

「見た?『点と線』」
「見たけど……」
「あれ、微妙な顔してるな。好きだったじゃない、『点と線』。君がビートたけしを好きというのはよく覚えてる。ひところ喋り方まで影響受けていたしね」
「そうなんだけど、あれが高視聴率というのはどうかと思ってさ」
「どういうこと?」
「ビートたけしって人は役者としての抽斗が多いタイプではないでしょ。何をやってもビートたけし、何をやっても木村拓哉、何をやっても福山雅治…」
「…おっと、どさくさ紛れに、よその悪口言ってないか?炎上するぞ、ここ」
「いや、タイプの分類としての話さ。たいてい主役しかやってないんだよね。主役じゃない場合も主役を食っちゃって、もはや脇役とは呼べないような役柄ばかり。これは演技力というより、個性の強さでしょ。たけしは狂気、異常性を持った役を演じるととても迫力があるけど、逆に言えばそれしか無いわけ」
「うーん、そういえば…」
「5年前にやはりテレビ朝日で松本清張『張込み』をドラマ化した時にも、ビートたけし演じる刑事が異常な迫力で犯人を追い詰めた挙句、射殺されてしまうという原作には無い結末になってるのよ」
「そうだったね」
「普通に追えば普通に逮捕出来るのに、何故追い詰める?追い詰められれば犯人だって暴発もするさ。アホだよ、それじゃ。たけしにこんなアホをやらせたのは誰だと言いたくなったなあ」
「監督か、脚本家か、プロデューサーなのか…」
「テレビ朝日にはそういう“前科”があるから今回も心配してたんだよ。やたらと前宣伝に力が入ってたけど、あの局の場合は力が入れば入るほど珍妙なものを作ってしまう傾向があるしさ…。で、心配が的中したみたい」
「開局50周年記念なんだって。でも、どういう風に珍妙だったの」
「原作では主役は鳥飼重太郎じゃなくて、三原紀一なんだよね。そもそも二人は一回しか会ってない」
「まあ、原作通りにやるとは限らないんじゃないの」
「それにしたって、職場放棄して勝手に夜行列車で東京に来ちゃうってのは強引過ぎるよ。そんな奴があの年齢まで警察という官僚組織に勤められたとは思えない」
「上下関係が厳しそうな役所だよね。だから元軍人という新しい設定にしたのかな」
「軍人ならますます単独行動は軍法会議ものだよ。それによその職場である警視庁に来て、怒鳴りあうわ、挙句につかみ合いの喧嘩までおっぱじめるなんて、もはや頭のネジが緩んだオッサンにしか見えないぞ」
「喧嘩したあと仲良くなるってのはテレビドラマの定番だよな」
「青春学園ドラマじゃないんだから『点と線』では必要無いでしょ、そのパターン。何でも定番やらないと気が済まないのは演出家の思考停止だよ」
「実際の大人の喧嘩はもっと陰湿かもね…」
「ビートたけしという大物を使うから取り敢えず主役にする。主役にするから個性を出させよう。たけしの個性は凄みと狂気だろうということで、結局、あんなおかしな役柄になっちゃうんだよ。もう悪循環だね。たとえば鳥飼刑事を原作通りの抑制の利いた人物にしても、たけしの凄みは滲み出てくると思うんだけどさ」
「“秘すれば花”とも言うしね」
「鳥飼の戦争体験、あれ必要かね?別の話だろうに。それに鳥飼の娘やおときの母やら、悪徳政治家やらサイドストーリーをてんこ盛りにした挙句、本筋のストーリーが訳分かんなくなってたでしょ。5時間も必要無くて半分で済むのに、時間が余ったもんで色々と厚化粧させちゃったんだね」
「セットやCGや配役には随分お金かけたみたいだけど、演出まではお金が回らなかったのかな」
「脚本や演出のお金をケチったわけじゃないでしょ。むしろお金貰って張り切ったら厚化粧になっちゃったわけだからセンスの問題。ところで、君はあのドラマをどう見たの?」
「最初、ミステリーだと思って見てたんだよ」
「ミステリー…でしょ」
「そしたら、一向に謎が解決しないじゃん。あ、これSFだったんだって」
「SF?」
「例の東京駅の4分間のトリックの場面だけど、昭和32年にはまだブルートレインって無いんだよね。青い車体の寝台車が登場したのは翌年の33年からなんだよ」
「そっちかよ。撮影に使える古い車両が無かったんだろ」
「それだけじゃないよ。あの場面の横須賀線や東海道線の車両の側面に方向幕があったでしょ」
「『小田原』『横須賀』とか幕が回転するやつね」
「あれが一般化したのは昭和50年代以降だぜ。昭和32年なら行き先を書いたサボという金属板を電車の側面につけるのが普通だね。ちょっと調べれば分かるのに、敢えてああしたということは、あれはこの世の列車ではないということを意味してるんだよ。全てまぼろしの列車なんだよ」
「おいおい、それでSFかよ…」
「まだあるよ。おときの遺品を整理している場面で、一番上にある本は有吉佐和子の『恍惚の人』なんだ。あれが出たのは昭和47年で、15年も先のことなんだぜ」
「アンタどこ見てるんだよ」
「つまり、おときは未来から来たタイムトラベラーだったわけさ。“とき”なんていかにもな名前だし。でも、未来人の癖に自分が殺されちゃうことすら分からないとか、どんだけ間抜けなんだよ」
「未来人なら逃げられそうだけどね。しかし、『点と線』がSF扱いされるとはなあ」
「タイムマシンがあったら、清張先生が怒りに来るね」
「だからSFじゃないっての」
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# by funatoku | 2007-11-28 17:59 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(0)

こまつ座第83回公演「円生と志ん生」(11/3 所沢ミューズマーキーホール)

 古今亭志ん生と三遊亭円生は昭和20年5月、戦火に焼かれた東京を後にして満州へ慰問に出発します。2ヶ月程度の巡業のつもりで出かけたものの、戦況の悪化により帰国出来なくなり、更に終戦によって混乱した大連に留まらざるを得なくなりました。そして、昭和22年の春に帰国するまで辛酸を嘗めたのです。

 渡航した時点で志ん生55歳、円生45歳。志ん生は芸人としては遅咲きで、芸は評価されていたものの酒や博打による不行跡が祟って、ようやく人気が広まったのは五十代に入ってからのことといいます。一方の円生は少年時代から舞台に上がっていた二世落語家で志ん生より芸歴は長いのですが、こちらもなかなか人気に恵まれませんでした。戦後、名人の座に上り詰める二人ですが、この時点では志ん生だけが名人見習程度のポジションであり、円生はまだ数多い中堅の一人と言って良いでしょう。こうした二人が2年近く異国の地で苦労を共にした訳です。

 私はこの話で思い出すのはゴッホとゴーギャンのことなのです。ゴッホとゴーギャンという二人の天才画家は1888年に共同生活を試みますが、わずか二ヶ月でゴッホの「耳そぎ事件」によって破綻してしまいました。果たして、落語界の天才二人が心ならずも始めた共同生活は如何なるものだったのか?原作者の井上ひさし氏ならずとも想像が膨らむところでしょう。
 こちらの組み合わせでは年上の志ん生が破天荒な性格で、年下の円生がそれに比べれば常識的な性格なので、直接ぶつかり合うということは無かったようです。ただ、円生は金が入ると酒ばかり飲んでいた志ん生に困っていたのは確かなようで、渋滞のために私が10分遅れて入場した舞台では、そうした場面になっていました。二人は旅館を追い出されて、遊郭に居候するなど苦労をしながらも、それによって落語の新しいクスグリを考えたりしています。このあたりは落語ファンにとっては興味深いものがあります。休憩時間には同行者に「火焔太鼓」のストーリーを説明することになりましたが(笑)。

 後半、円生は“現地妻”と結婚することになります。これは自伝でも語られているのですが、小唄の師匠と同居することになって、志ん生との同居を解消するのです。これから帰国するまでの二人の生活には謎の部分が多いのですが、この芝居では円生は羽生座という芝居の一座に加入し、志ん生は修道院の炊き出しなどで食いつなぐという設定になっています。どうやら円生に関しては事実のようであり、志ん生の方は孤児院に預けられた井上氏の経験を投影したものと見て良いかもしれません。聖書の言葉と落語の言葉を取り違えるというギャグは井上氏の人生観そのものが現われており、笑いつつも考えさせられるものがありました。
 芝居は一足先に志ん生が引き上げ船で帰国するところで終わります。後日談になりますが、志ん生の帰国は熱烈に歓迎され、昭和36年に脳梗塞で倒れるまで天下の名人として落語界のトップに立ちます。一方の円生も着実に名人への道を歩んで、昭和54年に79歳で亡くなる直前までその芸は進化し続けました。

 私が引っかかったのは二人の呼び方です。この芝居では志ん生→円生「松ちゃん(円生の本名は山崎松尾)」、円生→志ん生「兄さん」と呼んでいます。しかし、落語界では年齢に拘わらず、芸歴が長い者が先輩ということになります。7歳から高座に上がっていた円生には「芸歴は自分の方が上」という意識は常にあったでしょう。現に円生の著作にはお互いに「君」と呼んでいたような記述があります。実年齢や芸の上ではともかく、芸界の序列として円生には自分が後輩という意識は余り無かったでしょうから、後輩から先輩への呼びかけ方である「兄さん」を使っていたのかは疑問が残るところです(これについては落語関係者のどなたかが証言しているかも知れません)。
 調査魔である井上ひさし氏がそのことを知らなかった筈はなくて、2時間半の舞台劇の中で二人の立ち位置を明確にするために、このような設定にしたのでしょう。しかし、落語ファンとしては、もう少しこの二人の微妙な“上下関係”を出してもまた別の深みが出たのではないかと想像してしまいますね。

 角野卓造(志ん生)と辻萬長(円生)の掛け合いはとても楽しいものでした。実年齢は辻さんの方が4歳年上なんですね。脚本は未読なのですが、読んだ上でもう一度この芝居を見たいとも思っています。(11/14~12/2 新宿紀伊国屋サザンシアターにて上演)
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# by funatoku | 2007-11-06 20:47 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(0)

立川志らく「第21回志らく百席」(11/1 横浜にぎわい座)

立川らく里「転失気」  立川ブラック門下で「ブラ汁」だったが、志らく門下に移籍して「らくB」。今年二つ目に昇進して改名。「前の名前が強烈で、今の名前を覚えて頂けない」。そりゃ、ごもっとも。

 マクラでオナラの話題をふってから本題へ。昔、寄席で最初にこの噺に当った時、私は「転失気=オナラ」と分からずに聴いていましたが、最近はマクラでヒントを与えておくものなのですかね。既に知っている現在でも、言わない方が緊迫感が出て面白くなるような気がするんですが、客層によっては予め言った方が良いのかも知れません。
サゲは「悪いことをしおって」「屁みたいなものだと…」

立川志らく「強情灸」  志らく師匠を見るのは7月の同期会以来で、私としては随分間が開いてしまったのですが、芝居の頃から痩せたままのようです。しかし、左腕が痺れているのだそうで、忙しいし余り体調は良くないそうです。
 今度、林家三平を継ぐことになった後輩の林家いっ平に、かつて「こぶ平を継げば?」と言ったら「いや、それは…」。「これで、三平とか小さんとか呼びつけに出来るわけです。あ、小さんは違いますけど」。根岸の三平宅に呼ばれた時に、うっかり(?)正蔵(こぶ平)の十八番(?)「子別れ」を演ってしまった。そうしたら打ち上げで三平一門の後援会の人が、「子別れでこんなに泣いたり笑ったりしたのは初めてだ」と話しかけてきて、それを海老名香葉子さんに聞かれてしまった(笑)。「それにしても、三平一門は酒の席で駄洒落を言うんですね。鴨鍋食べながら“カモンベイビー”なんて言ってる。立川流の打ち上げでそんなこと言ったら大変です」
 三笑亭夢之助師匠と手話通訳の問題に触れて「新聞に“天災”という大ネタと書いてありましたが、私なら18分です」そりゃそうですな。でもあれが「天災」だったとは知らなかったですね。志らく師匠も以前、打ち合わせで手話通訳をつけると言われたことがあるそうで、「絶対追いつけませんよ」と答えたのに「大丈夫です」というので当日見ていたら、案の定通訳が師匠の早口についていけずに慌てていた。通訳が「禁酒番屋」の「小便屋」をどう表現するのかと思ったら、股間に手を持っていったりして不思議な手振りになっていた(笑)。
 「赤福」は賞味期限切れでも大丈夫と何十年もかけて証明した。亀田兄弟坊主にしたら区別がつかない。「チャンピオン内藤選手はもう終わりですね。あんなガンジーみたいな顔をした人を誰も殴れませんよ」「でも、亀田父はまるで談志一門を見ているようでちょっと親近感があるんです」。立川流は立川談志を尊師とする宗教団体のようなもので、「私が上祐、志の輔兄さんが青山弁護士で、談春兄さんが早川被告(笑)」とすると、4人とも好きな私のようなファンはオウムシスターズか?(んなわけない)

 五代目柳家小さん師匠の「強情灸」は大して動いてないのに面白かった。「動き回る(春風亭)昇太兄さんや私は何なんだろう」などと振って本題へ。熱い風呂に入って我慢する江戸っ子という前フリの時点で、既に真っ赤になってハイテンション。エクソシストのような顔で熱い風呂に漬かっていますね。このテンションのまま灸の話に入る疾走感が心地良い。
アルマジロのように寝ている。皇居の周りをマラソン。焼夷弾。ロサンゼルスの山火事。(灸の形が)アイスクリーム。雲仙普賢岳のような火、「石川や浜の真砂は尽きぬども我泣き濡れて蟹と戯る」といった現代的なくすぐりと、江戸っ子の痩せ我慢に違和感がありません。サゲは「五右衛門はさぞ熱かったろう」

立川志らく「野晒し」  証人喚問を受けた守屋前防衛事務次官。「調べてもらったら、防衛省の規定では業者とのゴルフはダメなんですが、野球やサッカーはいいんです。こちらの方がよっぽど仲間意識が膨らみそうですが」。ゲームは人間をダメにする。朝、出かける時に奥さんがゲームをしていて、岩手で仕事をして深夜に帰ってきたら、まだやっていた。そう言う師匠も自分が登場人物になれる「ゴッドファーザーゲーム」に夢中になってしまった。「落語家ゲームというのがあればいいですね。上納金のある立川流には入門しないとか…」
 馬鹿番付。西の横綱は大食いで、東の横綱が鳩山邦夫法相(笑)。「ではなくて、釣り好き」「友人の友人はアルカイダって…、何しろ立川談志は友人が山口組幹部ですから。その人は私が会った一月後にフィリピンの海で死体になって浮いていました(笑)」

 「野晒し」は好きな噺なのですが、志らく師匠のはやはり速い。隠居と八公の会話場面からして「屍?あのピンサロの多い」「それは赤羽」、「人骨?昔の天皇」「それは仁徳」などとギャグの応酬。「ゴ~ン」という鐘の音まで「まるで一龍斎貞水先生のよう」。
「生きていても化け物みたいな女もいるんだから」化け物女でも構わない、と八公は野晒しを探しに釣りに出かける。このあたりのテンションの高い浮かれっぷりは志らく師匠の得意な世界。川辺の釣り人たちを見ての「スケベが揃ってんな」というセリフが可笑しくて仕方がない。釣りを始めても「(林家)こん平か」「世界の小沢(征爾)か」という賑やかさ。
 途中で終わることが多い「野晒し」ですが、このスピードなら八公は帰宅できます。八公が供養した野晒しは牛と馬だったというサゲなんですが、サゲはちょっと微妙…。

立川志らく「ちきり伊勢屋」  中入り後、「ただ今、8回で1-0で中日が勝っていまして」と嬉しそうに登場。志らく師匠は30年以上の中日ファンで、「長い噺なので上下に分けて、途中で楽屋に戻ろうかと」。「ちきり伊勢屋」は私は初めて聴く噺。「そのまま映画になりそうなので、キャスティングを想像しながらお聞きください」とのこと。

【駅前シリーズ】バージョン
伊勢屋伝二郎 フランキー堺
白井左近   森繁久弥
伊勢屋番頭  伴淳三郎
幇間一八   三木のり平
近所の商家主人 山茶花究
その手代   小林桂樹
長屋の大家  加東大介
質屋の内儀  淡島千景
質屋の娘   大空真弓
特別ゲスト(伊之助) 立川談志
【寅さん】バージョン
伊勢屋伝二郎 渥美清
白井左近   森川信
伊勢屋番頭  松村達雄
幇間一八   太宰久雄
近所の商家主人 笠智衆
手代     佐藤蛾次郎
長屋の大家  下条正巳
質屋の内儀  浅丘ルリ子
質屋の娘   倍賞千恵子
特別ゲスト(伊之助) 立川談志

 必ず当たると評判の易者の白井左近に来年二月に死ぬと言われた伊勢屋の主人伝二郎。亡き父の強引な金儲けの因果が回ってきたので、「残りの人生で施しをすれば、来世では浮かばれる」と左近に言われ、伝二郎は困った人たちに金を施して回る。最後にドンチャン騒ぎで自分の葬式をあげて、死ぬのを待ったが何故か死なない。大金を全て使い果たした伝二郎が困っていると、禁じられていた死相を見てしまったために落魄した白井左近に再会する。左近は伝二郎の死相が消えていて、八十まで生きると告げる。首吊りをしようとしていた母子を助けたので、運命が変わったのだ。左近に言われたように品川に向かい、旧友伊之助と駕籠屋を始めたが、やがて助けた母子と再会し、娘と結婚して伊勢屋を再興するという一席。志らく師匠の著書によれば、「落語的な見せ場である自分の葬式の場面を強調して演じるべき」とのこと。

 正直なところ前半部分では伝二郎の人間性が、もう一つよく伝わってきません。つまり、伝二郎本人は悪徳商人ではないので、「改心」して施しを始めるというわけではないのですね。一貫して商家のボンボンとしての行動であって、ここにはさほどの落差はありません。どうなるのかと思っていたら、後半一文無しになってからの伝二郎は途端に活き活きとし始めます。再会した左近に怒ったり、金も無いのに長命を宣告されて戸惑ったり、馴れない駕籠屋を始めたりとまるで体温が伝わってくるようです。ですから、聞く側としては母子との再会シーンに「良かったなあ」と思い入れ出来るわけです。
 再び成功した伝二郎が左近に「奇想天外の人生ですね」「いや、人相点眼鏡の人生です」というサゲ。
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# by funatoku | 2007-11-02 19:01 | 落語 | Trackback | Comments(0)

落語教育委員会 柳家喜多八・三遊亭歌武蔵・柳家喬太郎三人会(11/28 中野zero小ホール)

(mixi日記から転載)
「落語教育委員会」は何度か続いているようだけど、私は初めて。

コント 喬太郎(医者)、患者(歌武蔵)、看護婦(喜多八)。この手のコントは喬太郎師の独擅場。そういえば、喬太郎師は若い頃に欽ちゃんファミリーの一員だったのですが、ツッコミやアドリブに“欽ちゃんの遺伝子”を感じるのは穿ち過ぎですかね。それも「コント55号」の頃の。
喬太郎「(喜多八に)院長、病院で(携帯)電話は控えてください」というオチ。

三遊亭歌彦「反対俥」 慌て者の人力車夫に振り回される噺。人によってオリジナルのくすぐりを入れたり、行き先を変えたりして変化をつけやすいネタ。前半で病人の俥に乗ってしまい、後半では郡山まで連れて行かれてしまう構成。上野駅まで戻ってきて、「何とか汽車に間に合った」「で、どちらまで?」「郡山だ」
全編膝立ちになって車屋を演じるので、「体重を落とさないとやりにくい噺」と書いていたのは喬太郎師でしたが、歌彦さんも途中で「10キロ落とさないと…」

柳家喬太郎「禁酒番屋」 まず、母校日大商学部のホームカミングデイに行って、「時そば」を演じた話、一人カラオケで最後に日大校歌を歌う話、昨日は武蔵小山で「子別れ」を演ったら後から友人にダメ出しを貰った話などの近況。近況報告風のマクラを続けて聴いたけど、こういうのは勢いとセンスの無い人がやると目も当てられないことになります。
禁酒令が出ている藩で、何とか番屋を通ろうとする酒屋と、その酒を巻き上げてしまおうとする役人というコントの王道のような設定。喬太郎師のコメディアンぶりが大いに発揮されます。菓子屋に化けた酒屋が包みを「どっこいしょ」と持ち上げたために酒とバレるのは五代目柳家小さんの演出だそうです。同行したマイミクたけちよさんによれば、酒屋が最後に「植木屋」を名乗る演出を見たそうですが、それだとやや品は良くなるけどサゲの馬鹿馬鹿しさが半減しますね。喬太郎師は「小便屋」と名乗ってましたが、上方では大便まで登場するサゲがあるそうです。そりゃちょっとやり過ぎ(笑)。
 たけちよ氏は終わってから「酒を飲みたくなりましたねえ」と言いましたが、これは意見の分かれるところでしょう(笑)。「小便屋」の場面で「これ以上やると、お客さんが帰りに飲めなくなる」と喬太郎師も途中で仰ってましたしね。

三遊亭歌武蔵「煙草の火」 「ただいまの協議についてご説明します」とお馴染みの第一声。「この半年、相撲ネタには事欠かなくて(笑)」、武蔵川部屋出身の歌武蔵師のところにも取材が来たそうです。贔屓筋のことを相撲界では谷町、役者は花(文字を分けるとヒイキになる)、落語家はお旦と呼ぶといったマクラを振ってから本題へ。上方ではポピュラーな噺らしいのですが、私は辛うじて題目を知っていた程度。
柳橋万八という料亭で豪遊した謎の老人の正体は、豪商奈良屋茂左衛門の兄だったという噺なのですが、巨体の主で朴訥な感じの歌武蔵師は豪遊ぶりに嫌味が無くて後味良くまとまりました。

柳家喜多八「宮戸川」 例によって“無気力”に登場。最初のコントを「どうせ私は立ってるだけで」なんて仰りますが、この師匠は立ってるだけでもオイシイところをもっていってる気もします(笑)。珍しく恋愛の噺を、と本題へ。
喜多八師は“ダウナー系”とでもいうべき脱力した芸風で、段々と近年の師匠小三治に似てきたような…。「宮戸川」のような色っぽい噺を、こういう人で聴くのはミスマッチの面白さがあります。サゲは「なれそめの一席で」。
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# by funatoku | 2007-11-02 18:26 | 落語 | Trackback | Comments(0)