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浅野啓司投手(元・ヤクルト)のこと

かつて毎週読んでいたこともあるが、今では年に数冊しか買わなくなった「週刊ベースボール」の
10月3日号を買ったら、「想い出球人」という連載記事に浅野啓司さんが登場している。
昔、東京の子供は巨人ファンが多かったのだが、子供の頃からへそ曲がりだった私は、当時
弱かったヤクルトのファンになった。浅野さんはそのヤクルトの主力投手だったのである。
当時、ヤクルト投手陣には松岡弘や安田猛がいたのだが、松岡はコントロールが悪く、すぐに
2-3になるので、子供心に見ていて苛々したものだ。一方、安田はズングリとした体型で、
後年漫画「がんばれタブチくん」のキャラクターにもなった位で私は好きだったのだが、
その技巧派の極北とも言えるピッチングの真価を理解していたとはとても思えない。

それに比べて、浅野投手はゆったりとした美しいオーバースローの本格派だが、制球がよく、
糸を引くような速球や、縦に割れる大きなカーブ、切れのいいシュートを低めいっぱいに決める。
力で押すよりも理詰めで打ち取ってゆくタイプで、見ていて分かりやすく、そして快感があった。
あれは何年のことだったか、親に連れられて行った後楽園球場の巨人・ヤクルト戦で浅野さんが
巨人を完封した時は、喜んだのなんの。しかもヤクルトの2点は九回表に入ったものだった。
投げ合った相手は関本四十四という記憶があるが、堀内恒夫だったかも知れない。
あと、私は子供の頃は眼鏡をかけた選手が好きだったのだが、これは同級生が次々に近眼に
なって、メタルフレームの眼鏡をかけるのを羨ましく思っていたためだろう。
浅野さんの他には稲葉光雄(中日)、白石静生(広島)、高橋直樹(東映)らが眼鏡をかけていた。
ついでに言うと、私は未だに視力が2.0近くあって眼鏡に縁が無いのだが、遠からず老眼鏡の
お世話になりそうな気配ではある。勿論今は眼鏡に憧れてはいないが(笑)。

浅野さんは1949年生まれ。ラジオのナイター中継が野球にのめりこむ契機だったという。
すぐ長嶋さんのファンになりましたね。ただ、巨人ファンではなかった。むしろアンチ。ピッチャーだったから、こんなチームに投げてみたいなと。
福山電波工高(現・近大福山高)ではエースとして活躍するが、甲子園へは行けなかった。
ひとつ下に村田兆治がいたんですが、彼と一緒によく走りました。兆治は球が速かったけど、コントロールが悪くて上に行ったり下に行ったり、全然キャッチャーのところに行かなかった(笑)
ドラフト9位でサンケイ(現・ヤクルト)に入団、1年目の67年からリリーフとして頭角を現し、
50試合に登板して8勝12敗、防御率2.76。新人王は7歳年上の同期・武上四郎(故人)だった。
70年から先発が増えた。チームが弱かった時代で、前半に6勝し、オールスター休みでヒジを壊して後半投げてないけど、石岡康三さんと一緒にチームの勝ち頭。チーム全部で33勝ですからね(笑)
年間256イニングを投げた74年、ある時打者の動きがスローモーションに見えたという。
ヒジに痛みがあって、軽くしか投げられなかったんですが、突然バッターの打ち気が見えたんです。これがわかると、打ちそうならボール球、ないときはポンとど真ん中を投げられる。これで球の力が落ちてもいける、40歳までできると思いました。
榎本喜八もそうであったように、一流選手はこういう境地に達することが間々あるらしい。
ここまで8年で66勝。大投手への道が拓けたかに見えた。しかし、翌年…。
腰を痛めてしまった。次の年は粘ることができず、投げるのがワンテンポ早くなって、打者が見えなくなったんです。
ヤクルトを初優勝へと導くことになる広岡達朗監督の指導法にも合わなかった。
76年夏には、ある程度投げられるようになったんですが、広岡さんは投手にみんな同じ投げ方をさせようとした。僕は投手としては決して体が大きいわけじゃないし、大きい人と同じトレーニングをして、同じ投げ方をしても勝てないじゃないですか。だから「僕は自分のやり方でやります」と。ふだんはそうでもないけど、野球に関しては頑固でしたね。
77年倉田誠とのトレードで巨人に移籍してしまい、アンチ巨人の私としては残念だったのだが、
この年、9勝4敗1Sをあげ、カムバック賞を受賞する。王貞治が756号の世界記録を達成した
試合の先発も務めた。しかし、翌年から引退する84年までは、故障に悩まされ続けた。
(77年で)燃え尽きたこともあります。悪い時期の後だったし、なんとか結果を出したいと必死にやりましたから。それと腰を痛めて以来、無理が掛かったのか、ヒジや肩がすぐ痛くなるようになってしまいました。(略)最初の8年で66勝。その時は100勝なんて簡単だと思いましたが、その後、全然伸びなかった。いやになるくらい(笑)
18年間の通算成績は542試合登板(歴代47位)、86勝116敗10S、防御率3.39。

皮肉なことに巨人に移籍してからの方が知名度は上がったと思われるが、そもそもは強い頃の
巨人相手に快刀乱麻の活躍をした名投手として、記憶されるべき人であると私は思う。
巨人戦はお客さんも多いし、テレビ中継もあるから、やっぱり特別。球団も「巨人戦だけは頑張れ」みたいな雰囲気があった。
引退後は野球解説者を経て、ヤクルト、日本ハム、台湾プロ野球でコーチを務め、現在は
白鴎大学野球部の特別コーチ。プロ経験者が大学野球で実質的監督業を務めるのは珍しい。
コーチの仕事は好きですね。技術を理論付けるのは得意だし、選手にのめりこむタイプ。自分で言うのもなんですが、熱心なコーチだと思います。優秀かどうかは分かりませんけど(笑)
かつてのファンとしては、是非“浅野監督”の勇姿を見に行かねばなるまい。
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浅野さんはマスターズリーグにも参加しているとのこと。美しい投球フォームは健在でしょうか。

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by funatoku | 2005-10-04 04:02 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(4)