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天国ではまだ「お呼びでない!」我がヒーロー・植木等の死

(mixi日記から転載)
クレージーキャッツの植木等さん死去
 映画「無責任」シリーズなどで知られ、歌手としても活躍した日本を代表するコメディアンの植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。(後略)

学生時代、クレージーキャッツの映画を見まくっていた時期があります。月に一回土曜の夜になると、浅草の映画館にクレージー映画オールナイト五本立てを見に行きました。私は映画を一人で見に行くタイプなのですが、後年大学の友人に久しぶりに会ったら、私が彼らを浅草に連れて行ったと言われて驚いた事があります。別の女友達数人にはクレージー名曲集をダビングして配ったこともあるそうです。
って、クレージーキャッツ教の折伏してたのか、俺(ちなみに、そのうち一人は今の旦那との最初に出会った時の会話がクレージーキャッツだったとか。折伏成功?)。
落語、映画、芝居などの趣味に友人を誘い込むことが殆ど無かった私としてはかなり異例の事態で、いかに当時クレージーキャッツに惚れ込んでいたかということでしょう。

私は十代の頃から隠居志願というヒネたガキでしたが、この頃は「植木等みたいなサラリーマンにならなってもいいかなあ」などと考えたこともあります。植木等さんが私にとっての心のヒーローだった訳です。まあ、隠居も植木等もなかなか叶いませんが、今でも見果てぬ夢ですねえ。

もっとも素顔の植木さんは古風で実直な人柄で、最初は「スーダラ節」を歌うのも嫌だったのだとか。本人は真面目なのに、傍から見ると面白いという天性の喜劇人だったのでしょうね。
俳優としては円熟への道を歩みましたが、権威的なものとは無縁の洒脱な姿勢を最後まで保っておられたように思います。
心よりご冥福を祈ります。
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by funatoku | 2007-03-28 10:06 | テレビ・ニュース | Trackback(1) | Comments(5)

児島玲子に最強の刺客登場

(MIXI日記3/10から転載)
テレビ東京「釣りロマンを求めて」のレギュラー出演者・児島玲子(32・左)。
グラビアアイドル出身、長身でスポーツウーマンタイプの児島さんですが、97年に当番組に登場するや、釣りに対する真摯な取り組みぶりと、先輩釣り師への謙虚な態度が釣りファンの絶大な支持を得て、10年もの間レギュラーの座を守っています。
しかし、やはり10年の歳月は余りにも長かった。年齢?いえいえ、そんなことではありません。元々運動神経が良い彼女が10年も真剣に釣りに取り組んだため、大半の視聴者より上手くなってしまったのです。最近は番組HPに「日本を代表する女性アングラー」などと紹介されていますが、あながち誇張では無さそう。釣り趣味も専門化していて、これだけオールラウンドで経験積んでる人はそんなにいないとも。ぶっちゃけると、「お嬢さん、おじさんが釣りを教えてあげようか。ウフフ」というオジサマ達の妄想の対象にはもはや当てはまらないのですね(ホントにいるのか?そんな奴)。

さてそこに現れたのが永浜いりあ(25・右)。ミニスカポリス出身で、「開運!なんでも鑑定団」のアシスタントを務めている永浜さんが、最近ぽつぽつと「釣りロマ」に登場するようになったのです。初心者ながら「私、分かりませ~ん」的なやっつけ仕事感は全く無く、先輩釣り師の教えを受ける態度は真剣そのもの。本人のプロフィールにも「特技:釣り」となっており、このジャンルに賭ける意気込みが伝わってきます。不動の「釣りアイドル」の座を誇ってきた児島さんへの最強の刺客と呼ばれる所以です。

昨年最後の放送では珍しく二人が東京湾で共演しました。二人の間にバチバチと火花が飛ぶ…なんてことはありませんでしたが、殊更“お姉さん的”に振舞う児島さんを見て、改めて時の流れを感じた視聴者は私だけではないでしょう。今年も土曜6時の「女の戦い」(?)から目を離せません(しかし、釣りをやらないのに見てる私もどうなのか)。

(追記:今日の放映では児島さんと永浜さんがパラオでルアー釣りをしていました。ナレーションでは「『釣りロマン』女子部の先輩後輩」と紹介されましたし、永浜さんのレギュラー入りと見ていいでしょう。指導役に回った児島さんの奮闘振りは見ものでしたね。ルアー投げる距離などはかなり差があるようですが、さて今後どうなるでしょう。)
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by funatoku | 2007-03-24 12:46 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(2)

こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社)

(MIXI日記からの転載です)
最近まちBBSで中野区が舞台と知って手にしたのですが、近年読んだ中でも出色のコミックスでした。

時代背景の異なる三篇の連作。一作目の「夕凪の街」は昭和30年の広島市が舞台、原爆の後遺症を発病する女性・平野皆実が主人公。彼女の最期の場面は漫画でしか出来ない表現。
そして二作目の「桜の国(一)」は昭和62年の中野・新井薬師が舞台です。皆実の姪にあたる石川七波の小学5年生時代を描いていますが、背景として中野通りの桜を実に効果的に使っています。
最後の「桜の国(二)」は平成16年、成人した七波が、突然故郷広島への旅に出た父・旭(皆実の弟)を追ってゆく話。七波は田無(西東京市)に住んでいる設定で、ラストでは母と祖母を失った街であるため思い出したくなかった新井薬師を再訪します。
これだけじゃどういう話か分からんと思うんですがね。全編でも100頁足らずの長さなのに、とても緊密な構成になっているので、粗筋を文章で表現しようとすると大変長くなってしまいます。

原爆の悲惨さをこのように静かなタッチで描いたフィクションは珍しいのではないかと思います。あとがきによると、著者自身は広島市の出身ながら被爆者でも被爆二世でもなく(68年生まれ)、今までなるべく避けてきたテーマだったといいます。だからこそ徒に高調子に悲惨さを強調することなく、深く染み入るような作品を描けたのかも知れません。

舞台となった中野通りには桜並木があるのですが、シーズンになるとピンクの提灯が並び、公園ではカラオケ大会…、というよくある俗っぽい花見スポットに過ぎません。しかし、このような素晴らしい作品に描かれると、何やら素敵な場所に思えてくるのが不思議です。今年も桜の季節がやって来ましたね。
映画的な表現が上手いなと思ったら、今夏にはこの映画が公開されるとのことです。
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こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社・840円)
(付記・mixiを始めてひと月経ちましたが、あちらには記事の検索機能が無いのがちょっと不便。今後も転載するケースがあるかと思います。両方ご覧になってるであろう約5名の方にはお手数かけて申し訳ありません。)
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by funatoku | 2007-03-23 07:43 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

立川談春独演会(3/15 浦和・埼玉会館小ホール)

初めて来る会場。古いけど円の4分の1のような形で見やすいホール。客層は年配者が目立つ。

立川こはる「道灌」 弟子が居着かないと定評がある(?)談春師匠に入門したと一部で話題の
こはるちゃん(女性)を初めて見る。短髪で少年っぽい子。

立川談春「庖丁」 「一回も笑いが無いので誰もいないのかと思いました」。本来、独演会には
前座は出さない方針。貴重な金と時間を使って頂いたのに、最初に一番下手なのが出てくるのは
どうかと思ってのこと。「ただ、自分もそこから育ってきたんですけど。今日は故郷埼玉ということで
甘えさせて頂いて…。下手ですねえ。俺も下手だったけど、あれよりはましだった(笑)」
師匠の悪い所だけは似るもので、この前、こはるが下の前座を叱っているのを聞いたら、
「状況判断が出来ないのをバカというんだ」と自分そっくりの叱り方をしていた。
ちなみに二人とも国立大学の大学院の出身。時々泣きそうな顔して弟子入り志願をしてくるのが
いるが、弟子にして大抵3ヵ月後には泣きそうな顔をして「辞めさせてください!」
談春師匠は板橋生まれで、戸田育ちだが、埼玉では初の独演会とのこと。
しかし、埼玉会館ってどこだ?と何人かに訊かれたので、さいたま新都心と答えておいた(笑)。
三遊亭円楽師匠が仕事で熊本行きの飛行機に乗った時、乱気流のために引き返すことになった。
その時、師匠慌てずスチュワーデスに「パラシュートあるかい?」
一方、家元談志は乱気流に遭遇したら、シートベルトを外して一人でジャンプしていた…。

などとマクラをふって「常、常じゃねえか」と「庖丁」。聴くのは一昨年夏の大銀座落語祭以来。
あの時は他流試合で、恐らく与えられた時間をオーバーしながらの一席だった。あとに上がった
桂雀々師が「まだかいな、と」とかイヤミを言ってたし。今日は独演会で時間がたっぷりあったせいか、
内容というより印象が随分と違う。前回は極力無駄を削ぎ落としていたので完成度が高く、全編に
そこはかとなく緊張感があったが、今日はいい意味でルーズな部分を混ぜているので笑いが多い。
始める前に長くて笑いの少ない噺だと言っていたのだが、実際には私は笑い通しだった。
また色男で羽振りが良い常と、落ちぶれた寅のキャラクターの対比もより鮮明になっている。
江戸を離れた寅が木更津に行き、銚子に流れ、「桐生、戸田、平和島…。真面目に落語をやれ!」
とか、殴ってきた常のかみさんに「清元の師匠って聞いていたけど、先祖は忍びか!」、
鰤のアラみたいな顔(黒くて、脂ぎってて、血腥い)なんてギャグも面白かった。
「上手く」も演れるし「面白く」も演れる。この噺を自家薬籠中のものにしている談春師の自信が、
噺にふくらみを持たせたのだと思う。サゲも「横丁の」をとって「魚屋に庖丁返しに行くんだ」。60分。

立川談春「妾馬」 昭和48年に戸田に引越した時は、埼京線も無くて成増へのバスがあるだけ。
高校は自転車で2分の南稜高校でアニメ「一休さん」を見終わってから登校していた。
緑の三つ揃いの制服は坊主頭の野球部には似合わなかったが、それ以上に談春師匠は“根性なしの
地上げ屋”のようになってしまった。その高校を中退して立川談志に入門すると決めた時、母親と
学校に呼び出された。中学に3日しか通っていない(!)母は怒られると思ってオロオロしていたが、
校長や教頭が「佐々木君は偉いっ!」
いよいよ入門の日、「もうこの家には戻れないんだ」と決意しつつ6時6分の始発バスに乗りこんで
振り返ったら、眠っていたはずの母親がバスを追いかけてくる、「直訴する農民みたいに」。
しかし母親は転倒し、その周りを飼い犬がキャンキャン駆け回っていた。
「それを見た時、帰れてもこの家には帰りたくねえなと」(なかなかいいシーンだと思うが)
落語家になってから母親に1万円のお年玉をあげたら「1枚だけ?」。
その態度が気に入らねえと翌年父親だけにあげたら、「“はずれ”って紙が入ってるね。そういう奴だ」。
両親は談春師匠に全く知らせずに引越そうとしたことがある。実家に行ったら引越しの最中で、
「何で黙って引越すんだよ」と言ったら、「鼻が利くんだよなあ」。
珍しく母親のことを長く語っていたが、この偽悪的な語り口は既に「妾馬」の八五郎そのもの。
客は自然に談春師匠と八五郎のイメージを重ねて見始めているという仕掛け。なるほど上手いや。

八五郎は前半は文字通りのガラッ八。袴を穿かされて「何だ?この窮屈袋」というのが可笑しい。
後半、酔っ払ってからは見事の一言。談春師匠が演じると「鰻の幇間」の冴えないタイコ持ちでも
いっぱしの芸人に見えるのだが、妹に「殿様のお世継ぎを生んだからといって、いい気になっては
いけない」と諭したり、母親を孫に会わせてやって欲しいと殿様に頼むあたりは、ただのガサツ者
ではない迫力に圧倒される。特に母親の件りは、マクラが効いているのだ。
ただ、赤井御門守の家臣たちが皆訛っていたのは不要な演出だったかも知れない。60分。

最後に幕を上げての挨拶は家元譲り。その談志の老いを心配する発言もして本当に幕。「庖丁」では寅が酔って小唄を歌うし、「妾馬」の八五郎は酔って都々逸を歌う。普通、寄席では続けないだろうけど、聴いている私たちも酔わせてくれるような一夜だった。こういう日は帰り道に一杯やらないわけにはいきませんね(笑)。毎回飲んでる癖にとか言わないように。
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by funatoku | 2007-03-16 15:05 | 落語 | Trackback | Comments(2)

新幹線「のぞみ」の名付け親は阿川佐和子

「週刊文春」07年3月15日号、葛西敬之氏(JR東海会長)と阿川佐和子さん(エッセイスト)の対談(阿川佐和子のこの人に会いたい)の冒頭部分から引用。

葛西 新幹線の「のぞみ」は阿川さんが命名されたんですよね。ご記憶ありますか?
阿川 深くありますっ!名前を決める委員に選ばれて伺ったら、すでに「希望」「きらら」「つばめ」「エース」などの候補が幾つかあって……。
葛西 二十ぐらいあったんですね。
阿川 私はノーアイディアだったから列車好きの父に相談したところ、「一つだけ言っておく。日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた。候補の中では『つばめ』しかないなあ」と。でも「ひかり」より速い新幹線が「つばめ」ってわけにもいかないって話になり……。
葛西 僕もそう思いました(笑)。ただ漢語も英語もカタカナもよくなくて、伝統を守ったほうがいいという阿川さんのお父さまのご意見はその通りだとも思っていました。
阿川 委員会では「希望」と「太陽」が有力候補になっていたんですが、私が最後に「一応父からの伝言なんですけど、日本の列車の名前は大和言葉で付けられてきたそうです。『希望』を大和言葉にすると『のぞみ』ですね」とだけ申し上げたんですよ。そうしたら「あ、そうですね。考慮に入れておきましょう」と。まさかそれが受け入れられるとは思ってなかったから、決まったときは「ウソッ、どうしよう!?」って慌てました(笑)。
葛西 僕は「のぞみ」は速度に関係ないコンセプトなのが、非常にいいと思いました。
阿川 今だから言えるようになったけど、最初の頃は友達が「今度の新幹線『のぞみ』だってさ。ダサ~い!」とかバカにしてたから、私がつけましたっていえなかった(笑)。
葛西 お陰さまで「のぞみ」がすっかり定着してよかったです。
阿川 名前って定着するもんですねえ。(後略)


知らなかった。この連載は全部書籍には収録されないようですが、日本鉄道史の一級史料ですね。
「きぼう」は昭和34~46年に運行された修学旅行専用列車名、「太陽」は前例が無い。
でも、この委員会に鉄道ファンの阿川弘之氏ではなく娘の佐和子さんを呼んだのは何故かな。
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by funatoku | 2007-03-12 00:24 | 旅日記・温泉・鉄道 | Trackback | Comments(0)

三遊亭円楽引退をめぐる断想

以下の文章は二つ前の「三遊亭円楽引退」の続きとして一週間前に書いたのですが、デリケートなテーマのせいか考えがまとまらず、しばらく寝かせるつもりで取り敢えずmixi日記に発表しました。しかし、一週間経っても特に考えがまとまらないので、そのままこちらに転載することにしました。両方読まれた方は申し訳ありません。(以下本文)

今日の日本テレビ「バンキシャ!」で円楽引退を取り上げていました。
私が見たかったのは最後の高座になった国立演芸場での「芝浜」の様子です。編集された映像は断片的に計30秒位でしたが、私の感想から言うと「これは引退宣言するのも無理ないかも知れないなあ」というものでした。

円楽師匠は一度ストーリーに入るとギャグなぞ交えず、思い入れたっぷりに人情噺を語るのが得意でした。ここ十年以上、義歯や人工透析の影響でめっきり高座数が減っていましたが、たまに出る時はトリで大ネタをかける、というある意味かなりプレッシャーがかかる状態でした。短い滑稽噺でご機嫌を伺うという芸風ではないのです。

近年、「笑点」での円楽師匠の司会ぶりは「問題や名前を覚えない」などとやや揶揄的に語られましたが、今となると既に脳梗塞を発症していたと見るべきでしょう。このように脳梗塞という病気は他人から理解されにくい性質があります。円楽師匠の心中は察する他ありませんが、私は身近に脳梗塞患者がいるので、もどかしさの一端が分かるような気はします。

ただ、私が生の高座に足を運ぶ理由の一つは、老いに直面した落語家がどのように芸と格闘するのか、その様子を見たいという部分があるのですね。まあ先発完投を信条とする剛球投手が、なかなか技巧派の中継ぎに転身出来ないのはよくあることなんですが、完全引退ではなく芸談などは続けるということなので楽しみにしたいと思います。(本文終わり)

さらに以下はmixiで頂いたコメントに対する私のコメント。

脳梗塞は落語家の大敵で柳亭痴楽、鈴々舎馬風、春風亭柳朝(いずれも先代)など引退を余儀なくされたり、長患いをした著名な落語家も多いですね。
ただ言語障害の程度は発症箇所によって個人差が大きいようです。今日見た限り円楽師匠の場合は言葉の記憶より、呂律や表情の方に問題が多いようでした。

(3/12追記)「週刊文春」(3/15号)の堀井憲一郎氏による「芝浜」レポートから断片的に抜粋。
口がまわらないところもある。言葉がすんなり出ず、本人の苛立ちが伝わる瞬間もあった。どうも、おかみさんの喋りがすっと出ないようだった。
今回の円楽「芝浜」は迫力で押し切られた。円楽を聞いてるといつも、うまいへたや口調の良し悪しを越えた、不思議な力に圧倒される。この人ばかりはナマで見ないと意味が無い。
それに、これだけできるなら大丈夫、また見られる、とおもって、とっとと席を立ったのだ。

やはりテレビではトチッった場面が特に流れていたようで、速断は禁物と自戒しました。
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by funatoku | 2007-03-10 16:33 | 落語 | Trackback | Comments(0)

知りたいあなたのための「越中詩郎」入門

リクルートの週刊誌「R25」今週号にプロレスラー越中詩郎の記事が掲載されています。
お笑い芸人・ケンドーコバヤシが物真似したことで、プチ越中ブームが来ているのでしょうか?

越中詩郎は1958(昭和33)年、東京生まれ。78年にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに
入団しましたが、若手時代の85年にアントニオ猪木率いる新日本プロレスに移籍しています。
これは二大団体の寡占状態だった当時としてはかなり珍しいことと言えるでしょう。
越中の選手生活のピークは2回ありますが、最初のピークはこの移籍直後に来ます。
当時の新日本では前田日明や藤原喜明らがより格闘技色の強いプロレスを打ち出していましたが、
この一派で売り出し中だった高田延彦のライバルとして白羽の矢を立てられたのです。
当初、越中は高田のムエタイ式キックに対応出来ずにサンドバッグ状態にされますが、
このまま引き立て役では終わらないところが非凡なところで、高田のキックを逃げずに正面から
受けまくることで注目を集め、二人の対戦は名勝負数え歌と呼ばれるドル箱になったのです。

越中の第二のピークは木村健悟、小林邦昭らと「平成維震軍」を結成した90年代です。
木村は藤波辰巳のライバル、小林はタイガーマスクのライバルとして名を上げた先輩選手で、
越中とは共通のバックボーンがありますが、いずれもピークを過ぎたと見られていました。
しかし彼らは当時、主力だった武藤敬司、蝶野正洋らのスマートなプロレスに対して、泥臭さを
前面に出すことで野党的な軍団として人気を集め、一時は単独興行を成功させるほどでした。
越中はこの平成維震軍のエースとして活躍したのです。一度物珍しさで売れても、二回売れることが
如何に難しいかを考えると、牛後ではなく鶏口となることを選んだ越中のセンスは卓越しています。

さすがに3度目のピークは来ないだろうと思われていたところに、「物真似される」という幸運に
恵まれました。美川憲一ら物真似されることで息を吹き返す芸能人が多いことを鑑みれば、
もうお分かりでしょうが、私は越中詩郎がこのチャンスを逃すはずが無いと考えています。
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「こしなかしろう」と読みます。「ド演歌ファイター」などと呼ばれるが、ビートルズの熱狂的ファン。
ちなみにこれがケンドーコバヤシの「越中詩郎漫談」
こちらは得意技ヒップアタックをはじめとする越中詩郎の名場面集です。
それにしても馳浩(黄色いパンツの人。現・衆議院議員)の見事な受けっぷりには惚れ惚れします。
コーナー最上段から飛んでくるヒップアタックを自然に、そして確実に受けることがいかに
難しいかは想像に難くありません。馳浩には相手の色に染まってみせる余裕と男気がありますね。
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by funatoku | 2007-03-03 01:37 | テレビ・ニュース | Trackback(1) | Comments(2)