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藤野やまなみ温泉(神奈川県相模原市)

日帰り温泉に限らず、せっかく眺めがよい場所にあるのに、肝心の露天風呂は目隠しの簾に囲まれていて眺望も無いような温泉も少なくない。何とも勿体無いなあと思う。
東京から近くて、高台にあって眺めが良い露天風呂の一つがこの「藤野やまなみ温泉」。
西側が開けているので、露天風呂に浸かりながら沈み行く夕陽を堪能するという贅沢を、都心からわずか1時間半で楽しむことが出来る。

実はこの「藤野やまなみ温泉」は、以前このブログに書いた「秋山温泉」「いやしの湯」にも近い。「秋山温泉」は私がこのエリアで最初に行った温泉だが、今となると露天風呂がやや狭くて眺めも無いし、塩素臭い。出来たのが新しい「いやしの湯」は露天風呂は広いが、アプローチは一番悪い。今まで「藤野やまなみ温泉」に行く機会が少なかったのは、もっぱら営業時間の短さが原因で、閉館が8時だったのである。
ところが、運営していた津久井郡藤野町がこの2月に相模原市に合併されると、営業時間が延長されて9時閉館になった。この1時間は実に大きい。民間企業の運営に変更されたことが原因なのかも知れない。とにかく、これで金曜の終業後にもここに駆けつけることが出来るようになったのである。今までは金曜夜には「秋山温泉」に来ていたのだが、今後はもっぱら露天風呂が広くてアプローチも良い「藤野やまなみ温泉」に来ることになりそう。「秋山温泉」はよっぽど工夫しないと先行き危ういかも。
ただ、週末に来ると混雑している場合が多い。「源泉かけ流し」を謳っていて、ぬるめの湯。

中央線を高尾から二つ目の藤野駅からバス10分。中央高速相模湖ICからは20分。
新宿1736→(通勤快速)→1806立川1810→1830高尾1831→1844藤野1850→1858やまなみ温泉入口2040→2050藤野2113→2126高尾2127→(特別快速)→2217新宿
平日夜ならこのように立ち寄りが可能。帰りの終バスがあと15分遅ければ、往路で一本遅いバスに乗っても温泉に一時間いられるのに惜しい。
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by funatoku | 2007-04-30 19:30 | 旅日記・温泉・鉄道 | Trackback | Comments(0)

立川志らく「志らくのピン~シネマ落語編 シャイニング」(4/19 池袋・新文芸坐)

志らく師匠の「シネマ落語」は「志らくのピン」を渋谷でやっていた頃によく聴いたが、「志らくのピン」が「古典落語編」と「シネマ落語編」に分かれてからは「古典落語編」に行っていたので、久しぶりになる。
シネマ落語って何?という説明は後述。

立川らく次「看板のピン」 先頃めでたく二つ目昇進が決定、のはずだったのだが…。

立川志らく「不動坊」 先日の立川流二つ目昇進試験で、らく次さんも含めた受験者9人中7人の昇進が決定したのだが、昨日家元から電話があり「ナシにしよう」。志らく師匠の進言もあり、合格者にも懐メロ1000曲、小唄500曲の追加試験が課されることになったとのこと。前座諸兄にはお気の毒としか言いようがないけど、取り敢えず曲数で熱意を示せという基準のようだ。しかし1000曲って凄い数だ…。
その志らく師匠も家元に破門されそうになった。原因は兄弟子・立川談春の「en-taxi」での連載。
家元が可愛がっていたぬいぐるみのライオン(ライ坊)を叱られるたびに蹴飛ばしていたら、破けて中の綿が出てきたので腹巻をさせた。「どうしたんだ?」「風邪をひいたから腹巻をさせておきました」「そうか。ありがとう」。
これ全て志らく師匠のネタとのこと。しかし、談春師匠がそのままエッセイに書いたのを家元が読んで激怒、「お前と志らくは破門だ!」。慌ててネタであることを説明して難を逃れた。「70過ぎのおじいさんが、(ぬいぐるみのことで)、怒っているわけで…」

「不動坊」は三代目柳家小さんが上方から持ってきた噺で、今日は東京では演じ手のいない大阪でのサゲで演じる。私は志らく師匠の「不動坊」は一昨年の夏以来二回目、私はこの噺は志らく師匠に合っているのではないかと思っているのだが、著書でも後半のドタバタ場面を「リアリティが無い」と切り捨てている。
今日もちょっと慌しくて、笑わせどころの「鉄瓶」のくだりもハイスピードの中に埋もれてしまった感があった。この日は全四席演じたので、時間的にも厳しかったのかも知れない。サゲは「あ、お前、噺家じゃねえか」「遊芸遊び人ではなくて幽霊遊び人」。確かに死語ですな。
(なお、この噺については私のmixi日記に志らく師匠直々のコメントを頂きました)

立川志らく「鰍沢」 「鰍沢」は先代・林家正蔵(彦六)が得意とした怪談話。ただサゲが「お材木で助かった」というのは「いい加減にしろ!どんな落ちだ。こんだけ緊張させておいて、それはないであろう。まあ、このギャップが落語なのだが」(「志らくの落語二四八席辞事典」)。という訳で、最後にお熊が川の中から現われるというホラー映画的なオリジナルのサゲ。また、2000年に刊行された「全身落語家読本」では、映画「シャイニング」のようなサスペンス劇と評している。当時既に今日演じるシネマ落語「シャイニング」を作っていたかどうかは不明だが、長く暖めていたアイディアなのだろう。

立川志らく「粗忽の使者」 「鰍沢」の途中で携帯電話を鳴らしたのは、事務所の社長だった。「まさか身内とは…」(笑)。林家正蔵の申告漏れは、誰かがタレこんだはず。「多分、いっ平でしょう」。
こういう粗忽者の噺は志らく師匠の独壇場。狂気と紙一重の粗忽ぶりを、速いテンポで畳みかけて爆笑させる。高速の余りか、途中「武士が“ちょいと”とは言いませんが」なんて言い違いもあったのだが、この場合全く瑕瑾にならない。

立川志らく「シネマ落語・シャイニング」 シネマ落語は映画のストーリーを新作落語にしたもので、志らく師匠のオリジナル。古典落語の人物や設定を膨らませているので、洋画が江戸落語の世界になってしまうのだ。映画好きも、落語好きもそれぞれ楽しめるので人気が高い。この日の場合、先に演じた「不動坊」と「鰍沢」の設定を借りている。「粗忽の使者」「看板のピン」のクスグリも入れるので、今日の全部の噺が色々と絡み合う楽しみがある。作るのは大変だろうなあ。
「不動坊」で幽霊を演じた噺家林家正吉が主人公。かつて「鰍沢」のお熊の家だった宿に、冬の間留守番に行くのだが、そこでお熊の霊に操られて狂気に駆られてゆくという設定。私はホラー、サスペンス映画が苦手で「シャイニング」も見ていないのだが、見てなくても十分に楽しめる。楽しめるけど、見ていた方がより楽しめることは確かだと思う。
鰍沢に落ちたはずの正吉が氷漬けになって発見されるが、その形相の凄まじさ。「何、怒ってんだ」「怒ってるんじゃねえ。凍ってるんだ」というサゲ。こちらのサゲも「鰍沢」流の脱力系。
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by funatoku | 2007-04-21 18:54 | 落語 | Trackback(1) | Comments(2)

親子二代の下手投げ 会田照夫と会田有志

このところ巨人は2年目会田有志投手を二番手としてリリーフ登板させることが多いようです。
ヤクルトファンの私としては、父親である会田照夫投手を懐かしく思い出します。有志投手は細身で、照夫投手は小柄でずんぐりとした体型。随分と違うのに顔立ちに面影があるのと、投球フォームがどちらも近年めっきり少なくなったアンダースロー(下手投げ)なのです。

私はアンダーハンドスローが大好きで、野球という種目が生んだ芸術品ではないかとさえ思っています。杉浦忠(南海)や小川健太郎(中日)の現役時代は記憶にありませんが、私がプロ野球で一番好きな投手は誰かと問われれば山田久志(阪急)を挙げますし、日本シリーズで淡々と投げていた足立光宏(阪急)、無駄な力が抜けていた上田二朗(阪神)、浮き上がる速球で三振の山を築いた松沼博久(西武)、早稲田実業で荒木大輔の前のエースだった弓田鋭彦、そしてもちろん会田照夫もそれに続きます。現役では渡辺俊介(千葉ロッテ)、まだ生では見てないんですけど、是非ネット裏で見たいですね。

会田照夫もゆったりしたフォームで、かなり低い位置でボールをリリースするアンダーハンド投手でした。47(昭和22)年、埼玉県生まれ。上尾高校、東洋大学、三協精機を経てドラフト8位でヤクルトに入団し、1年目の71(昭和46)年に6勝しました。その後4年間で1勝13敗と伸び悩みますが、76年に10勝、77年に9勝と先発ローテーションの一角として活躍。ヤクルトが初優勝した78年には3勝と衰えが見え始め、79、80年と勝ち星がなく引退しました。実働10年で29勝45敗3セーブ。同時代の松岡弘、安田猛、浅野啓司らに比べると成績は地味でしたが、忘れ難い選手の一人です。丹念に低めを突き、シンカーで打ち取るのが持ち味でした。

76年に突然ブレークしたのは、広岡達朗監督のアドバイスで投球フォームを変えたことがきっかけと会田本人が語っていました。打者に完全に背中を見せるフォームをやや小さくしたということですが、それでもかなり大きなフォームだったと思います。余談ですが会田再生に成功したことで、広岡監督自身もアンダーハンド投手指導に自信をつけたようで、その後西武監督として低迷していた松沼博久、高橋直樹らを再生させています。

息子の会田有志投手は高校時代にサイドハンドに転向、アンダースローに転向したのはプロ入り後というからちょっと意外です。意外と言えば、日本プロ野球史上、親子で1軍登板したのはこの会田親子だけなのだそうです。野手では長嶋茂雄・一茂、野村克也・克則などが有名ですが、投手は初めてとは知りませんでした。有志投手はまだ体の捻りと腕の振りがしっくり行かないようですが、目標にしているという父親のようなスムースなフォームを身に着けてくると、日本プロ野球史上初の親子で勝利投手は間近ではないかと思います。アンチ巨人の私としては少し困った心境なのですが。
(4/26追記)今日、会田有志投手が横浜相手に初勝利をあげました。
(5/1追記)有志投手が登板すると、解説者が照夫投手の思い出を語りはじめるようです。
谷沢健一「お父さんの方が、もっと沈み込むアンダースローだったんじゃないかなあ」
加藤博一「私のプロ入り初ヒットはお父さんからなんです。“お父さんに宜しく”と言いました」
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by funatoku | 2007-04-14 11:43 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(4)

本間之英『誰かに教えたくなる「社名」の由来』(講談社+α文庫)

誰でも知っている会社なのに、意外に知られていない120社の社名の由来を各々見開き2頁で解説。

マツダ㈱ 英語表記がMAZDAなのは古代オリエントの叡智神アフラ・マズダーから。
ヤンマー㈱ 農家に親しまれるトンボ印にするつもりだったが、同名他社があったためオニヤンマに因んで。
シャープ㈱ 創業者早川徳次がシャープペンシルを考案したことに因んで。
富士通㈱ 富士は古河財閥の「フ」と、技術提携したジーメンス社の「ジ」を組み合わせた。
オムロン㈱ 旧・立石電気。地名の京都・御室をブランド名にして、後に社名に。
コニカミノルタホールディングス㈱ コニカは杉浦六三郎が薬種問屋小西屋六兵衛を買収して開業。小西六のカメラでコニカ。ミノルタは「稔る田」から。創業者は小西でも稔でもなかった。
フマキラー㈱ 「フライ(蝿)+マスキート(蚊)のキラー(殺し屋)」
㈱トクホン 武田信玄の主治医だった永田徳本に因む。社名は鈴木日本堂から改称。
コクヨ㈱ 旧社名は国誉。「国」は日本ではなくて、創業者黒田善太郎の故郷富山のこと。
㈱バンダイ 中国周代の兵書「六韜」の「萬代不易」から。旧社名は萬代屋。
㈱コーセー 創業者小林孝三郎の「孝」と誠実の「誠」から。
㈱マンダム 「man(男)」と「domain(領域)」の合成語。
ヤマサ醤油㈱ 創業者浜口儀兵衛の出身地紀州の「キ」を横倒しにして「サ」と読ませてブランド名に。
㈱ポッカコーポレーション 旧社名ニッカレモン→ニッカボッカ→ポッカ。
㈱イトーヨーカドー 創業者の干支にちなんで羊華堂、そこから伊藤譲が暖簾分け。
大成建設㈱ 大成は創業者大倉喜八郎の戒名の一部。Constructionを新たに訳出して「建設」。

著者は社名には創業者の夢や願いが託されているという。社名を守るか軽んじるかで、会社の価値や寿命が決まるとも。
それにしても「建設」という単語が、大成建設の社名に始まるとは全く知らなかった。
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by funatoku | 2007-04-09 20:16 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

三遊亭円楽師匠最後のテレビ出演

今日放映された日本テレビ「いつみても波瀾万丈」が三遊亭円楽師匠最後のテレビ出演とのこと。

「あんまりね、この顔で出たくない(笑)。もうこの位にして頂きたいですね」
「(東京大空襲の時に父親が言うには)人が行く所に行っちゃいけない。こういう時は人の行かない所へ行こうと、南千住に今でもありますけどガスタンクの方に行った。じわじわ死ぬより、ボンっていきゃお仕舞いで」
「ライバルなんてもんじゃないですよ。談志の方が遥かに上だったです、その頃はね。あの通りの性格ですから、昔から直んねえン。だから談志の逆を行けば、必ず世の中に出られるなと」
(立川談志と大磯で泳いで、沖に出たら急に足が攣ってしまった)「『俺、足が攣っちゃったよ』って言ったら、(談志は)『俺ねえ、助けてはやりたいんだよ。でも二人が死んだら将来の落語界のことを考えると駄目んなっちゃう。俺だけでも逃がしてくれ』(笑)」
「その頃はね、評論家や何かが『テレビに出てチャチな芸人になるな』。出るな、っていうから出ようと。僕は僕なりに楽屋でやっちゃいけない事を残らずやってやろうと、平気でキザをやった」
「アタシが(笑点の)司会やってる限りは全員降ろさないよ、自分の考えてることをやってくれと。安心すると自分が出てくるんです」
「噺家にとって大事なのはイントネーション、抑揚ですよね。次は歯切れ。それからニュアンスね。しかも登場人物になって喋んなきゃいけない。それがね、登場人物にならなくなっちゃった。忘れたんじゃなかろうか、とか。」
「お客様は親切で『私どうですか?』って訊くと、『大丈夫だよ。まだやれるよ』と必ず仰ってくれるんです。それだからこそ、こっちが余程身を引き締めて潔さが無いと駄目なんです」


途中で「笑点」の映像も流れたが、復帰当初に比べてかなり発声が良くなっているように見えた。
「泳ぎは得意なんです。何日くらいでハワイに着くか」などというホラ吹きぶりも可笑しかった。
口跡より表情が乏しいのが気になるといえばなるけど、晩年の柳家小さん師匠より余程表情豊かで、それも“味のうち”と開き直れるか否かという差なのかなあ。脳梗塞は突然脳のある部分が劣化するのに、それを自分でしっかり認識出来てしまうという病気なので、開き直りにくいのかも知れない。
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by funatoku | 2007-04-01 19:15 | 落語 | Trackback | Comments(2)