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今村仁司先生のこと

(mixi日記からの転載)

 迂闊にも思想史家の今村仁司先生が今年5月に亡くなっていることを知りませんでした。新聞広告で「今村氏最後の訳業」という惹句を見て気づいたのです。最近は現代思想系の本を繙く機会がめっきり少なくなってしまい、情報に疎くなっていたようです。
 今村仁司氏は1942(昭和17)年、岐阜県生まれ。京都大学大学院を経て、東京経済大学教授。マルクス研究から出発しましたが、マルクスの読み直しを提唱した構造主義者アルチュセールを翻訳したあたりから対象領域が広がり、フランス現代思想の紹介者として知られるようになりました。80年代以降は現代思想の成果をふまえつつ、社会科学の再生を目指した哲学書を多く刊行する一方、大部な翻訳に取り組んだり、晩年は清沢満之を研究するなど、思想界のスターと言える存在でした。

 多くの著作を持つ哲学者・思想家には二つのタイプがあると思います。一つは、若い頃は難解な本を書いていたのに、年をとるに従って読み易くなってくるタイプ。もう一つは、若い頃はマスコミ向けの軽い文章なども書いていたのに、年をとってくると文章が晦渋になってくるタイプ。
 前者は例えば文化人類学者の山口昌男氏。初期の代表作「文化の両義性」「歴史・祝祭・神話」などに比べると、近年の明治ものなどはとても読みやすい。若いうちに代表作を書いて、後年はその思想の啓蒙書を書いたり、他分野に自分の理論を応用するということで、いわば演繹法的といえます。
 今村氏は後者に属するでしょう。マスコミで派手に活躍するということはありませんでしたが、フランス現代思想を案内する初期の本に比べて、晩年になるにつれ抽象度が増しているようです。このタイプは興味の向いたことをあれこれ書いているうちに、それらを総合する方向に向かうわけで、帰納法的といえます。
 両者を比べると、前者は自分のやりたい事の本筋が見えているのに対して、後者は書きながら思想的格闘をしているわけで、精神的にはなかなか辛いのではないかと想像されます。今村氏がそうだったと断言は出来ませんが、「暴力」「権力」「労働」「貨幣」など一見すると関係無さそうな各論をテーマに研究しつつも、これらを統合する思想を模索していたのではないかと思います。

 ところで、私は大学時代に今村先生の「社会思想史」を受講しました。私は本音では文学部に行きたかったのに、経済学科などという無粋なところに行ってしまった人間なので、せめてなるべく歴史や哲学寄りの科目を多く履修するようにしていたのですが、ある年たまたま非常勤講師としてウチの学部に出講した今村先生の講義を受けられるのは楽しみでした。
 初めて見る今村先生は、丸顔に分厚い眼鏡をかけていて、何だか田舎の市役所の課長さんのようでした。難しい思想書を書いているのでおっかない先生かと思いきや、柔らかい関西弁でくだけた口調で話すのもちょっと意外で、私はすっかりファンになってしまい、出席も取らないのにせっせと通いました。講義テーマは「労働」に関するもので、「働くということは何だろう」と思っていた当時の関心にも合っていました。
「“現象学的還元”というのは、要は“ワッと驚くこと”なんです」
「若い研究者がフランスの新しい思想書を持ってきて、『先生、これ知ってますか』なんて言うんやけど、そういうのには『知らん』と言ってやるんです。新しいのを見つけてきて発表して喜んでるだけじゃあね……、(ちょっと声を潜めて)まあ、僕も時々やるけど」
「僕を早稲田に呼んでくれたのは内田満先生(政治学者、こちらも今年亡くなられた)なんですが、この内田説は間違いですね(笑)。ハンナ・アレントも言ってますよ」
 随分書くものとイメージが違うんですね。今村先生の講義を本にしたら、面白い哲学入門になるんじゃないかと思ったのですが、残念ながらそういう本は刊行されませんでした。享年65。やはり早過ぎました。わずかな縁があったかつての学生としては、今後も折に触れて今村さんの本を読み返していこうと思っています。

 さて、おすすめ三冊はなかなか選びにくいのですが、現代思想の解説書としては「現代思想のキイ・ワード」(ちくま文庫)が分かりやすいでしょう。「労働」については何冊か書かれていますが、「近代の労働観」(岩波新書)が一番まとまっています。90年代のものは「近代性の構造」(講談社選書メチエ)あたりが入りやすいですかね。
 「マルクス入門」(ちくま新書)は充実した内容ながら、新書版入門書という枠組みを逸脱していて初心者にはかなり難解なので、心してかかった方が良いかも。
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by funatoku | 2007-09-25 23:59 | 一期一会 | Trackback | Comments(2)