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甲子園のコンバットマーチの歴史は? ~極私的考察~

(mixi日記からの転載)

 甲子園の高校野球を見ていると、或いは聞いているとブラスバンドの応援が耳に残りますね。見終わっても頭の中でずーっとコンバットマーチが鳴り続けている感じ。
 でも、聞いていてちょっと不思議な気がしてきました。
「ポパイ・ザ・セーラーマン」「海のトリトン」「狙いうち」(山本リンダ)、「サウスポー」(ピンクレディー)、「燃える闘魂(イノキ・ボンバイエ)」(アントニオ猪木のテーマ)、「ハイサイおじさん」(喜納昌吉)、「ひみつのアッコちゃん」「宇宙戦艦ヤマト」「アフリカン・シンフォニー」…。吹いている高校生たちはオリジナル曲が流行った頃を全く知らないわけですよねえ。

 今のようなブラスバンドによる応援というのは一体いつ頃成立したのでしょうか。これは当時の映像が残っていれば一目瞭然ですし、恐らく研究されている方もいらっしゃるとは思うのですが、資料が無いので私はうろ覚えで書くことにします。嚆矢である早稲田大学のコンバットマーチが作曲されたのが1965(昭和40)年だそうですから、先に大学野球で応援にブラスバンドを使うようになっていたと思いますが、甲子園では70年代後半に一気に流行ったような記憶があります。つまり、73年に甲子園を沸かせた江川卓投手(作新学院高校)のバックではブラスバンドは鳴っていなかったが、80~82年に大人気だった荒木大輔投手(早稲田実業)はブラスバンドが鳴らない甲子園を知らないと思うのですね。その間のどこかで急速に普及したのではないでしょうか。

 私は高校時代に吹奏楽をやっていましたが、入学した頃は管楽器による応援をするという発想がまだ周囲に余りありませんでした。ところが3年秋の体育祭では私はトランペットでコンバットマーチを吹いていました。そもそも私はクラリネット担当だったのですが、音が小さくて応援には不向きなので、音のデカいトランペットを即席で吹いたのですね。木管楽器と金管楽器は発声法からして違いますから、一体どういう音を出していたのやら、うすら寒いものがありますが(笑)。私のいたクラブは全く少人数のバンドでしたし、甲子園を目指す硬式野球部もありませんでしたから、応援についても他地域と時差があるかも知れませんが、ともあれ“急速に普及した”という印象は残っています。
 だから、私たちの年代がリアルタイムで知っている選曲が多くなるのではないでしょうか。例えば「アフリカン・シンフォニー」は「ハッスル」で知られるヴァン・マッコイ作曲で、インストゥルメンタル曲では珍しく70年代のヒットチャートを賑わせました。当時、高校生のブラスバンドでも大変に人気があった曲なので、あれを応援に使うというのは非常によく分かるんですね。金管主体の威勢のいい曲だし、普段の練習をそのまま応援に使えますし。
 でも三十年近く経っているのに、まだ同じ曲を吹いているというのはどうなのかなあ。 聞いてる私たちは懐かしくて思い入れがありますが、今の子は最近の曲を吹きたいんじゃないかなあと、ちょっと心配してしまいます。

 という日記を書いてから調べたら、何とこんな記事を発見しました。
 当欄でも紹介した高校野球の応援歌ばかりを集めたCD「ブラバン!甲子園」が売れに売れている。6月27日の初回出荷わずか1000枚からスタートしたが、甲子園が盛り上がるにつれ、売り上げもうなぎ上りで、今月14日までに、7万枚を突破。発売元のユニバーサル ミュージックでは「甲子園の開幕中に10万枚はいける」と鼻息が荒い。(略)
 このCD、中身の方はおなじみの夏の高校野球テーマソング「栄冠は君に輝く」をはじめ、「暴れん坊将軍」や「とんぼ」「蒲田行進曲」「サウスポー」「狙いうち」「必殺仕事人」「さくらんぼ」「燃える闘魂」など、高校野球のスタンドで演奏されるブラバン人気曲を30曲厳選。
 吹奏楽団としては国内トップクラスの「東京佼成ウィンドオーケストラ」の華麗な演奏で収録した。
 「楽譜は、全国800万人のブラバン高校生の8割が使っているスコアとまったく同じ。プロの演奏で聞きたいというブラバンファンの期待に応えた本格的なクオリティが売り上げに結びついた」(ユニバーサル ミュージック担当者)
(後略)引用終わり

 これは出てみれば今まで無かったのが不思議なくらいのCDですね。「ミュージックエイト」という高校生が使う一番ポピュラーな会社の楽譜を、トップクラスの吹奏楽団がそのまま吹いているのもミソで、私も聴いてみたくなってきました。恐らく吹奏楽経験者だけでなく、高校野球ファンにも楽しい曲ばかりだと思います。
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by funatoku | 2007-08-26 22:10 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(2)

ある「吉行淳之介伝説」

 一九九四年に亡くなった吉行淳之介は対談の名手と呼ばれましたが、二〇〇一年に対談集『やわらかい話』(丸谷才一編・講談社文芸文庫)が刊行されています。その最後に編者の丸谷才一さんと、イラストレーターとして吉行さんの対談に数多く同席した和田誠さんによる「あとがき的対談」が収録されていて、吉行さんがいかに怖がりだったかということに触れています。何しろ吉行さんは恐怖感をテーマにした「恐怖対談」という対談集を4冊も出しているのです。

和田 酒場の話です。先程の劇画の人ではないのですが(笑)、すぐ人を殴るというような人が来た。それを吉行さんが酔っ払った勢いでからかったんですって。そしたら「表へ出ろ」という話になっちゃった。吉行さんはそのときは怖がらずに、「表に出てもいいよ。表に出たら君はオレを殴るだろう。一発殴られたらオレは死ぬよ」って言ったんですって…。さすがにそれでおさまっちゃった。
丸谷 おかしな理屈だねえ(笑)。そんな頭の働き方、ふつうの人はしないよ。
和田 それを聞いて、恐怖に対して意外にうまく立ち向かってらしたんだと思いました。(後略)


 吉行さんといえば、会ったことの無い私には洒脱な人というイメージがあるのですが、どうもこの吉行さんは余り洒脱ではありません。洒脱というのが、物に拘らないこと、バランスがいいことだとすれば、この行為はその対極にあります。ただ、かつて喧嘩に巻き込まれて殴られた時、思いっきり吹っ飛んだら相手が弱さに呆れて喧嘩が治まったと書いていたことがありますので、その「応用編」といったところでしょうか。
 ところが、この「吉行淳之介伝説」(笑)の詳細が、最近明らかになりました。今年四月に刊行された『淳之介流 やわらかい約束』(村松友視著・河出書房新社)で村松さんがこの場面をさらに詳細に記述しています。

 銀座の地下にある小さい店「まり花」が舞台だ。そこをひいきにしていた吉行淳之介は、銀座へ出ればかならずこの店に寄った。ある夜、ロック歌手の内田裕也氏と同席になった。相手が歌手だと聞いて、吉行淳之介は酔いの上に冗談気分が加わり、しかもホーム・テリトリーの気楽さもあって、ある歌を所望した。その「ある歌」はロック歌手内田裕也を苛立たせるに十分な、当時やたらに流行っていたフリオ・イグレシアスの甘ったるいメロディの「ナタリー」だった。
「あれ歌って欲しいなあ。ほら例の♪ナタリーってやつ」
 上機嫌に冒頭のメロディを口づさんだとき、吉行淳之介はさすがに内田裕也氏の表情のこわばりにきづいた。そして、やっちゃったか……と覚悟を決めたような顔をつくり、
「あれ、その目はオレを殴ろうかと考えてる目だね。うん、殴ってもいよ……だけどさ、殴ったらオレ」
 と言って間をおき、
「殴ったらオレ、死んじゃうよ」
 そう言って笑った。気色ばむ寸前の内田裕也氏が、ニヤッと笑って立ち上がり、吉行淳之介に握手を求めた。(略)


 内田裕也でしたか、そりゃあ怖いわ(笑)。ただ残念なことに和田さんも村松さんも現場に居合わせたわけではないのですね。同席していた人の話では、吉行さんが内田氏を認識していたか、内田氏が吉行さんを認識していたのかは定かではないそうです。
 それにしても、内田裕也に「ナタリー」を所望するとはかなり無謀かつ悪趣味ですし、ドビュッシーを愛する吉行さんが「ナタリー」という曲を好きだったとも思えません。吉行さんは人一倍怖がりでありながら、その恐怖に敢えてにじり寄ってゆく性質だったのでしょうね。そしてこの資質は吉行淳之介という作家の芯の部分を成しているのかも知れません。そう考えると、相手を怒らせるまでの経緯はともかく、その後の対処は水際立った手腕のように見えてきますね。
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by funatoku | 2007-08-20 07:16 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

ロッテ・西武17回戦(8/16 千葉マリン)

 千葉マリンスタジアムに初めて行ってきました。東京西部在住者にとっては幕張は実に遠くて、なかなか行く機会がありませんでした。熱烈かつ整然たることで有名な千葉マリンのロッテ応援団を一度生で見たかったのと、ロッテの渡辺俊介投手を見たかったのです。私は対戦相手の西武ファンなのですが、今春も書いたようにアンダーハンドスロー投手が大好きなのですね。渡辺は今や数少なくなったアンダースロー投手で、恐らく球史でも一二を争う程低い位置からボールを投げています。
 今までなかなか生観戦する機会がありませんでしたが、この日は渡辺の登板日を目指して遥々やって来たのです。というわけで、4500円のバックネット裏席を奮発。やや三塁寄りで右投手の球筋がなかなか見やすい席です。試合前のシートノックから見るのは久しぶり。ロッテ応援団は試合前の選手紹介への声援からして統制がとれているので驚く。こういう場面はなかなかテレビに映りませんからね。

 1回表、西武は福地寿樹、片岡易之、栗山巧と左打者を並べるも、渡辺は三者凡退に仕留め、痛し痒し。ところが、2回表にカブレラと中島裕之に四球を出し、GG佐藤の二塁打で1点を失ないます。一般的にアンダースローは左打者が苦手というものの、今日の渡辺はどうも右打者の方が投げにくいようで、高めの直球が大きく外れています。しかし、2回裏には西武先発ギッセルも1失点。球が低めに決まらずベルト近辺に集まり、変化球でストライクが取れません。しかも、昨年見たときは投球テンポの速さが際立っていたのに、今日はその面影も無く不安が募ります。
 果たして不安は的中して3回表、カブレラが渡辺から3点本塁打を放ち1-4にしたものの、3回裏にはギッセルが3安打を食らい2失点で降板してしまいます。カーブのコントロールに苦しんで、球を置きにいっているのが素人目にも分かるのに、何故速球勝負をさせなかったのか、捕手細川亨の配球にも疑問が残ります。
 4回からは渡辺が立ち直り始め、大きく外れていた高めの直球で空振りを取れるようになってきました。対する西武二番手山岸穣もカーブとスライダーのコントロールが素晴らしく3回2/3を1安打に抑えますが、6回裏にショート中島の失策で1点を失ない4-4で同点。7回表を渡辺が三人で抑えると7回裏、代わったばかりの西武三番手山崎敏が満塁にしてしまい、四番手岩崎哲也がロッテの4番打者サブローにタイムリー安打を喫して5-4、ついに逆転を許します。8回表は薮田安彦に抑えられ、9回裏は小林雅英に2安打を浴びせ「すわ、コバマサ劇場か」と思いきや、そのまま抑えられてしまいました。9回無死1塁で中島の打席。中島は大きく構えて振り抜くタイプなのにバスターバントの構えをさせて結局三振。エラーしているんだから、汚名返上の為に自由に打たせてやればいいのに…、と監督の采配に疑問が残るところです。

 西武は先発ギッセルの不調が最大の誤算でした。来年の契約が微妙な選手ですが、この日の内容では先行き厳しいものがあります。渡辺俊介の二ヵ月半ぶりの勝利でロッテは2位に浮上する一方、4位西武は3位ソフトバンクと4ゲーム差と開き、プレーオフ進出が厳しくなりつつあります。まあ、アンダースローおたくの私とすれば、渡辺を間近で見られたのでまあ良しとするか…。あと、5回終了時に300発の花火を打ち上げたのですが、今年は花火を見られなかったので予想しないお楽しみでした。短時間に集中して上げるのでかなりの迫力なのね。

【16日・千葉マリン】◇17回戦・ロッテ8勝8敗1分 ◇観衆27,515
     1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
西武   0 1 3 0 0 0 0 0 0 4
ロッテ  0 1 2 0 0 1 1 0 X 5
[勝]渡辺俊 18試合 7勝 6敗
[S]小林雅 36試合 2勝 4敗 18S
[敗]山崎 30試合 2勝 2敗
[本]カブレラ20号3ラン(渡辺俊・3回)
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by funatoku | 2007-08-17 21:14 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)

1978年のツービート

mixi日記からの転載です。

 この手のものの整理が悪い私にしては珍しく、30年近く前の寄席のプログラムが見つかりました。東宝名人会というのは有楽町の東京宝塚劇場5階にあった寄席です。

東宝名人会 昭和53(1978)年8月上席(1~10日)
盛夏おたのしみ特別番組

声帯模写   片岡鶴太郎
漫才     ツービート(ビートたけし ビートきよし)
フレッシュ二人  橘家六蔵 橘家竹蔵
モダン浪曲  神ブラザーズ
落語     川柳川柳
漫才     大空みつる・ひろし
民謡めぐり  黒田幸子一行(幸文・幸夫・清子)
落語     橘家円蔵

~休憩~
落語     柳家さん助
太神楽曲芸  鏡味仙寿郎・柳家とし松
落語     三遊亭金馬


 私は80年頃の漫才ブームの前からこの寄席でツービートを見てファンになっていたのですが、この時に実際に見たのかどうかは判然としません。というのは、東京宝塚劇場のエレベーターに「ツービート休演のお知らせ」と貼り紙があって、初めて見る「ツービート」という芸名を、ジャズ好きの私は「洒落た名前だな」と思ったことをハッキリ記憶しているのです。それがこの時だったのか、或いはこの時には見ることが出来たのか…。後年、たけしが書いた本によれば、ブレイク前夜の売り出し期であったこの頃、寄席を何度もサボったりしたようです。まだ漫才のスタイルを試行錯誤していたのかも知れませんが、私には既に漫才ブームの頃のスタイルを確立していたような印象があります。

 三遊亭圓生一門が落語協会を脱退する大騒動はこの年の5月のことで、三遊亭さん生は圓生一門を離れて落語協会に残留し、名を川柳川柳に改めます。以前、ブログに書きましたが、子供の頃初めて寄席に行って一番印象に残ったのがさん生さんの「ガーコン」だったんですね。名は変わっても芸風が全く変わらないので喜んだ記憶があります。
 この橘家圓蔵は、今の「ヨイショっと」「エバラ焼肉のタレ」の圓蔵ではなくて、その師匠である先代です。この方も弟子の月の家円鏡(今の圓蔵)と林家三平を引き連れて圓生師匠と行動を共にするはずだったのですが、結局協会に残留することになりました。

 片岡鶴太郎は全く記憶がありませんね。具志堅用高や浦辺粂子といった後年のような物真似ならかなり印象に残りそうなものですが、或いは入場が遅くて間に合わなかったのかも知れません。
 「フレッシュ二人」という意味がよく分かりませんが、若手の交替出演のことでしょうか。橘家六蔵は現在の林家かん平。トリの金馬師匠はテレビでお馴染みでしたね。
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by funatoku | 2007-08-12 16:00 | 落語 | Trackback | Comments(0)

小津安二郎映画における“実年齢”と“役年齢”

mixi日記からの転載です。

 先日の日記で小津安二郎監督「秋刀魚の味」の同窓会場面について触れました。(URL省略)
 あの場面、教師役の東野英治郎(55歳)の方が教え子役の笠智衆(58歳)や北竜二(57歳)より実年齢は年下なのですね。教え子役の一人、菅原通済に至ってはこの時68歳だから13歳も年上。もちろん夜間中学じゃありません(笑)。東野が年寄り臭く見えるのは“演技力”の賜物なのですね。俳優は様々な年齢の役柄を演じますから、実年齢というのは余り関係無いとも言えますが、舞台とは違って映画ではそんなに無茶な設定は出来ないでしょう。と言うわけで、主な戦後小津映画の役者たちの実年齢と役の設定年齢を調べてみました。
( )内が実年齢。役年齢>実年齢 実年齢>役年齢

晩春(昭和24年)
 笠智衆(45歳)が娘の原節子(29歳)を嫁に出す話。笠は56歳の東大教授という設定なので既にかなりの老け役ですね。原は27歳なので実年齢よりやや若い。笠の妹役の杉村春子(40歳)も兄につられて49歳と結構年上の役柄ですが、余り年齢は関係無い芸風でしたね。原を嫁がせた夜、笠が台所で独り寂しくリンゴの皮を剥くラストの場面は有名ですが、あれが45歳とはねえ…。ちなみに今年平成19年に45歳になる芸能人は柳沢慎吾、豊川悦司、石原良純、林家正蔵(こぶ平)など。

麦秋(昭和26年)
 2年経ったら笠智衆(47歳)原節子(31歳)が兄妹に(笑)。兄妹なので笠38歳、原28歳という設定ですが、笠は一気に20歳近く若返ってしまうという荒業。そう見れば見えないことはないか…、でもやっぱり笠さんには老け役の方が似合いますね。杉村春子(42歳)は原の結婚相手の母親役で54歳とかなり上の設定。

東京物語(昭和28年)
 笠智衆(49歳)東山千栄子(63歳)70歳67歳の夫婦役。実年齢より21歳も上の役を演じる笠さんには苦労も多かったようで、背中にタオルを入れて丸まって見えるように工夫したりしたそうです。その子供たちの山村聡(43歳)杉村春子(44歳)大坂志郎(33歳)香川京子(22歳)はそれぞれ47歳44歳27歳23歳という設定。戦死した次男の未亡人原節子(33歳)28歳で、みんな実年齢に近い。
 しかし、実は笠を上回る老け役がいて、笠の旧友である東野英治郎(46歳)71歳の設定なんですね。その差25歳。ちなみに水戸黄門こと徳川光圀は73歳で没しています。

東京暮色(昭和32年)
 笠智衆(53歳)57歳の銀行員役だから実年齢に近くなってきます。笠の娘の原節子(37歳)有馬稲子(23歳)は、32歳21歳の設定。笠と別れた妻山田五十鈴(40歳)52歳と老け役で、長女の原と実年齢は3歳しか違わないのです。母を知らない設定の有馬に「(山田は)若く見えたけど」という台詞を言わせているのは、小津監督が山田に気を使ったのでしょうか。
 「東京物語」では親子だった笠と山村聡(47歳)がこちらでは同級生を演じています。

彼岸花(昭和33年)
 佐分利信(49歳)笠智衆(54歳)中村伸郎(50歳)北竜二(53歳)が同級生役で55歳。佐分利の妻田中絹代(49歳)48歳、佐分利の娘有馬稲子(24歳)23歳をはじめ主要キャストが実年齢に近いのは、小津監督初のカラー作品だったことと関係あるのでしょうか。

お早よう(昭和34年)
 と思いきや、笠智衆(55歳)46歳とまた若返る(笑)。この映画では中学1年と小学1年の息子が重要な役どころなので、父親である笠を極力若く設定しないと無理が生じるんですね。でもやはり無理があるかも…。息子というより孫みたいに見えるもん。
 笠の妻三宅邦子(43歳)37歳はともかく、近所の杉村春子(50歳)38歳というのはさほど必然性が無さそうな設定です。東野英治郎(52歳)55歳で定年退職した男を演じていますが、この程度では東野さんにとっては老け役とは呼べませんね。

秋日和(昭和35年)
 長らく年下の役を演じてきた原節子(40歳)が、ついに年上の45歳の未亡人という設定になり、今度は24歳の娘司葉子(26歳)を嫁がせる立場に回ります。笠智衆(56歳)は亡き夫の兄で59歳。亡き夫の同級生は佐分利信(51歳)中村伸郎(52歳)北竜二(55歳)というお馴染みの面々で53~4歳。中村さんの回想によると、実年齢が一番下の佐分利さんの頭髪が真っ白だったので、他の人に合わせて黒く染めたそうです。小津監督が生きていれば原節子の老け役がまだ続いたのでしょうかねえ。

秋刀魚の味(昭和37年)
 若い頃の笠智衆(58歳)を老け役として抜擢したのは小津監督ですが、遺作である本作品では実年齢とほぼ同じ57歳を演じています。長男佐田啓二(36歳)32歳、長女岩下志麻(21歳)24歳、次男三上真一郎(22歳)21歳で、姉の方が弟より年下ですが、この頃から姐さんの貫禄があったのか…?
 笠の中学時代の教師が東野英治郎(55歳)で、72歳の老け役を見事に演じます。東野の娘の杉村春子(53歳)48歳の設定ですが、この親子も2歳しか離れていませんね。

 小津安二郎監督は翌昭和38年12月、60歳の誕生日に癌で亡くなるわけですが、もし斃れなければ笠智衆らの還暦後の生活を描いたのでしょうか。ファンとしてはぜひ見たかったですね。
 なお、ここに挙げた実年齢は映画の公開年の誕生日以降の満年齢で、撮影時の年齢ではありません。役の設定年齢は『小津安二郎を読む』(フィルムアート社刊)を参照しました。
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by funatoku | 2007-08-11 08:01 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(2)