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メロン記念日コンサートツアー2005冬(12/24 東京厚生年金会館)

コンサートのタイトルは「今日もメロン明日もメロン、クリスマスはマスクメロンで」

1 さあ!恋人になろう 1曲目途中で、何とか会場に駆けつける。衣装は赤と白を基調。
2 夏の夜はデインジャー! この2曲は02年のリリース順。

MC 4人で「メリークリスマス!」斉藤「一年ぶりのコンサート。お待たせしました」
村田「1階席の真ん中からこっち半分!…」この日は眼鏡無し。大谷「待っててくれて…」
柴田「柴田あゆみで~す」単独コンサートは一年ぶり、単独イベントも2月以来になる。

3 甘いあなたの味 ここからはデビュー曲からリリース順に3曲続ける。
4 告白記念日
5 電話待ってます
 ライブではとても盛り上がる曲。セールス的には厳しかったのだけれど。

MC 村田は手作り風のトナカイの角、大谷はサンタの格好で登場。
村田はワイヤーで出来たクリスマスツリーをテレビの上に飾ったとか。大谷「見た!」
村田さんとこは、まだ液晶テレビじゃないようだ。
大谷はクッキーを作ってきた。村田「(ボーイッシュなキャラクターで“まさお”などと言っているが)
雅恵ちゃんなんだよね」そう言う村田はお菓子を作ったことが無い。
そこで衣装を換えた斉藤、柴田登場して二人の被り物を見て笑う。知らなかったらしい。
二人のクリスマス話。何年か前のクリスマスイブに、柴田が石川梨華と過ごしたが、頼んだ
ピザを石川に食べられてしまった云々は、当時ラジオで喋っていた記憶がある。
昨日は村田と仕事の後、街で食事。カップルを眺めながらキーマカレーを食べていた。
斉藤は前田有紀、稲葉貴子と買い物に行ってパスタを食べた。斉藤は新潟にいた頃、表参道の
クリスマス・イルミネーションに憧れていたのだが、上京した年から中止されてしまった。

6 香水 ここからはしっとり系の2曲。金色の衣装でファーがついたものに換える。
7 シャンパンの恋

MC デビュー曲を4人で歌うのは久しぶりとのこと。そんなになるかと思い、後から調べたら、
恐らく03年の夏ツアー以来になるはずで、昨年6月には柴田が一人で唄っている。
シングル曲総ざらえになったのは、5周年を意識したらしい。まあ新曲もしばらく出てないけど。

8 MI DA RA摩天楼 セパレートの衣装。斉藤=紫、大谷=青、村田=黄、柴田=ピンク。
9 チャンスof LOVE
10 肉体は正直なEROS
 ここまで「大人の魅力」の3曲。

MC まず斉藤が一人で登場。先日、故郷新潟で大停電があり、斉藤家でも10時間も
電気が止まった。電話はつながらず、風呂に入れず、ご飯も炊けず、ランタンや蝋燭を使った。
続いて村田と交代。「電話占い」をしたというから何のことかと思ったら、遠くの占い師に
電話で占ってもらったということ。部屋の造りを当てられたらしい。「部屋に緑が足りない」
と言われたので、昨日柴田と食事をした帰りに観葉植物を買った。「安かったけど」
「安かったよね」と柴田登場。「525円!」メロンの四人が初めてつんくに会った時に、
「メロンぽい」と言われてグループ名をつけられたのだが、「メロンぽい」とはどういうことか、
ずっと気になっていたので、今回つんくにメールで尋ねてみたら、今日の昼過ぎに返信。
「若くても硬くて美味しい、熟しても美味しい」ということらしい。そして「出会った日が
記念日」と“メロン記念日”になった。「面白い名前だなあと、正直思うんですけど…」
柴田さんのこの「面白い」には、「おかしな」というニュアンスが強かったと思う。
最後は大谷。昨日は休みで、今日のために午後2時に美容院に行ったら、7時間もかかって
しまったが、そのうち5、6時間は放置されていた。モヒカンにしようとも思ったが、
みんなに“引かれる”と困るので、モヒカン風にサイドを編んでみた。

11 ガールズパワー・愛するパワー レザー風の衣装に。ここから怒涛の6連続。
12 遠慮はなしよ!
13 涙の太陽
14 かわいい彼
15 さあ、早速盛り上げていこか~!!
16 This is 運命
 サビを前に回したリミックス・バージョンだった。

EC1 赤いフリージア 久々に「赤いフリージア」の衣装。
EC2 ほとんどがあなたです

MC 大谷。みんなの声が大きい。「みんなと楽しい人生を共に生きていこう」
村田。「皆さん用事があるのに来てくれて」に会場から「用事なんか無いよ」の声がかかり、
「そんなに(自分たちに)気を使わなくても…」
柴田 世間ではクリスマスのイルミネーションだが、会場のサイリュウムが自分たちの
イルミネーション、と言ったところで会場の明かりを落とす。「緑が多いですね」
斉藤。デビュー5周年。「成長したでしょうか」

EC3 ENDLESS YOUTH ラストのこの曲では会場の客も唱和する。
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by funatoku | 2005-12-31 03:42 | メロン記念日 | Trackback | Comments(0)

リビング名人会 立川談志(12/22 よみうりホール)

立川談志「ぞろぞろ」 「労働意欲を失わせる会場だね。そごうの頃は良かったけど、
電気屋の上で演ってるのかと思うと…、芝浜演るところじゃないね」確かにエレベーターは
ビックカメラと共用なのである。欠陥マンションについて、「“お化け長屋”の了見が無い。
安かろう悪かろうという…。小嶋ナントカも有名になって、下手すりゃバーでモテてる」
体調が悪く、「面白いものが何にも無くなっちゃった。死のうかと思ったら、今年ポール牧って奴が
先に飛び降りてる」。などと言ってるけど、見た限りは声に張りはあるし、元気そうなんだけどなぁ。

小咄。病院の看護婦が局部に刺青をしている患者のことを、仲間に話している。
「アダムって彫ってあるでしょ」「あたしが見たときはアムステルダムって読めたけど」
運転していた車が事故に遭い、同情していた妻が死に、夫も重症を負った。
見舞いに来た友人が「大変だったな」。夫は「笑うと痛えんだよ」

などと聴いているうちに、二日連続で忘年会だった影響なのか睡魔に襲われ、気がついたら
「髭があとからあとから、ぞろぞろー」。年に何度も家元を聴ける訳じゃないのに、不覚の一言。

立川談志「芝浜」 「(芝浜を演るのは)年に一度で…。生きてるのがやっとなので、
今日は早いと思いますよ」などと言ってるうちに、すーっと「ねぇ。商いに行っておくれよ」

冒頭の勝五郎の荒れ具合は談春師より上で、「頼んだよ」「頼まれねえよ」とか。
「寝てるといい心持ちというのは、起きると分かるね」なんて台詞は家元っぽい。
芝の浜辺での嗽のシーンが詳細にして、オヤッと思うほど長い。
浜辺で財布を拾って、「海のものは大抵魚屋のもんだろう」というのは可笑しい。
「商いに行きたくない奴のところに(財布が)来る」という気持ちは分かる気も…。
女房が亭主に財布の件は夢だったと説明する場面、「夢を見たんだよ」という台詞が一往復早く、
客もそれに気づいたので「ついでに下げちゃおうか」などと照れるが、すぐ本題に戻す。
そう言えば、噺の途中で解釈や薀蓄が入るのが近年のデフォルトなのだが、この日脱線した
のは、ここと「棒手振りなんていい言葉だね。若い頃から昔の事をよく知っていたけど…」
とボヤいた所の二つだけ。噺の世界にぐんぐん入っていく往年の迫力を、久々に実感出来て満足。
「よそう、夢になるといけねえ」とサゲた後で、いつものように一旦下りた幕を上げさせたものの、
「今日は喋らない方がいいか」と、すぐに深々とお辞儀をして再び幕を下ろさせた。

「人情噺の傑作とされている。この女房を最高の女と崇め奉る人と、嫌な女だと眉をひそめる人が
いる」(立川志らく『志らくの落語二四八席辞事典』)私はどちらかというと後者かな。
「私の師匠立川談志は、女房をなんだかわからないけど夢にしちゃったの、という可愛い女にして演じている。この演出に、ファンは感動した。(略)従来どおりの女房で描いていたとしたら、人々は熱狂しない。“良い噺ですね”と微笑む程度だろう。だから現代においては、可愛い女房で演ずるのが正解なのです。ただでさえ女が強くなってきてる時代だ。貞女なんて御免蒙ります」(前掲書)
なるほどなぁ。しかし、財布を下げ渡されてから2年間も黙っていた女房の心境を考えると、
私は彼女を“可愛い女房”と呼ぶのはちょっと抵抗が…。いえ、とても好きな噺なんですけどね…。
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by funatoku | 2005-12-31 00:49 | 落語 | Trackback | Comments(0)

<有楽町噺小屋>立川談春~談春の時間~(12/2 東商ホール)

立川談春「紺屋高尾」 先日、福岡県の黒崎というところで仕事がありホテルに2泊した。
ところが、帰ろうとしてホテルを出た途端に、テレビのレポーターに囲まれてしまった。
「いくら今年ちょっと良かったからといって、テレビのレポーターに取り囲まれる筈はない。
これは師匠談志が死んだなと(笑)。円楽師匠なら俺のところに来るわけないし、或いは志の輔
兄さん?それとも志らくが刺された?或いは(柳家)花緑が(林家)きく姫に刺された?」
などと数秒のうちに色々考えていたら、レポーターが「債権者の方ですよね」
何事かと思ってフロントで訊いたら「実はこのホテルを設計したのが姉歯建築士だったんです。
今日のお客様が全員チェックアウトした後で、営業停止ということになりまして…」
記念に備品をくれと言ったら、支配人室に通されてタオルセットと1万円入りの封筒を渡され、
“今日のところはこれで穏便に…”。「俺をヤクザだと思ってるの。立川談春って書いたのに」

二葉亭四迷は“I love you”を「あなたとならば死ねる」と訳したそうですが、とふってから本題へ。
吉原の花魁・高尾太夫に一目惚れした初心な職人が必死に金を貯めて花魁に逢うと、
彼の純情にほだされた高尾が、年季明けに職人に嫁入りするという筋は「幾世餅」と同じ。
今年は「幾世餅」を志らく、たい平両師匠で聴いているが、「紺屋高尾」は久しぶり。
「幾世餅」同様に、久蔵が恋の病で寝込んでいる場面から始まることが多いはずだが、談春版
では、久蔵が親方に「結婚します」と告げて、花魁の身分について説明される場面が発端。
吉原の仕組みについての説明を兼ねている趣向なのだろうか。ちょっとまどろっこい気もする。
前半は主人公久蔵より紺屋の主人・六兵衛が印象に残る。一目見ただけの花魁を何年も思い
続ける久蔵にさっぱり共感できないのは、吉原自体が歴史の一頁になってしまったせいか、或いは
私が初恋から遠い年齢になってしまったせいなのか。だが、ひとかどの人格を思わせ、リアリスト
にして狂言回しの六兵衛をキチンと描いたことで、私は自然に噺に入っていくことができた。
やり手婆風の六兵衛の女房をコメディリリーフに使うあたりも、絶妙のバランスの良さで唸る。
久蔵が寝る間も惜しんで3年働いて、というところで、タイムの仕種をして「ちょっと休憩。
この噺長いから、立ってる人は席に着いて」遅れてきた10数人の客が慌てて着席する。
「これで、どうかなっちまう芸人じゃねえんだ」自信の現われが嬉しい。
寝る間も惜しんで稼いだ15両の使い道を問われて「高尾を買うんです」という久蔵に、
「鷹を飼う?やめとけ」というとぼけ方、ようやく事情がわかって女房に「どうするんだよ」
「(久蔵に)泣くな!(女房に)笑うな!」こういうところで爆笑させるのは凄いなあ。

久蔵が六兵衛に帰ってこいと言われる故郷は上総湊。「薬で治す医者はいても、女郎で治すのは
先生だけ」なんて不思議なおだてられ方するのは藪井竹庵先生。その六兵衛の店があるのを
神田紺屋町ではなく神田お玉が池にしたのは、何となく談春師らしい演出という気もする。
後半は久蔵より高尾が印象に残る。通常の演出では高尾(或いは幾世)は男から見た理想の
女として、余り具体的に描かれないのだが、談春版では嘘で固めた世界を粋と言われて育った
高尾が、本音しか語らない野暮な久蔵に戸惑い、惚れる心理をも描こうとしているのである。
久蔵が自分は職人だと白状する場面、演じていないのに高尾の表情が確かに伝わってくる。
これは大変な技術であるが、リアリティをもたらすかも知れない反面、廓噺の空気を壊しかねない
両刃の剣だ。近年の談志師は噺の途中で自分の解釈を説明することが多くなったが、
その影響なのかな。ただ私には理想の女より、こういう血が通った女の方が、しっくりと来るように
感じられる。そういう意味でも談春師の意欲的な演出に拍手をしたい。約65分。

立川談春「芝浜」 座るなり「どうすんだと思ってんでしょ、一席目からあんな噺やっちゃって…。
一年に一ぺんくらい恥かきゃいいんでしょ」と言い捨てて、「ねえ、起きてよ」
ありゃりゃ、何と「芝浜」である。ダブルヘッダーで2試合とも完投するような無茶と言うべきか。

この「芝浜」も登場人物の心理を、談春師なりに問い詰めたような緊迫感が伝わってきた。
例えば魚屋が芝の浜辺で財布を拾ったのは夢で、その後どんちゃん騒ぎをしたのだけは本当
というのは、落語的文脈での笑わせ所ではあるのだが、談春師はそれだけでは満足せずに、
魚屋勝五郎に「話全部を無いことにすんの?」などとたっぷり疑わせてリアリティを出すのだ。
「夢だ」と言われてすぐ信じてしまっては、演じ方によっては馬鹿に見える。二度目に魚屋を
起こす前の女房の一瞬思いつめたような表情は、W列という遠い私の席まではっきりと見えた。
魚屋が心を入れ替えて働き始めるところで噺をいったん止めて、ちょっと真剣な表情で
「人間変わったんだと思う。どう変わったのか(桂)三木助師匠なら分かるんでしょうが」
「芝浜」を十八番にした三代目三木助師は、若い頃博打にはまった時期があるのは有名。
「(自分が)博打を止めたら、つまんない芸人になっちゃったりしてね。通り一遍の」
談春師の競艇好きもまた有名である、特にこの独演会の客の間では(笑)。

三年後の大晦日、女房が魚屋に四十二両を拾ったのは真実だったと告げる場面。
これもすぐに「俺が悪かった」とはしない。「いいよ。もういいよ。(略)俺が悪いんだよ。
あの頃の俺はおかしかった。(略)分かった。分かったけど……、面白くねえじゃねえか」
この噺、ちょっと女房が出来過ぎという感じもするのだが、賢妻にしてやられた亭主の立場の
無さを、こうしたたっぷりとした独白で描ききっているのである。60分。

そう言えば途中で「志らくに怒られるんだけど」「ああいう大将(談志)だから」などと呟いていたが、
場面ごとの登場人物の心理をとことん追求するのが、現在の談春スタイルなのかも知れない。
この文章を読み返すと、いかにも笑いの少ない噺だったように受け取られかねないのだが、
二席とも要所要所できちんと笑わせながら、リアリティのあるドラマ性をも持ち合わせているのだ。
それにしても「紺屋高尾」「芝浜」を続けて聴いて、両方に満足するなんてことは、もう二度と
無いかも知れないなあ。本当に来て良かった。
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by funatoku | 2005-12-03 01:08 | 落語 | Trackback(1) | Comments(2)

立川志らく「志らくのピンパート3古典落語編」(11/22 内幸町ホール)

立川志らべ「粗忽の釘」

立川志らく「平林」 先日の芝居「あ・うん」の話題から。「(芝居は)いい反響です。
ただセットが立派になったら、お客さんを入れる場所が無くて、ボートピープルのようになってしまい、
いったん座ったら2時間半身動きが取れない…。芝居が終わって、お客さんが泣いているので、
よっぽど脚が痛かったのかと思ったら、感動して泣いていたんです」
「芝居は落語と違って登場人物に“なり切る”ので、未だに2枚目の了見が抜けない」
そして話題は偽造マンションへ。「姉歯建築士、輝きが失せた春風亭昇太みたい」
当事者のくせに他人事のような姉歯は「崩れるマンションに住まわせるしかないでしょう」
サーヤの結婚「“良かった、相手が見つかって”と国民がみんな親戚のような気分に…」

「平林」は最近演じられなくなった前座噺。立川談志からも教わったことは無い。
別の噺を談志師に稽古してもらった時、「お前、駕籠担いだこと無いのか?」と言われたが、
ある訳ない。じゃあ、実際に担いでみようと、師匠と二人で箒を駕籠に見立ててエッサホイサと
部屋の中を担いで回った。「人が見たらさぞ不思議な光景じゃないかと」
差し向かいで稽古している時、師匠がトイレに行ってしまった。話すのをやめて待っていたら、
トイレの中から「続けろ!」。「しょうがないので、トイレに向かって喋った」
ある時、談志師がご隠居さん役になって、八っつぁんの会話を稽古をすることになった。
あの談志がご隠居さんかと思うと緊張してどもってしまったが、談春はいっこうに平気で、
「用が無けりゃこんなとこに来るもんか」

「平林」の小僧のキレ具合は、志らく師匠得意の「ひとりキ印もの」に近くて爆笑させられる
のだが、如何せん相手の苗字を覚え損なっているだけなので動機は弱い噺だわなぁ。
主人「気でも違ったか」小僧「いえ字が違ってます」というオチ。
ところで志らく師は題名を「たいらばやし」と読んでいたが、青蛙房の「増補落語事典」では
「ひらばやし」となっている。どちらも噺の中に出てくるので、一方が正解というようなもの
ではないのだろうが、談志師だけでなく誰からも稽古をつけてもらっていないのかも知れない。

立川志らく「穴泥」 泥棒の小話にはろくなものが無い、と言いつつ、泥棒を追いかける
男に「泥棒はどこ行った?」「後から来る」など幾つか並べる。

確かに落語に出てくる泥棒は浮世離れした間抜けな人間ばかりなのだが、この穴泥も変な噺だ。
3両の金策に困り、大きな屋敷に入り込んだ男が、出てきた屋敷の子供をあやしているうちに
庭の穴に落っこちてしまう。かけつけた家の主人が出入りの職人に、降りて捕まえるように
頼むが、男に脅されて尻込みする。主人「なら3両出そう」男「3両ならこちらから上がる」
そもそも、屋敷に入ったのは戸が開きっぱなしで不用心だと注意しに入ったのに、台所で
酒を飲み始めたりする。最初は泥棒の了見ではないのに、穴に落ちて誰何されて「俺は泥棒だ」
と開き直るのが唐突に聞こえる。とは言えこの“泥棒”の心理を詳細に演っても意味がなさそう。
志らく師匠は穴に落ちた男の哀愁ある佇まいが、この噺の肝と考えているようだ。

立川志らく「松山鏡」 この日の4席は全てネタ下ろしで、芝居が終わってから10日ばかりで
全て覚えるという荒業だったという。
誰も鏡を知らない村。親孝行な男が、鏡に映った自分を見て亡き父だと思い、女房は鏡に映った
自分を見て、亭主が隠している女と思い込み喧嘩になる。仲裁に入った尼さんが鏡を覗き込み、
「もう大丈夫だ。中の女は坊主になった」。
「先がだいたい読めてしまうので、いかにくだらなくやるか」(立川志らく『全身落語家読本』)
星新一のファンタジーのような雰囲気だと思ったが、考えてみればそれでは順番が逆だ。
星新一の方が落語の影響を受けているという事なのかも知れない。

立川志らく「掛けとり」 大晦日に借金を返せない男、相手の好きな芸事の話題を持ち出し、
借金取りを追い返そうとする。普通は「掛け取り万歳」と題されることが多いが、三河万歳の
部分が分かりにくいので省略し、題も「掛け取り」にしたとのこと。
まずは支払いが滞っている店賃を取りに来た狂歌好きの大家を、即興の貧乏狂歌を並べて
感心させて追い返し、喧嘩好きには喧嘩、芝居好きには芝居、義太夫好きには義太夫と
次々と対抗する。そして落語好きの借金取りに落語の話題ということになるのだが、ここで
三遊亭円生、春風亭柳好、三遊亭金馬(先代)の真似を畳み掛けてマニア心をくすぐって
おいて、最後は何と映画で、ゴダール「勝手にしやがれ」まで出てくる志らくオリジナル版。

こういう噺だと志らく師の速いテンポが活きるなあ。色々と挿れ事が出来る噺なので、
また機会を改めて聴いてみたいと思う。
それにしてもこの主人公、実に多才で機転が利く。その才能を活かせば、そんなに借金を
つくらなくても済んだような気がするのは私だけ?

独演会だと1席は大きい噺というケースが多いが、この日のように軽めの噺が4席、という
のも肩の力が抜けていて私は好きである。演る方はむしろ大変なのかもしれないけれど…。

<12/20追記>
今日更新された志らく師匠のブログに、この日に書いた疑問への回答のような記述がありました。

私の落語の作り方は、まず喋ってみる。無の状態から。それであまりに喋れなければ速記本を読む。一度だけ。で、もう一度喋る。たいていはこれでもう喋れる。
それから頭の中で作り始めるのだ。キャラクターを変え、ギャグをつくり、噺の順番を入れ替え、やがてその落語のテーマが見えてくればしめたもの。だいたい80%の仕上がりにしておいて、本番に突入。本番でテンションをあげ、アドリブを己にかましまくる。それが受ければ成功。
で、今年は「お直し」「「浮き床」「掛取り」の三本が自分のネタになった。普通の落語家さんの稽古方法とは全く違う。本来はちゃんと師匠、先輩から教わり、あげてもらってから発表する。これが稽古の伝統であり、ルールだ。しかしそんな暇はない。もう20年もやっているのだ。自分で作る。私にはそれが正解だし、伝統からはずれるといわれるのならそれは仕方ない。


志らく師の凄みを感じる文章ですね。なかなか言えることではないでしょう。もう地肩の強さが違う。
客席で落語を聴く側にとっては、「この人はこの噺を誰に教わったのか」よりも、噺が面白いかどうかの
方がよっぽど重要です。しかし、やっぱり気になるんですよねえ、この演出は誰流か、とか…。
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by funatoku | 2005-12-03 01:00 | 落語 | Trackback | Comments(0)