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台風11号、関東に接近か?

台風11号、首都圏縦断の恐れ…東北にかけて強い雨

 強い台風11号は25日夜、静岡県や神奈川県などの一部を暴風域に巻き込みながら、伊豆半島・石廊崎の南西の海上を時速約20キロで北東に進んだ。
 台風の接近に伴い、東海や関東地方で激しい風雨に見舞われるところが出ており、静岡・御前崎では25日午後8時10分に最大瞬間風速45・7メートルの暴風を観測した。また、神奈川県箱根町では、25日午前0時からの雨量が370ミリを超えた。
 気象庁の観測によると、25日午後9時現在、11号は石廊崎の南西約40キロの海上にあり、中心気圧は955ヘクト・パスカル、中心付近の最大風速は40メートル。中心の南東側110キロ以内と北西側70キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いている。この台風の影響で、空の便に欠航が相次いだのを始め、JR東海道新幹線にも遅れが出た。
 11号は、関東地方に上陸する見込みで、その後、首都圏を縦断し、26日午後には茨城県から福島県にかけての太平洋沿岸で再び海上に出る見通し。また、進路にあたる東北地方では、26日午後6時までの最大雨量が250ミリとなるところもある。
(読売新聞) - 8月25日22時53分更新

これを書いている今も、私の部屋の窓には時折、横なぐりの雨が叩きつける音が聞こえています。
大抵の台風は関東に近づくと、勢力が衰えたり、進路を東に変えたり、速度を速めたりするので、
これほど東京を直撃しそうな台風は久しぶりです。皆様も充分に御注意ください。

と、言ったものの私、実はNHKの深夜の台風情報が結構好きなんです。30分毎に流れるのを
昔は酒飲みながらボケーッと待ってたりしたものです。合間の静止画像の時に流れるBGMも
ヒーリング系というのか、ニュー・エイジ系というのか、夜中に聴いてると結構いいんですよ。
日常の中に舞い込んできた“非日常”という感じが私好みなのでしょうが、不謹慎ですね。
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(追記)結局、千葉県をかすめて太平洋に抜けましたね。東京西部では夜半過ぎには静かになり、
朝には雨も風もおさまっていました。朝の電車も若干遅れていた程度でした。
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by funatoku | 2005-08-26 00:14 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(0)

ウディ・アレン監督・脚本「メリンダとメリンダ」(恵比寿・ガーデンシネマ2)

ニューヨークのイタリアン・ビストロで4人の男女が議論をしている。喜劇作家は「人生の本質は
喜劇だ」と主張し、悲劇作家は「悲劇だ」と応じる。同席した男が「ホームパーティーに突然、
女が現われた」という実話を紹介し、二人の劇作家はこの同じシチュエーションで、ストーリーを
考える。つまり、以下は二人がその場で創作したストーリーという設定なのである。

悲劇編。俳優のリー(ジョニー・リー・ミラー)と音楽教師ローレル(クロエ・セヴィニー)の
ホームパーティーに、突然ローレルの学生時代の友人メリンダ(ラダ・ミッチェル)が現れる。
またこの女が迷惑な奴なんだ。自己中心的で、精神不安定で、不幸を招き寄せるような女。
医者と結婚して二人の子供を生んだが、浮気して離婚され、その浮気相手にも捨てられて、
精神病院に入っていたという。こんな女にしばらく泊めてくれなんて言われたら、リーならず
とも迷惑がるよ。メリンダは連れて行かれたホームパーティーで知り合ったピアニストの
エリスと恋に落ちる。自分を悲劇のヒロインと思っているもんだから、芸術家には弱い(笑)。
しかし、結局エリスはローレルと付き合うようになってしまい、それを知ったメリンダは
窓から飛び降りて自殺するだのしないだの騒ぎになって…。もう見事なまでの不幸の連鎖反応。

喜劇編。俳優のホビー(ウィル・フェレル)と映画監督のスーザン(アマンダ・ピート)が、
スーザンの次回作のスポンサー接待のホームパーティーをしていると、今日階下に引越して
きたばかりだというメリンダ(二役)がふらつきながらやって来て、睡眠薬を飲み過ぎたという。
こちらも迷惑度は相当なもんだが(笑)、スーザンと上手くいかなくなっていたホビーは、
メリンダに惚れ込む。スーザンがメリンダと付き合わせるために設定した、金持ちの歯医者との
ダブルデートの時も、ホビーはイヤミばかり言っている。やがて、スーザンのスポンサーとの浮気が
発覚して、離婚することになったホビーはこれでメリンダと付き合えると喜んだが、メリンダに街で
知り合ったピアニストのビリーと恋に落ちたと告げられる。メリンダたちが独身に戻ったホビーを誘った
パーティーで、ホビーはセクシーな共和党員(!)といいムードになるが、この女最近フラレた怨みが
甦ったのか窓から飛び降りるだの大騒ぎになり…。騒ぎがやっと納まったところへ、メリンダがやって
来て、「あなたの気持ちにやっと気がついた」と恋心を打ち明ける。おいおい。最後は急転直下で
話がうまく進み過ぎだよ。男の願望がむき出しじゃないの(笑)。

二つの話が交互に出てくるので、私なんぞはどちらがどちらだったか混乱しかかってしまう。
悲劇編はクラシックがBGMで、喜劇編はジャズだったりと、変化をつけてはいるが、段々と
実は悲劇も喜劇も、それほど違いは無いということに気が付いた。つまり、それがこの映画の
テーマなんでしょうな。対象との距離や関係次第で、喜劇と悲劇は背中合わせなのである。
大体、理屈っぽいダメ男ホビーと、天然迷惑女メリンダが、付き合い始めて上手くいくのか。
ハッピーエンドの先にも、「ハッピー」が続いているとは限らない訳ですね。

ラダ・ミッチェルの悲劇メリンダの不幸オーラはなかなか迫力があった。喜劇メリンダと
同一人物が演じていると分かっているのに、別人のように見えてしまうくらい。
一番笑わされたのはウィル・フェレル。前述の文を読んだだけで気付いた人もいると思うけど、
これは昔ならウディ・アレンが自分で演じた役。「あの男は僕の役だったね。何年か前だったら、
絶対に演っていたと思うよ。でも今の僕はそんな歳じゃない」とアレン自身も語っている。
アレンとは逆に、小太り大柄でぬぼーっとした雰囲気なのだが、ダブルデートの途中で悪態を
つき続ける場面とか、スーザンに離婚を切り出されて、嬉しさをかみ殺す場面などは、
もうただただ可笑しくて、そして往年のアレンの演技が眼に浮かぶようだった。
クロエ・セヴィニーはお嬢様育ちの主婦が似合っていたが、ストリート系のインディーズ
映画出身とは意外。ただ本人自身は中流家庭の育ちで、こちらの役の方が自然なのだとか。

映画で重要な場面になるのがホームパーティーと、それを可能にする広いアパートメント。
そういう点でもアレンの一連のニューヨークものの系列に入るだろう。
昔ほどアレン映画が一般受けしなくなっているのは、アレンの描くニューヨークが微妙に現実と
ズレてきているのかも知れないが、小津安二郎が描く東京だってあくまでも虚構の東京である。
既に殿堂入りしてしまったかのようなアレン映画が再評価される日も、遠くないと私は思う。
アレン今年で70歳。これから撮る映画を全て見逃さないようにしたい。
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悲劇メリンダ(右)とローレル。チェーン・スモーカーという設定が不幸感を高めている(笑)。
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by funatoku | 2005-08-20 14:26 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(0)

柳家喬太郎独演会(8/10 横浜にぎわい座)

柳家こきち「松竹梅」

柳家喬之進「唖の釣り」 「(自分の名の書かれたメクリを見ながら)柳家…ピアノマンです」
「器用な唖だ。口を利いた」のオチは有名だが、意外にかからない噺で、私は初めて聴いた。

柳家喬太郎「ぺたりこん」 開口一番、2階席まで満員になった場内を一瞥し、「何でそんなに
入ってるんですか!」「ピアノマン。何かオチがあるのかと思ったら…。何だか楽屋の小言みたいに
なってきました」「東京の落語家には4派ありまして、落語協会、桂花丸属する落語芸術協会。
三遊亭王楽属する円楽一門…。何故この名を出したかというと、今日楽屋に来ているので」
「何をトチ狂ったか4年前から落語協会は円朝祭を、本当に縁日のようにしたんですね」
「扇子供養では…、扇子を豆腐に差す(笑)。お客さんが噺家から扇子を貰ったら、大喜利の
答えが書いてあった」その円朝祭,今年は大変な人出で、谷中全生庵から千駄木駅まで行列が
出来た。「まるで炊き出しに群がるホームレスのようで…。只今不穏当な発言がありました」
柳家権太楼師匠に誘われて、並んでいる人に謝りに行ったら、前座が「最後尾」の看板を
持っていて、入場まで50分待ちだという。「“最後尾”とか“入場制限”なんて、落語界には
無い言葉ですよ。池袋演芸場では、最前列イコール最後列なんですから」
楽屋で円朝祭の噂をしていると、柳貴家小雪が「あのう、それ出なくちゃいけないんですか?」
「出なきゃいけないってことはないだろうけど、まあ、協会が主催する行事だからね」
「私、円朝師匠って方に会ったことないんですけど…」
それを聞いた五明楼玉の輔「キャリアでいうと、さん喬師匠と雲助師匠の間くらいかな」

今日予告されていたのは、その三遊亭円朝作の「牡丹灯篭」の普段余り演じられない部分。
「何故演じられないかというと…、面白くないんです。ここは怪談でも無いし、陰気な噺で」
しかし、この三遊亭円丈が20年前に作った新作落語もかなり陰気な作品ではある。
何故か掌が会社のデスクに貼り付いてしまった、冴えない中年サラリーマンの不条理劇。
意地悪な上司が彼を「備品」扱いにしていたぶったりする。ただ、「入社した時の上司が、
部下になっている」というのは、20年前にはギャグになったのだろうが、今では一般的に
なり過ぎて、身につまされる人が多いのではないか。その上、この男ひと月後に衰弱死してしまう。
何とも救いの無い噺なのである。しかし、聴く者にそれを感じさせずに爆笑させるのは、
喬太郎師のコメディアンとしての図抜けた演技力である。恐らく原作者・三遊亭円丈が演じた時は、
客は笑うというより呆気にとられたのではないかなあ。あの人、結構怖い顔しているし…。

柳家喬太郎「牡丹灯篭 本郷刀屋から飯島討ち」 中入りを挟んで、いよいよ本日のメイン。
会った人によく言われるのが、「実際に会うと普通なんですね」と「着物じゃないんですね」
「先程もシャツのボタンが取れかかっていて、楽屋で前座が“ボタン取ろう、牡丹灯篭…”」

『怪談牡丹燈籠』(岩波文庫)の1、2の冒頭、3、5の前半、7の後半、13の中程にあたる。
寛保三年、湯島の刀屋の店先で黒川孝蔵というタチの悪い侍にからまれた飯島平太郎、
唾を吐きかけられる侮辱を受け、黒川を切り殺す。
「斜に三つにきられて何だか亀戸の葛餅のようになってしまいました。…円朝師匠はどうして
こういう例えをしたんでしょうかね。私は葛餅が食べられなくなってしまいました」
黒川の悪行は知れ渡っており、飯島は咎めを受けることもなく、その後、家督を継ぎ平左衛門と
名を改めていた。18年後、飯島のもとに孝助という男が草履取りとして仕えるようになる。
孝助は父の仇を討つために剣を習いたいというが、聞いてみるとその父というのは、かつて
飯島が切り殺した黒川だった。飯島は因縁を感じ、いつか討たれてやろうと思う。
ところが孝助は、飯島の後妻・国とその情夫・源次郎が飯島を釣りに連れ出して、溺死させ
ようと企んでいるのを知る。忠義者の孝助は縁談も断って、何とか飯島を守ろうとしたが、
いよいよ釣りの前夜になってしまい、夜中に用足しに起きてきた源次郎を槍で突き殺した。
つもりが、それは何と主人の飯島だった。飯島は自分が親の仇であることを告げ、とんでもない
間違いをしたと震え上がる孝助にこの場から立ち去るように諭す。そして自らは手負いに
なりつつ源次郎に切りかかり、逆にとどめをさされてしまう…。

誤って飯島を刺した後の孝助と飯島のやりとりが見せ場だった。それ以前の二人のやりとりが
かなり省略されているので、感情移入しにくいところなのだが、喬太郎師は力技でここを
見事に盛り上げた。つられて涙を流している客が私も含めてそこここに…。
有名な怪談噺のサイドストーリーを、仇討ち人情噺として独立させた手腕に拍手したい。

*  *  *

11日に御来場者が通算5000人を突破しました。お読み頂きまして有難うございます。

(追記)8月21日の「笑点」に喬太郎師が出演しました。持ち時間が短いという悪条件でしたが、
妙に緊張していたのか言い間違いがあったり、いつもの間ではなかったですね。
一部カットされていたようなのも残念です。「寿司屋水滸伝」というネタ選びにも疑問が残りました。
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by funatoku | 2005-08-13 22:01 | 落語 | Trackback | Comments(18)

松井浩『打撃の神髄 榎本喜八伝』(講談社)

沢木耕太郎『敗れざる者たち』(文春文庫)の素晴らしさを教えてくれたのは代々木ゼミナールで
現代国語を担当していた椿本昌夫先生だった。沢木スポーツ・ノンフィクションの原点とも
いうべき初期の作品集であり、私も先生の熱弁につられて読んで、すっかり沢木節に魅了された。
その本の中で特に気になったのが、「さらば宝石」という一編である。主人公は長嶋茂雄と
同時代に背番号3をつけ、ほぼ同じ成績を残しながらひっそりと球界を去った榎本喜八。
榎本は1000本安打の最年少記録保持者であり、2000本安打もイチローに抜かれるまでは
最年少の31歳7ヶ月で達成していた。「さらば宝石」は打撃の求道者としての榎本を描いた傑作
だったが、本人へのインタビューが出来なかったために、結果として世間に榎本の“奇人性”を
強調してしまう恨みが残った。本書の著者は榎本喜八本人に2年間にわたる取材を続け、
合気道理論なども交えられた難解な打撃談義を咀嚼するまでに、さらに6年の日々を費やした
という。本書の刊行により、ようやくミッシング・リンクがつながった感がある。

「今までに見たバッターの中で一番正確なバッターは誰かと聞かれれば、躊躇なく榎本と言うな。
パ・リーグでは野村克也や張本勲が、榎本よりいい成績を残しているけれど(略)」(西本幸雄)
「私が対戦したバッターの中で、もっとも雰囲気のあるバッターだったのが榎本さんでした。
私はヒジへの負担が大きかったのでフォークボールを投げなかったんですが、榎本さんだけには
投げざるを得なかった。一試合に5球以内と限定して、ただ一人だけに投げてました」(稲尾和久)
「昭和30年代を代表するバッターを挙げろと言われれば、榎本喜八、張本勲、山内一弘、
長嶋茂雄、王貞治の名前を挙げます」(杉浦忠)
「お客さんを喜ばせるプレーが初めて芸の域に達したプレーなんだね。まず『技』があって、
その上に『術』がある。だから『技術』というんだ。『芸』はその上なんだよ。『芸』の域に
達したプロ野球選手には、川上哲治さんや、藤村富美男さん。長嶋、王、金田正一もそうだ。
で、『芸』の上が『道』を極めるだ。野球で、それに挑戦したのが榎本なんだよ。確かに残した
記録では王が上だが、到達したバッティングの境地でいえば、榎本が上だったね」(荒川博)

榎本喜八は1936(昭和11)年、東京・鷺宮の農家の生まれ。早稲田実業の先輩だった
荒川博の紹介で毎日オリオンズにテスト入団すると、1年目の55年、.298、本塁打16本で
新人王を獲得し、“安打製造器”と呼ばれた。この頃の榎本を支えたのは荒川、小森光生、
沼沢康一郎という早稲田大学出身の先輩たちとの打撃談義だったようだ。この4人は仲が良く、
遠征先の宿でもお互いのバッティングを検討しあったのだという。高度な打撃技術を持ちながら、
それを維持する器用さに欠け、数年後プロの壁に当たった榎本を合気道に誘ったのも荒川だった。
そこで、藤平光一に師事し、合気道の呼吸を身に着けたことで、翌60年に首位打者に輝くと
共に、山内一弘、田宮謙次郎、葛城隆雄らと組んだダイナマイト打線で優勝をも果たした。

この合気道との出会いが打者としては大きかったのだが、彼を孤高の存在にした感もある。
「骨や筋肉、それに胃や腸、肝臓などがどこにどんなふうにあるのかわかるようになったんです。
(略)そして、呼吸法をしながら、自分の体の調子を整えてたの。大阪から東京まで特急列車に
乗っていても、目をつぶって体の中をじっくり感じているとアッという間に時間が過ぎたものね」
そして63年7月、榎本は生涯最高の絶好調を迎える。
「自分の身体の動きが、それこそ五体のスミズミまではっきりとわかったんです。毎日毎日
バカ正直に稽古していた臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映ったとでもいうのか、
脳裏のスクリーンに映ったというのか。(略)夢を見ているようでしたね」
「タライに張った水に、お月さんが映るでしょ。あれと同じ。タライに張った静かな水に
自分のバッティングフォームが、はっきりと映ったような感じだったですねぇ」
「ヒットを打ったり打ち損じたりするたびに、タイミングが合った、狂ったと一喜一憂してた。
しかし、臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになると、ピッチャーとの
タイミングがなくなってしまった。ピッチャーの投げたボールが、指先を離れた瞬間から
はっきりとわかる。タイミングなんて最初からないから、タイミングが狂わなくなったですね」
この間すべて4番を打ち、4割以上の打率を残したが、2週間後に足を捻挫して欠場。
復帰した時には、その感覚が失われており、二度とその境地に達することはなかったという。

選手生活晩年は、同じポジションに濃人渉監督子飼いの強打者・江藤慎一が移籍してきたり、
大沢啓二監督にも干されたりして余り幸福なものではなかったようだ。この時期に、試合前に
ひたすら瞑想していたり、ロッカールームで荒れたりという“奇行”が有名になってゆく。
また、有藤道世、山崎裕之らの若手に自らバッティングを教えようとしたこともあったが、
榎本独特の“合気道打法”は、当時理解されることもなく、孤立を深めただけだった。
現役引退後3年も経って、東京球場付近でトレーニングしている榎本の姿が見られたため、
“榎本は現役に未練を残している”という噂が広がった件は、「さらば宝石」でも触れられていたが、
これは当時、青田昇が榎本を打撃コーチに起用したがっているという話を伝え聞いて、
コーチ就任のためにトレーニングしていたというのが真相だったらしい。
現在は球界との関わりを断ち、地元・鷺宮でアパート経営などをして悠悠自適の暮らしとのこと。

この本を読んで私が単純にいいなあと思ったのは、“早稲田4人組”の野球談義の場面。
西鉄のように二日酔いで球場に駆けつけて打ち勝つのもプロなら、酒も飲まずに延々と
バッティングを論じ合うのもまたプロである。榎本を指導した手腕を買われた荒川が川上監督に
請われて巨人入りし、王貞治の一本足打法を完成させたのは有名だが、小森、沼沢も指導者として
早くから頭角を現したのは偶然ではあるまい。面白いのは、後年“教えだしたら止まらない”
打撃コーチと称される山内一弘が、早稲田組に混じって野球談義をしたかったのだが、
自分は早稲田出身では無いので入りにくかったと語っていること。何とも勿体なかったなあ。
一応早稲田出身者の端くれとして言うと、早稲田出身以外を排除するなんてことを、最もやらない
校風なので、山内は歓迎されたろうに…。私の周りの飲み会でも、気がつくと早稲田出身者が
集まっていることが多くて、幾つになっても議論好きが多いことだけは確かなようだが。
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by funatoku | 2005-08-08 21:22 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(4)

春風亭小朝独演会(8/5 中野ZERO 大ホール)

林家きくお「お伽村」 林家木久蔵の息子と自己紹介すると、場内「ホゥ」という反応。
もっとも、私も聴くのは初めてかな。結果、…寝てしまった。夏バテで体調が悪かったとはいえ、
若手で寝るのは珍しい。私は新作口調の若手が、概して苦手ではあるのだけれど…。
それにしても、春風亭勢朝師匠の語る“きくおエピソード”は面白かったなぁ。

春風亭小朝「試し酒」 防腐剤入りのおにぎりを食べ続けた老人、死んでも死体が腐らなかった。
地震のためには痩せなくてはいけない。助ける側の心理としては、デブ一人助けるより、
痩せた人間を3人助ける方が充実感がある…。小朝師の時事マクラも懐かしいなぁ。

ところが、本題に入るとアリャリャ、また睡魔が…。どうやらこのホールにも原因がありそうだ。
定員1200人ほどのそれほど広くないホールなのに、私がいる2階席はやけに高い位置で、
さらに天井が高いので、とても散漫な雰囲気なのだ。舞台との距離感を実際以上に感じてしまう
最悪の造り。さらにマイクと地声が重なり、そのうえ反響するので、大変に聞こえにくい。
これほど落語に不向きなホールも珍しい。せっかく中野にあるのだけれど…。

酒を飲まない小朝師の酔っ払いは徹底してカリカチュアされているが、やや単調だったかも。

ロケット団(漫才) なかなかテンポが良く、二人のキャラクターも面白くて私は一押し。
きっかけがあればテレビでも活躍するのではないかと思う。その方がいいのかは知らないが。

春風亭小朝「唐茄子屋政談」 この春、歌舞伎の中村勘三郎と落語の林家正蔵襲名公演があった。
勘三郎は入場料2万5千円だが、正蔵は2千8百円。口上も歌舞伎では人間国宝級が並ぶが、
寄席では円歌、馬風、円蔵、木久蔵…。「まるで、病院の待合室のようで」

「この噺の見せ所は何といっても吉原田圃の場面だ。演り方は二通りあって、花魁との思い出を
語りながらも、合間合間に“唐茄子屋ぁー、唐茄子ぅー”という売り声を入れる志ん生パターンと、
最後まで花魁との思い出話を語り、最後の最後にまとめて“唐茄子屋ぁー、唐茄子ぅー”という
円生パターンがある」(立川志らく『全身落語家読本』)
小朝師は志ん生パターン。歌が上手いので、それだけで現実との落差を見事に描き出していて
笑わされつつ唸らされた。小朝落語のエッセンスと言ってもいいかも知れない。
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by funatoku | 2005-08-06 21:11 | 落語 | Trackback | Comments(0)