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「黒談春ってどういう意味?」と頭に?マークを点滅させつつ紀伊国屋ホールへ。「黒談春」「白談春」という独演会をシリーズでやっているのは知っていたのですが、来るのは初めてだったのです。
立川談春「宿屋の仇討ち」 平日昼の独演会というちょっと珍しい時間帯のせいか、客席を見渡して「狙った通りの大人の客層で」などらしくないことを言う。競艇の旅打ちで釧路に行ったら、所持金が600円になってしまい、そのまま飛行機で帰ろうと思ったら天候不順で飛行機が止まってしまった話。夫婦で1泊3万円の温泉旅館に泊まった話。露天風呂に入っていたら、黒人の子供が海水パンツを穿いたまま入ってきたので叱った。あとから続いて二人は入ってくるので、どういう親かと思ったら本物のロバート・デニーロだった。デニーロに「ヘイ!ミスター」と呼びかけて露天風呂は100%源泉であることを英語で伝えようとしたが、「百が日本語だということが分からなくなっているんですね」。部屋に帰って奥さんに話したら「営業だったのね」。誰に話してもどうせそっくりさんだろうと信じてくれないが、廊下で戸田奈津子さんとすれ違ったから本物に間違いない…。 談春師というと、つい上手さを強調してしまいがちで、なかなか文章では伝えにくいのですが、マクラの面白さはピカ一です。理知的な部分と馬鹿馬鹿しい部分のバランスが良くて、かつタイミングが絶品。 「宿屋の仇討ち」は東海道神奈川宿が舞台。前夜は小田原の宿でうるさくて眠れなかったので、静かな部屋に泊めてくれという侍が来る。ところが、この隣室に江戸っ子三人組が泊まって芸者をあげてドンチャン騒ぎ、相撲をとり始めたり、夜話でのろけ話を始める始末。困り果てた侍は江戸っ子たちののろけ話を逆手に取って一計を案じる…という噺。 江戸っ子たちの浮かれっぷりと、隣の侍が怒っていると聞かされた時の間の良さ。「二本差しが恐ろしいのかい」「恐ろしくはないが怖いじゃねえか」。侍が「伊八!」と宿の者を呼ぶタイミングも素晴らしい。縛り付けられた三人を伊八が「仇討ちしなくてももうすぐ死にそうですよ」。談春師はこういうドタバタ喜劇も実に間が良くて1時間笑い通しでした。 立川談春「札所の霊験」 この「黒談春」は他では出来ないネタ下ろしをやるのだそうで、故三遊亭円生師匠は自分の独演会のお客様には我が儘をさせて頂くという考えから珍しい演目をかけたといいますが、「黒談春」は円生流の実験をする会らしいです。だからというわけではないでしょうが、この「札所の霊験」は円生師の「円生百席」という音源はあるものの三遊亭円朝作のかなり珍しい噺。 越後榊原藩の水司又市という下級武士が湯島の岡場所の小増という花魁に惚れて通いつめるが、無粋な田舎侍で相手にされず、挙句の果てに暴れ始める。仲裁に入った水司の上役の息子の中根善之進が小増と深い仲と知って逆恨みし、待ち伏せして切り殺して逐電する。やがて年季が明けた小増は七兵衛という商人の後添いになるが、二度の火災に遭って没落してしまい、知人を頼って越中国高岡に流れ着く。ここで夫婦に金を貸してくれた永禅という和尚は実は水司又市で小増と段々深い仲になる。そのことを知った七兵衛は永禅をゆすりにかかるが、逆に斬り殺されてしまう…。 登場人物の誰にも感情移入出来ないこと甚だしいです。田舎侍は思い込みの激しいストーカーだし、花魁は図に乗って悪態ついたりする性悪。中根は格好つけるが実が無く、没落した七兵衛も根性がさもしくなっています。この噺は因果応報がメインテーマのようで、この後で床下に隠した七兵衛の死体が発見されて、永禅の悪事が露見することになります。 途中で笑える部分は殆んどありませんし、元はとても長い噺なので続き物というスタイルで出来ない現代では演じられなくなったのも無理はありませんね。確かに迫力はあるので演者に問題があったわけではなくて、談春師の力量をもってしても1回だけで現代にフィットさせることは難しい噺ということだと思います。談春ファンの私も正直なところ70分が長く感じられました。終演後に幕を上げて、「お互い大人なんですから、黙って帰ってください」とは洒落でしょうけど(笑)。 「青空文庫」に原作がありました。今回は1~4、15~18を繋げた形での上演でした。このチョイスだとストーリーは進むものの、テーマが見えにくくなってしまったきらいがあります。人情噺と分類されているようですが、原作とざっと見比べると人情噺としても怪談噺としてもやや輪郭がぼけたように感じられるのですね。 柳家ごん坊「動物園」
失業した男が動物園のバイトに雇われて、ライオンの着ぐるみで檻の中でライオンのふりをしていたら、トラと戦わされそうになって慌てる。しかし、トラが近寄ってきて耳元で「心配するな、俺も雇われた」。寄席の浅い出番でたまに聞くものの、東京のホール落語で前座がやるのはちょっと珍しいかも。明治末期に大阪で出来た新作だそうで、そういえば10年くらい前に大阪の小さな落語会でも聞いた記憶があります。 林家たい平「愛宕山」 「今日、2月8日は楽太郎師匠の誕生日」とまずは笑点ネタ。この日は場内の平均年齢が結構高めで、「笑点」ファンが多いのかも。この 「天下たい平」は普通は日曜昼にやっているのだけれど、今回は金曜夜に開催し、過去にここでネタ下ろしをした分から二席。 自宅で豆撒きをしようとしたら奥さんに止められて、仕方なくレジ袋の中に向かって豆を投げ入れた(笑)。ギャラは出ないが蟹を食べさせると言われて山代温泉に行ったら、他の人が蟹を食べている間に落語をやらされた。などとマクラを振ってから本題へ。 たい平師演じる幇間の一八の印象を一言で言えば「ダメ人間」(笑)。何しろ酒席で客より酔っ払っているし、小狡さや計算高さは余り感じさせないお調子者。旦那に連れて行かれての山登りの場面の、息の演じ方が実に絶妙。歌を歌って勢いをつけようとするも、「歌と足が合わないね」というあたりは爆笑しました。 旦那のキャラクター設定は微妙に意地悪。鷹揚に見えるものの、幇間への酷薄さがチラチラと出ていて、この辺の対比がストーリー全体に心地よい緊張感をもたらしている感じです。崖上でためらう一八の背中を小僧に押させておいて、「俺はお前に指示しただけだよ」と「まるで時津風親方」などというブラックな時事ネタも(笑)。 旦那がばら撒いた小判を求めて崖から飛び降りたりする一八の必死さを、たい平師は表情豊かに演じていました。この一席は表情の比重が大きい印象でしたね。 太田家元九郎(三味線漫談) 見るのは久しぶりかも。お変わりなくて何より。 林家たい平「幾代餅」 TBSが取材に来た。落語家とは縁の深い局なのに何故自分にと思ったら、長老たちには訊き難い件だった。王監督の娘・王理恵が婚約者の蕎麦を食べる音が気になるといって破談になりそうな件で、落語での蕎麦を食べる音の仕草を実演させられた。うどんと蕎麦の違いなどをやってみせると、「ではカレーうどんでは?」「木久蔵ラーメンでは?」(笑)。そして問題の「オクラトロロ納豆蕎麦」をズルっと食べてみせて、「それじゃ排水口です」。 「幾代餅」は「紺屋高尾」の同工異曲。浮世絵を見ただけで、恋の病で寝込んでしまうということ自体が現代では現実離れしていて、二次元に萌えるアニメおたくだって寝込んだりはしませんからね。ですから、私はこの噺をあまりまともにハッピーエンドまで演られるのはちょっと苦手で、立川談春師匠のように思い切った人物造型と緻密な心理描写という現代的リアリズムでゆくか、或いは思い切ってファンタジーとして楽しく演じて欲しいところです。 たい平師はどうやら後者を選んだようで、寝込む清蔵に「餃子でも食べたのかい」と時事ネタで笑いを交えつつ進めます。そして、吉原に着いてからの描写は更にテンポアップしてとても簡潔で、帰ってから幾代を迎えるエンディングまでも実に快調に進みました。この噺にしっとりとした廓噺の風情を求める人にはちょっと物足らない演出かも知れませんが、上述の通り私はたい平師匠の演出を支持したいと思います。
昨年、二代目林家木久蔵を襲名したと思ったら、今度は二代目林家三平襲名だそうです。本来「襲名披露」というのは大名跡で行なうものでしょうが、林家木久蔵も林家三平も元々は前座の名前でした。ところが初代が若くして有名になったために、大きな名跡に改名しなかったのです。
伝統芸能の場合、名前とともに型を継承するという部分もあるわけですが、三平も木久蔵も型破りな個性で売った人ですから、芸を継承するのは息子とはいえなかなか難しいのではないかと思います。そういうマイナス面を差し引いても初代の知名度を継ぐだけのメリットがあるでしょうが、知らん間に意外なところで“二代目襲名”が粛々と進行していたのです。それがこの徳光正行。 徳光和夫の次男で1971年生まれ。中学時代にプロレスラーを目指したが、三浪ののち日大芸術学部音楽学科に入学。卒業後はロック歌手を目指すも、2001年に父の病気を機にタレント活動に転身。何だ?この経歴(笑)。見事なまでに一貫したドラ息子路線には感心しますが、2006年にテレビ東京「レディス4」の司会者に抜擢されます。 「レディス4」はテレビショッピング番組の嚆矢とも言える長寿番組で、前身の「リビング4」(当時はフジテレビ)は1971年に始まっています。高崎一郎のキザで軽妙な司会ぶりが私は当時から結構好きでした。番組冒頭でやたら流暢な英語で番組名を言うのが、当時のテレビでは類が無くて面白かったのです。 高崎一郎といえば「オールナイトニッポン」初代パーソナリティとしても有名で、日本にアメリカのDJスタイルを持ち込んだ先駆者でもあるのですが、「リビング4」は三越の岡田茂(当時専務。のちに社長を解任されて有名になりますね)がアメリカ流のテレビショッピング番組を日本に定着させるために、アメリカの放送業界に詳しい高崎氏と組んで始めたのだそうです。また、高崎氏がニッポン放送在籍時に当時の社長に音楽ビジネスの将来性を説いて、ポニーキャニオンが設立されたのだそうで、日本の放送史に残る人物と言えます。 83年にテレビ東京に移って「レディス4」と名前を変えてからも、高崎氏は長く司会を務めてきましたが、2003年2月に体調不良のため降板し、二代目司会者には俳優の柴俊夫が就きました。洗練された前任者に比べて無骨な感じの柴の起用は意外性がありましたが、2006年10月に三代目司会者の女優・大島さと子と交替し、この時にサブ司会という形で徳光正行が起用されたのです。ふぅ、やっと本題に戻った。 サブ司会やアシスタントというのは、メイン司会者に合いの手を入れたり、コーナー名を言ったり、告知を読み上げたりするもので、若手女子アナなどが担当することが多いのですが、徳光正行は見事なまでに何もしません。せいぜい笑って頷いている程度。或いは商品を試食して頷いているとか。「オールナイト・フジ」の松本伊代だってもう少し働いていたぞ(笑)。 私は初めてこの番組で徳光正行を見た時に何者なのか見当もつかず、番組内イジメでも受けているのかと思ってしまいました。そして調べたら徳光和夫の次男ということが分かり、思わず納得。父の徳光和夫は「司会者」などと呼ばれていますが、現在では実際に番組を進行させることは殆んどありません。周囲の誰かが番組を進行させて、本人は「巨人がどーした」などと好き勝手なことをコメントしているだけです。徳光正行はまさに父親の現在のスタイルをコピーしたと言って良いでしょう。 しかし、父親が今の立場になるまでには随分色々な司会を経験しています。ザ・デストロイヤーに足4の字固めをかけられたり、「クイズダービー」の司会では大橋巨泉の後任なんてやり難そうなポジションだったり。そういう経験を経て、今のフリーハンドのような立場を獲得したわけですが、息子はいきなり現在の父親の真似。何だか落研の学生が、名人の形だけ物真似しているような感じがします。和夫=名人なのかはよく分からないけど。 日本人は二世とか二代目には概して甘いものですが、いきなり父の老後の芸風を真似して“二代目”に名乗りをあげて、果たして受け入れられるのかなあと思っていたら、昨年末徳光正行はあっさりと「レディス4」を降板していました。わずか1年2ヶ月。さすがにそこまで甘くはなかったということでしょうか。 甘いと言えば、徳光和夫の父親、つまり正行の祖父は日本テレビの重役から、東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ転身した人なのだそうです。徳光正行の「レディス4」起用に祖父の影響を見るのは穿ち過ぎかな? ともあれ、こうして徳光正行の“徳さん襲名”は一旦挫折した形で終わりました。しかし別の番組で見る限り、特に喋りが苦手というわけではなくて、親父のエピソードなどをそれなりに面白く語っていたりします。取り敢えずは徳光和夫伝説の語り部として“徳さんブランド”に磨きをかけつつ、いつの日か自分が“二代目・徳さん”を襲名する…。徳光正行の丸顔からそんな捲土重来の野望が透けて見えてくるような、こないような…。 < 前のページ次のページ >
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