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全日本女子プロレス 活動停止か

 女子プロレスの老舗・全日本女子プロレスが消滅の危機を迎えていることが28日、分かった。
 都内の事務所で本紙の取材に応じた松永健司副会長によれば、収入はすべて税務署に持っていかれ、選手のファイトマネーや会場費の支払いもおぼつかず、4・17後楽園ホール大会も会場費の調達が難しいという。
 松永高司会長ら松永一族の経営では団体が成り立たない状態のため、29日横浜・金沢大会前に同会長の勇退を発表。団体存続のため新たなスポンサー獲得を目指す。
 全女は97年に2度目の不渡りを出し、昨年12月には山口県小野田市から施設使用料滞納で訴えられそうになるなど、苦しい経営が続いていた。
(デイリースポーツ) - 3月29日10時55分更新

全女は何度も「倒産」しているので、「またか」という気もするのですが、今度は松永一族が経営から
手を引くということなので、何らかの形で会社が存続したとしても、それは別会社と言えるでしょう。
先日も少し書きましたが、私は90年代前半の全日本女子プロレスには少々思い入れがあります。
ここでは当時活躍した所属選手たちを、簡単に振り返ってみたいと思います。

<56年組>
立野記代*すぐに引退して、のちLLPWで復帰。女子プロ特有の動きの柔らかさが印象的。

<58年組>
ブル中野 獄門党という軍団を率いるヒールながら、全女史上初めてヒールとしてトップに君臨。
もっともその頃は既にヌンチャクを使う位しか“悪いこと”はしていなかったけど。
100キロを越える巨体でムーンサルト・プレスをこなすなど、運動神経にも優れていました。

<60年組>
北斗晶 抜群の運動神経での飛び技が見事でしたが、この人の最大の武器は性格でしょう。
神取忍との一戦は、“デンジャラス・クイーン”の名に相応しいプロレス史上に残る一戦でした。
みなみ鈴香 北斗とコンビを組んでいたが、とにかく試合運びの巧い職人レスラーでした。
女子プロらしい流麗な技が多く、地味な存在ではありましたが、私のご贔屓の一人。
堀田祐美子*極真空手出身ということでキックを得意にしていたが、当時は恵まれた体格を
持て余していました。格闘技スタイルで芽を出すのは90年代後半になってから。

<61年組>
アジャ・コング*獄門党を抜けブル中野と壮絶なトップ争いを展開。巨体に似合わずジャーマンを
こなしたり俊敏な動きを見せました。頭の回転が良く、テレビでも活躍しているのはご存知の通り。
バイソン木村 アジャ・コングのパートナー。ロング・ヘアーを振り乱す様はなかなか色っぽかった。
ブル中野・井上京子組との敗者髪切りデスマッチに敗れ、丸坊主になったのは名場面だった。
高橋美華 華やかなルチャ・リブレ系の技が得意な細身のレスラーだったが、当時は重量級の
ヒール同士の抗争が主流になっており、ライバルに恵まれないまま怪我で引退したのは残念。
前田薫*ユニバーサル・プロレスに移籍。ルチャ・スタイルだったが、のちにヒール転向。
神谷美織 B級レスラーの代表格のような存在。後輩に“抜かれた”試合を何度か見てますが、
普段出さないエグイ蹴りを出したりしてました。気は強い人だったのだろうと思います。

<62年組>
豊田真奈美*長い黒髪をなびかせての華麗な飛び技と、ゾンビのような打たれ強さを誇った名選手。
常に激しい試合で会場を沸かせましたが、やや一本調子なのが玉に傷でしたね。
山田敏代 試合スタイルは長与千種のコピーで、長与ファンの女の子達に人気がありました。
三田英津子*当時は長身を持て余していたが、のちに北斗門下でヒールとして開花しました。
下田美馬*すぐ消えそうなレスラーだったのに、意外にものちに三田とのタッグでトップ・ヒールに。
私は彼女のテーマ曲(神保彰「Skip Street」)が好きだったのに、滅多にかかりませんでした。

<63年組>
井上京子*ブル中野のパートナーとして台頭。男子プロレスの流行技を巧みに取り入れたりする
「プロレス頭」の良さでトップに躍り出ました。その後あんなに巨大化するとは思わなかったけど。
井上貴子*当時はアイドル路線で売っていたが、ドロップキックは使わず、アマレス流のタックルを
使ったり、意外にシブいファイトスタイルのレスラーでした。私、彼女の色紙を持ってますよ。
吉田万里子*跳躍力に優れ、飛び技が派手だったが、故障も多かった。

<平成元年組>
長谷川咲恵 獄門党出身だがすぐにベビーフェイスに転向。受身の派手な、根っからのベビータイプ。
スタイルも良く、男女問わず人気があり、女子プロを支える存在になりつつあったが、故障で引退。
バット吉永 極真空手出身で、キックを得意とし、異種格闘技戦に駆り出されていました。
伊藤薫*小柄な頃に覚えたフットスタンプを、巨大になってからも使っていたのは納得がいかない。
渡辺智子*獄門党出身。当時はタッグの負け役が多かったが、息の長い選手になりました。

驚いたことに半数以上がまだ現役続行中(*)。逆に平成2年以降デビュー組の方が、既に引退した
選手が多いのです。その結果、最近は随分平均年齢が上がってしまっているようですが…。
あの頃の試合の凄さについては、いずれまた書いてみたいと思っています。
(注)初めてここをご覧になる方に一言。右の写真の4人組は女子レスラーじゃないぞ。
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by funatoku | 2005-03-30 00:43 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(4)

柳家小袁治「第59回 柳家小袁治の会」(3/28 池袋演芸場)

月の家鏡太「桃太郎」 “ヨン様”風にマフラーを巻いて登場。小袁治師匠のアイデアかな。

柳家小袁治「星野屋」 いやー、春風亭勢朝師匠がこのブログにお出でになったのには
本当に驚きました。最近HPを持つ噺家さんが増えてきたようで、落語協会のHPでは57人、
人数の少ない落語芸術協会のHPでも43人の噺家・色物さんのHPへリンクしている。
ただ中には、もう何年も更新してないなんて人もいて、それではかえって逆効果。

その点、この小袁治師匠のHPは毎日更新しているばかりでなく、その内容が面白くて、
私も愛読させて頂いているのだが、実は高座に触れる機会がなかなか無かった。
寄席の定席では常連と言えるくらいよく出ているのだが、近年は私が独演会にばかり行くので、
すっかり寄席定席にはご無沙汰になってしまったのだ。従って私がはっきりと覚えているのは、
改装直前の新宿末広亭で、「麻のれん」を演じた一席だけという心細い有様。それ以前となると
小さん門下の中堅どころで江戸前の人、という甚だ漠然とした印象になってしまうのである。

しかし、この「麻のれん」が実に良かった。江戸前で粋だがおっとり。美学に走るわけではなくて
さりげない会話でも笑わせる、というオールマイティな実力派として印象に残ったのである。
しかも、毎日のようにHPを読んでいて、もはや他人のような気はしないのに、独演会にも
なかなかスケジュールが合わない状況が続いていたのだが、今回ようやく念願叶ったのだ。

この「星野屋」、何とも後味が悪い噺で、登場人物の誰もが感情移入出来ない嫌な奴ばかり。
とんでもない悪人なのではなく、普通の人の嫌な部分を誇張しているので、重いものが残るのだ。
旦那は妾の愛情を試そうとして狂言自殺をするし、この妾もハナッから心中する気もないのに、
口ばっかり。妾の心がけが良ければ、正妻にするつもりだったなんて旦那の言い訳も空々しい。
読売新聞文化部の長井好弘さんの調べによると、新宿末広亭では03年も04年も一回も
演じられなかった噺だという(「東京かわら版寄席演芸年鑑2005年版」)が、無理も無いと思う。

こんな噺を重くなり過ぎず、浅くならずに演じるのは、かなり自信がないと出来ないのでは
ないか。落語というより、朗読劇を聴いているような錯覚すら覚える力演だった。

すず風にゃん子・金魚 「負け犬訓練所」の名前が「ハッピー・ドッグ」。私だけが吹き出した。

柳家小袁治「鼠穴」 「今のにゃん子・金魚さんは鈴々舎馬風一門なんです」
馬風一門は他にも綾小路きみまろ、大空遊平・かおりなど色物の人材が多彩だとか。
「一方、噺家はってぇと…、ロクなのがいない」。それって一体……。
昔は一門の十八番があって、弟子以外がやるのにはうるさかった。古今亭志ん橋さんが「浮世床」
(と言ったと思う)をやったら、それを得意としていた柳家小さん師が怒って「呼んでこい!」。
師匠の古今亭志ん朝師が謝ってようやく収まった。ひぇー、怖いよー。
九代林家正蔵は今「子は鎹」ばかりやっていて、よく飽きないものだと思うが、以前中入り前で
この「鼠穴」を40分以上やったことがあって、先輩に怒られていた。

師匠によるプログラムの解説「三遊亭圓生一門の十八番芸です。小袁治は平成三年の
第七回小袁治の会で演りました。しかし、その後一度も高座にかけず、今日に至っています。
(略)星野屋はネタ下ろしですが、鼠穴も初演同様でございます」

これも金に絡んだ噺で、竹次郎の兄というのが何というのか、今でも中小企業の社長なんかに
多そうで私が苦手なタイプのオヤジなのだ。夢の部分なぞ実に迫力があって、竹次郎の
絶望感を上手く浮き上がらせている。しかし、こんな夢を見るとは和解した竹次郎も芯の部分では
兄を許していないような気がするのだけど…。複雑な人間心理を感じさせるストーリーだ。

二席とも、57歳という迫力と上手さを絶妙に兼ね備えた年齢ならではの充実した高座でした。
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*  *
正蔵と言えば立川談志師匠がスゴイことを書いちゃってます。個人情報保護法とか関係ないね(笑)。

いつもお読み頂きまして有難うございます。27日午前中に訪問者数が合計2000を突破しました。
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by funatoku | 2005-03-29 00:28 | 落語 | Trackback | Comments(0)

“純粋回転”寿司

久しぶりに池袋演芸場に行ったついでに、是非行きたい店が一軒ありました。
池袋の西口駅前にある回転寿司屋で、名前は「こま寿司」とか言ったかな。
この店にはせいぜい2、3度しか入ったことが無いのに、私には強烈な印象が残りました。

もの凄く美味いのか、不味いのか。高価いのか、廉価いのか。珍しいメニューがあるのか。
或いは店員や店長が変わっているのか。変な客を見かけたのか。

いずれも「否」。正直言うと味は覚えていないし、外見はごく普通。よく池袋に行く人ですら、
その存在を思い出せないかもしれないぐらいに、地味~な店構えです。

しかし、店のドアを開けた途端に、妙なことに気が付く筈です。
「狭い!」
我々の回転寿司屋に対する固定観念を、軽やかに覆すかのように店内は狭いのです。
椅子の数は6、7席だったでしょうか。それが全てなのです。

そもそもコンベアーというものは、遠くに物を運ぶために存在するはずです。回転寿司もまた然り。
広い店内に人力を使わずに寿司を運ぶのが目的である、と普通は考えます。
しかし、ここのオヤジは普通の寿司屋にすれば倍の人数は収容出来たであろう店内を、敢えて二つに
区切って奥で寿司を握り、最大7人の客のためにベルト・コンベアーを設置して、回し続けるのです。

昔、赤瀬川原平氏率いる路上観察団が、無用の長物を探し出し「トマソン」という本にまとめましたが、
確かその中に「純粋階段」なるカテゴリーがありました。昇った先には何も無い、昇ったら降りるだけ、
或いは昇った先が行き止まりの、ただあるだけの階段。それが「純粋階段」です。
そのひそみに倣って言えば、回転することに意味など無く、ただ回転するためだけに回転する…、
そんな“純粋回転”寿司で、“コンベアーの存在意義”について哲学的考察など始めてしまえば、
もはや味など覚えていないというのもお分かり頂けるでしょう。

一昨日行ったら、この寿司屋の姿はなく、その場所はマツモトキヨシか何かになっていました。
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by funatoku | 2005-03-25 01:21 | 酒場・飲食店 | Trackback | Comments(0)

春風亭勢朝「酉年も高度勢朝の会」(3/23 池袋演芸場)

柳亭こみち「狸札」 最近、女性の噺家が増えましたな。

初音家左橋「錦の袈裟」 この人も柳家一九も前回に見たのはこの「高度勢朝の会」だったか。
この噺は初めて聴く、という以前に内容を全く知らなかった。題は聞いたことがあったなという程度。
与太郎が吉原へ繰り出そうっていう噺の設定自体が、ちょっと不思議なのだが、そもそもしっかり者の
女房はいるわ、仲間づきあいを大事にとか言い出すわ、そんなの与太郎じゃないじゃん。
左橋師もそれほど与太郎臭くなく、サラリと江戸前の廓噺として演じてみせた。

春風亭勢朝「厩火事」 楽屋噺の面白さが評判で、別名“ウソツキ”勢朝と言われているそうで、
マクラで地震はネタに出来ないと言いつつも、「地震雷火事小千谷」「おじやだけに増水がつきもの」
と快調に飛ばす。「(海賊に捕まった)韋駄天号。韋駄天なのに随分足が遅い」
ニッポン放送問題「日枝(フジテレビ会長)けに、泡食った」「日枝神社に参詣したらしい」
「どうせなら村神(ファンド)を拝んでいれば」

先代・林家正蔵はキムチが好きだったが、辛過ぎを心配した奥さんがキムチを洗ってしまった。
師匠「馬鹿野郎。麻婆豆腐も洗うのか」
堅物だった柳家小さんは奥さんに童貞を奪われた。ある時弟子たちが小さん夫妻に熱海への
一泊旅行をプレゼントしたら、帰ってきて師匠が怒っている。奥さんに迫られたらしい。
入門して3年後、師匠・春風亭柳朝が脳梗塞で倒れた。看護婦に「左半身不自由になります」
と言われたら、局部を右にずらしていた。
8年間病臥したのちに亡くなったが、「おかみさんも後を追うように…、10年後に亡くなった」

厩火事はリアリズムで演じると、割と救いの無いオチになるのだが、勢朝師匠は怪しげな仲人や
途中で惚気だす女房を強調したりして、コミカルに演じていた。

柳家一九「幇間腹」 マクラでおかしな童謡にツッコミを入れる(「♪ポケットを叩くと、
ビスケットが二つ。そりゃ割れてるんだよ」)のだが、一度ならず歌を忘れたりしているので、
オヤオヤ大丈夫かと心配したが、意外にも本題に入るとなかなか味がある。
この人は何となく明治時代の落語家のような風貌なのだが、ニンに合った噺だった。
なまじ今風の似合わないマクラは考え直した方がいいかも。

なるほどと思ったトリビア。幇間は客に帰心がつくのを防ぐために、手洗いにまでついていった。
今、バーなどでトイレから出るとすぐにタオルを渡すのはその名残とか。ホントかな。

春風亭勢朝「甲府い」 マクラは林家木久蔵の息子・林家きくおの馬鹿っぷりエピソード。
玉川大学を卒業したと称しているが、入学自体が怪しくて合格通知は「入金を確認しました」。
五明楼玉の輔師がきくおに「身長は?」「175センチです」「体重は?」「誰のですか?」
やはり玉の輔師がきくおの携帯に電話を入れた「今、どこ?」「ビルの7階です」
どんな落語家になりたいかと訊かれ、「息が太い芸人」
舞台袖で拓殖大学の団体が来ていると教えられたのに、高座に上がるなり「国士舘の皆さん!」
怒られると前座のせいにしていた。
(まだ、面白いのがあるのだが、白夜書房から刊行されたばかりの「笑芸人 16号」
で勢朝師匠が自ら紹介しているので、詳しくはそちらをご覧ください)

久しぶりに聞いた「甲府い」が続くとは思わなかった。柳家小三治師匠と比較できて興味深い。
もう極限まで削り込んじゃったような小三治師に比べると、会話にメリハリがあるので、
初めて聴いた人でもストーリーには入りやすいはずだが、小三治師が笑いを取っていたような
トボケた会話部分はさほど笑いが起こっていなかったり、演じ方が相当異なるのである。
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身長181cmもある落語家というのは珍しいのではないか。この日は花粉症が辛そうでした。
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by funatoku | 2005-03-24 01:39 | 落語 | Trackback | Comments(6)

『松本竣介』(新潮日本美術文庫45)

このカテゴリでは一応新刊文庫・新書を対象にしているのだが、今回はこの本を買うまでの
経緯を書いてみたいと思う。美術書だからいつものように抜書きしにくい、というのもあるけど。

半月ほど前に吉祥寺「パルコ・ブックセンター」に行ったら、新潮文庫の「在庫僅少品フェア」
をやっていて、洲之内徹「きまぐれ美術館」が並んでいた。ひと頃新潮文庫から洲之内作品は
何冊か出ていたが、そうか、もう絶版なのか、などと思いつつ購入。昔買った覚えはあるが、
読んだ記憶が無い。我が家の本の山に紛れており、発見はなかなか難しそうなのである。
そして読み始めたら面白くて、会社の昼休みに読み、夜は焼き鳥屋のカウンターでも読み耽った。
そこでこの松本竣介という名前にぶつかったのだ。

私は松本竣介については下の「立てる像」くらいしか知らなかった。暗いタッチでプロレタリア
美術風。しかも太平洋戦争下で軍部に抵抗する文章を発表しているらしい…。
マジメな人なのだろうが、私の趣味では無さそう…、ということで食わず嫌いだったのである。

この「きまぐれ美術館」での松本竣介の扱い方はかなり変わっている。
「松本竣介の風景」と題して4章にわたって、洲之内徹と丹治日良という画家が、松本竣介
の絵のモデルとなった現場を捜し求めるという趣向なのである。「一枚の風景画の現場がどこか
というようなことは、その作品の、作品としての価値にはたいして関係はない」と書きながらも、
自作の地図や写真を載せて、松本作品やその元になったデッサンと比較するなどなかなか詳細。
そしてその土地というのが御茶ノ水ニコライ堂、新宿駅南口、西武新宿線中井駅、五反田駅近く、
高田馬場、横浜駅周辺…。ありゃりゃ、私にとっても何かと思い出深い街ばかりじゃないの。
しかも、その街の描き方が、モダンで都会的、何とも洒落ているのだ。佐伯祐三や藤田嗣治の
描くパリの風景のようだ。改めて見直せば、「立てる像」の背景などちょっとイラスト風とも言えそう。

早速、96年に刊行されたこの廉価版の画集を探し始め、中野「あおい書店」で見つけた。

私はテレビや映画を見ても内容より背景が気になったりするタイプで、その場所に足を運ぶ
こともある。撮影地に行ってみると、映像とは随分印象が違って驚かされることが少なくない。
そして、そこでは映像作家が何を撮ったかより、何を撮らなかったかということがが分かって、
改めてプロの凄みを噛み締めたり出来るのである。
しかし、絵画でも同じことが出来るとは意外だった。また松本竣介という人は実に“それ向き”なのだ。
細部は現実に忠実なのに、それを自由に再構築したりして、単なる風景画家ではないので推理する
のにちょうど手頃。これがもう少し抽象度の高い画家だと発見は困難だろう。洲之内は、「ニコライ堂」
とされる作品の前景に「新宿駅南口」の風景を組み合わせていることを発見したりしている。

モダンな都市風景を描いた松本竣介の作風は、戦争の進行とともに暗くなってゆき、
戦後間もなくの昭和23年に、持病の喘息を悪化させて36歳で亡くなっている。
戦後の復興する東京の街並みを松本がどう描いたか、もっと見たかったものである。

それにしても、こうしてすっかり気に入ってしまう画家を、美術の教科書だけ見て食わず嫌いに
なっていたのは、私の不明の到りということに過ぎないかも知れないが、何とももったいない限り。
まだ色々なジャンル(或いは人間にも…)にいるんだろうなあ。食わず嫌いが。
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松本竣介「立てる像」(1942年 神奈川県立近代美術館蔵)洲之内によれば背景は高田馬場から
下落合に抜ける途中の富士短大付近とのことだが、画面右奥のモデルとなった建物は現存している。
洲之内が歩いた30年前には左の建物も残っていた。ただし、位置関係は現実とは違っている。
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by funatoku | 2005-03-21 01:10 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

柳家小三治独演会(3/18 松戸市民会館)

柳家三三「しの字嫌い」 この人を最初に見たのは10年近く前の「昭和大学寄席」だったろうか。
その頃から「上手い」タイプだった。ま、「年寄りぶってる」とも言えるけど(笑)。次の小三治候補かも。

柳家小三治「出来心」 今、独演会のチケットを取りにくい一人で、寄席で主任を務める日など、
普段の閑散ぶりが嘘のように客が集まって、晩年の志ん朝師匠を髣髴させる。
しかし、志ん朝師匠と違うのはこの人、当たり外れが大きいのだ。勿論、外れと言っても
それなりではあるのだが、私はもう何年も「本気」の高座に当たったことがないし、それだけで本に
なるほど評判を呼んだ「長いマクラ」も聴いた記憶が無く、どこまでが実力なのか測りかねるのだ。
2、3年前に新宿末広夜席のトリで「野ざらし」を聴いて以来になる。

人の仕事は良く見えるなどとマクラを振るが、なぜか春の愁いがどうこうという話になり、
余りまとまらないまま本題へ。今日もマクラ不発(笑)。ここまで15分。本題50分。
間抜けな泥棒があちこちの家を物色したあげく、貧乏な八五郎の家に入ったものの、
この八五郎がひどい男で盗まれるものなど無いのに、大家の調べにあれこれ盗まれたと
言い立てるという噺で、つまり前半と後半では主人公が違うのである。
小三治師匠の泥棒は何とも浮世離れした呑気な男であり、会話の途中に入る独特の間が
その雰囲気を際立たせる。つまりこの男が何故泥棒になんかなろうとしたか、などという
リアリティを一切追求しない、というか拒否するのが小三治流であるようだ。

終わり近くで泥棒が「そんなものは盗ってねぇや」と飛び出して啖呵を切るのだが、
この男はおよそ啖呵が似合わないのである。八五郎の貧乏振りも浮世離れしてるし、
大家だって途中で気が付きそうなものだ。皆、小三治ワールドの住人になっているのだ。
なるほどこれは聴き慣れると癖になりそうだ。ただこれで「芝浜」はツライでしょうなぁ。

柳家小三治「甲府い」 マクラ無しで本題へ(泣)。これはどうなんだろ。人情噺なんだけど、
そもそも小三治師匠の場合、主人公の善吉自体が余り若者らしくないし。
豆腐屋の旦那も何だか途中で性格が変わったように聞こえる。

しかしながら、飯を食わせようとするものの「嬉しくて喉を通らない」という善吉に、旦那が
「おめえの実力はよく知ってんだ」などと言うフレーズは妙に可笑しかったりする。
つまり、ストーリー云々で聴くのではなく、個別のフレーズを楽しむべき人なんでしょうな。
小説家で言えば短編作家。永井龍男に長編小説を求めちゃいけない。
野球で言えば6番打者。打率はいいが、自分の型にこだわるタイプで、あっさり三振することもある。
首位打者のタイトルに縁が無いのが不思議な程の好打者だが、クリーンアップは居心地が悪そう…。

続けて聴いていた訳ではないので、自信を持っては言えないが、壮年の芸から老年の芸への
転換期なのかなあという印象を受けた。2年後に聴いたら「おじいさんの落語家」になっていそう。

* *

ところでこの会場、今どき珍しいほど椅子が狭い。建物が古いのは仕方が無いにしても、
椅子は何とかすべきだろう。おまけに駅からの案内図は無いし、町の印象が悪い。

ホールを出ると昼間の暖かさが嘘のように冷え込んでいるので、いつものように町屋に戻り、
「小林」で煮込み。金曜夜なのに空いているなぁ。相変わらず串刺しの煮込みが美味くて、
梅ハイ5杯も飲んでしまった。さらに中野で朝4時まで。当然土曜日は一日ダウン。ダメだこりゃ。
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by funatoku | 2005-03-20 13:31 | 落語 | Trackback | Comments(0)

みんな元ネタを知っているのか?

夕食代わりに焼き鳥屋で飲んでいたら、「エンタの神様」の前半を見そびれてしまいました。
いえ、それ程見たかった訳ではないのですがね。今、それ程面白くもないし…。

私が気になっているのは「摩邪」という女芸人。女子プロレスラーの格好をして、マイク・アピールを
繰り返すというだけで、別に笑える芸という訳じゃないんですけど、私が気になるのは「女子プロレス」
という部分。芸名からするとアジャ・コングを意識しているようですが、彼女の芸からは“あの頃”の
女子プロレスの匂いがするんですね。

“あの頃”の女子プロレスと言うのは、90年代前半の主に全日本女子プロレスのこと。
クラッシュ・ギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)というスターが抜けて女性ファンが減ったものの、
その激しい試合内容が男性ファンに見直され、特に迷走していた新日本プロレスあたりのファンが
会場に流れ込んでいた時期です。私もこの時期の全女にすっかりハマリ、後楽園ホールや武道館、
大田区体育館、川崎市体育館、横浜文化体育館以外にも、東京近郊の興行には随分行きました。
電車で行った一番遠くは茨城県阿見町立体育館、車で行った一番遠くは埼玉県川本町体育館、
千葉県茂原市かな。茂原は露天興行で気持ちよかった。いやー、暇人でしたな、今もか。

その頃トップだったのが、ブル中野。それを追う位置にいたのが、アジャ・コングと北斗晶、
豊田真奈美あたりで、ベビーフェイス人気は井上貴子、長谷川咲恵などでした。
団体対抗戦の初期の緊張感たるやただ事ではなく、93年4月の横浜アリーナ大会に行ったら、
北斗晶と神取忍の壮絶な一騎打ちとなり、全試合終了は何と夜中の12時過ぎ…。

なんて話を始めるとどんどん逸れてしまうんですけど、私が言いたいのは「摩邪」のマイク・
アピールは実は北斗晶の影響の方が強いのではないかということです。アジャ・コングも、北斗晶も
頭が良く弁が立つので、マイク・アピールを得意としていましたが、北斗のマイク・アピールには
毎回感心させられた記憶があります。私はレスラーとしてはみなみ鈴香のような職人タイプが
好きで、北斗の凄さは認めるものの、キャラクターが泥臭過ぎて敬遠気味だったのですが、
とにかく彼女のマイク・アピールは楽しみにしていたものです。ここで例を挙げられないし、
また挙げても背景が分からないとその凄み、面白さが伝わらないのが残念でなりません。

あれから10年以上が経ち、私も女子プロレスに足を運ばなくなって久しいのですが、
何故、あのマイクアピールが、今になって突然お笑いネタになったのでしょうか。
その後マイク・アピール自体が形式化した部分もあったから、パロディにはしやすいでしょうが、
あの元ネタ、つまり北斗或いはアジャ・コングのマイク・アピールを知っている人が、
一体どれ位いるのか。私はちょっと不思議でなりません。
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by funatoku | 2005-03-13 00:17 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(4)

立川志らく「第5回志らく百席」(3/10 横浜にぎわい座)

立川志らら「権助魚」 それなりに個性は出てたけど、何を描くか焦点を絞りきれなかったかな。

立川志らく「道具屋」 慰問に行って一番失敗した話。前の席に子供が多かったので、
「一年って13ヶ月だよね。1月、2月、3月…、12月、お正月」「馬鹿言え。お盆が抜けてら」
などという“馬鹿”の話をすると普通はウケるのに、全くウケないばかりか、後ろの席の大人達は
恐い顔で睨んでいる。高座を降りたら主催者が「あの子達、知的障害児なんです」
立川談志は被災地に慰問に行って、「そんなところに住んでるのが悪い」などと言い始めたので、
客と喧嘩になってしまった。談志「出ていきな」客「俺はこの公民館に住んでるんだ」

演題が予め発表されていたので、志らく師匠の与太郎はどんなパワフルなキャラクターに
なるのか楽しみにしていた。師匠の与太郎ものには今まで意外に当たらなかったのだ。
案の定というかこの与太郎は「遊んでても食えてるのに、働くのは嫌だ」という確信犯。
洟をかんだ紙を、便所で使えば一石二鳥だと言われ、「順番、間違えた」なんて言っているが、
立川志らく『全身落語家読本』(新潮社)によれば、「この噺の与太郎の演じ方で演者のセンスが
わかる。というより、与太郎の本質を理解しているかどうかがわかると言った方がいいかも知れない。」
となかなか恐ろしげなことになる。

「“道具屋お月さま見て跳ねる”や“お一人様、お二階へご案内”、更に落ち間際の
“木刀が抜けたら何が出てくるかと思って”など、実に秀逸なギャグである。こんな凄い
ギャグを言える与太郎はただものではないと睨むのが本当だろう。」(前掲書)
オチは、鼻が欠けた雛人形を見た侍が「気の毒だな」与太郎「いえ、梅毒です」

柳貴家小雪(水戸太神楽) 5段重ね、棒と鞠、傘などいつものネタだがやけに受ける。
初めての人が多いらしい。隣の若いサラリーマン3人もやけに感心していたな。

立川志らく「天災」 前回、亀有で聞いている。江戸っ子は金を持ったり、出世したり、
することを恥ずかしがったりする。親孝行というのも江戸っ子にとっては恥ずかしいもので、
師匠談志は90近い母親に掃除させたり、「おふくろ」などと呼べずに「おい、親」と呼んでいた。

本編は「いるか?」「あの一曲だけで食っている」などとクスグリが少し違う位で、基本的には同じ。
ただ、別に急いだ訳ではなかろうが、何度か聴いた師匠の「天災」の中では、名丸先生の
説得力がやや薄かったような。

立川志らく「らくだ」 “らくだ”と綽名される男は、冒頭いきなり死体で登場する。
主人公はとんだ事態に巻き込まれた屑屋なのだが、死というものをどれ位、笑いに繋げられるか
がこの噺の隠しテーマでもあろう。そういう意味でらくだはやっぱり主人公なのかも。

志らく師匠の「らくだ」は、結構死体は乱暴に扱うわ、なかなかヴァイオレントである。
私は志ん生師匠があの声で「かんかんのう」という言葉を発するだけでも、可笑しくて仕方ない。
シナの踊りだなんて説明しない方が、却っていいのかも知れない。
「かんかんのう」。ほら。何だか、想像ふくらんで面白いでしょ。

後半の焼き場に運ぶ場面は、テンポ良く端折って、オリジナルのオチへと持って行く。
元のオチは「ここはどこだ」「火屋だ」「冷でもいいからもう一杯」というものだのだが、
これだと生きたまま焼かれている乞食坊主がいささか心配ではある。
「しかし、志らくがもっと素晴らしい落ちを考えた。火だるまになってバタバタ苦しんでいる
坊主を見た丁の目の半次が“らくだの奴、死んでるくせに何やってんだ?”、
すると屑屋が“かんかんのうを踊っているんだィ!”」(前掲書)

*  *
終わってからはいつものように華王飯店にフカヒレラーメンを食べに行くが、今晩は初めて
近所の別館の方に入ってみた。フカヒレはこちらも大きいが、スープの味は微妙に違う気がする。
店内は狭く、営業時間内なのに店員が食事を始めたりしている。見るとそちらも美味そうだった。
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by funatoku | 2005-03-11 00:47 | 落語 | Trackback | Comments(0)

鉄道会社の経営者たる条件

<堤前会長逮捕>鉄道、ただの道具 観光に傾倒、住民軽視
 「品川プリンスの稼働率は96%。これは日本一なんです」。コクド前会長の堤義明容疑者(70)が逮捕されて6日。東京地検特捜部の取り調べが続く東京拘置所で、ホテルや観光事業の話をする時はうれしそうな顔をするという。一方で、鉄道への興味は次第に薄れ、「開かずの踏切」に悩まされる住民の声にも背を向け続けた。
   ■   ■
(前半省略:頓挫した新宿線地下鉄化計画についての記述)堤前会長は73年に西武鉄道社長に就任し、89年から昨年4月までは会長を務めた。しかし、所沢市の本社を訪れるのは年1、2回。もっぱらコクドの観光開発にいそしんだ。鉄道はそのための「道具」に過ぎなかった。
 都内でピーク時に1時間に40分以上閉まる「開かずの踏切」は266カ所。西武は96カ所で、京王の74カ所を上回るワーストワンだ。
 西武新宿線野方駅(中野区)もその一つ。地元に住む都町会連合会会長の石川誠一さん(83)は地下鉄計画の延期決定後、計画の実行を求めて96年と01年の2回、西武と交渉した。しかし「もう事業に魅力はなくなった」と突き放された。石川さんは「西武は利用者を甘くみている」と憤る。
 杉並区の浅賀喜一さん(78)も西武の「住民軽視」に納得できない。西武は81年、西武新宿線井荻駅の一部約110平方メートルを都に売却した。この土地は27年まで地元の所有だった。旧家に残る大福帳には「64人が9820円を集めて700坪を買い、西武に無償寄付した」とある。60キロのコメが10円程度の時代。だが、西武から地元に売却の説明は一切なかった。
 都と西武は今も売却額さえ公表していない。
 国土交通省は虚偽記載が発覚した昨年10月以降、安全対策や踏切問題をめぐり西武鉄道幹部を数回呼んだ。「もっと力を入れてほしい」。西武側は具体策を示さず「分かりました」と答えるだけだったという。
 バリアフリーのエレベーターや駅舎改良、踏切対策。国交省の担当者は「西武は大手の中で水準が低い」と嘆く。
 03年、「開かずの踏切」を解消するため東京都、西武鉄道、中野区の3者がようやく2回の協議会を開いた。しかしその後、1年以上も中断したままだ。(毎日新聞) - 3月9日3時3分更新

結局、鉄道会社が不動産も扱っていたのではなく、不動産屋さんが鉄道を道具にしていただけ
ということなんですね。長年西武沿線に住んだ身としては腹立たしい限りです。
ただ不動産屋さんがやっていた割には、東急田園都市線沿線のような計画性にも乏しく、
京王相模原線、小田急多摩線のように大規模ニュータウンを背景にすることもなく、
バスが入ってくることも出来ないような駅前ばかり、と間抜けのオンパレードなのはどうした訳か。

私が堤義明という人に失望したのは、80年代に彼が「酔っ払いのために、終電を延長する
必要は無い」と語ったことがきっかけでした。当時は現在より終電が30分近く早かったのです。
実際に語ったかどうかは確かではありませんが、少なくともマスコミでは報道されていました。
私はこれを聞いて驚きました。驚くとともに暗澹たる気分になりました。
「終電=酔っ払い」というような貧困な図式でしかものを考えられない人物が、鉄道会社の
トップに立っているのか。そして日本の財界で重きを成しているのか…。
サラリーマン達がどんな思いで終電に乗っているのか、どんな思いで時には飲みたくもない
酒を飲んでいるのか、この“お坊ちゃま君”には全く理解できなかったようです。

近鉄の創業期の話を本で読んでいたら、後に経営陣になる登場人物がまだ若い頃に、
自社の鉄道を知らねばいけないと考えて、近鉄奈良線の終点である奈良に家を買い求め、
そこから毎日大阪の本社に通うエピソードがありました。いや、エピソードというより当たり前の
事実としてサラリと紹介されていたに過ぎません。しかし、私はこの部分を読んで感動しました。

さて堤義明・元西武鉄道社長は、西武鉄道に何回乗ったことがあるのでしょうか。
試乗やお召し列車のような特別仕立てのものを除くと、殆んど無いんじゃないですかね。
麻布の豪邸に住み、原宿のコクド本社に通い、専用ヘリコプターで視察してまわる…。
これ程鉄道嫌いな人物に経営されてしまった西武鉄道が、鉄道ファンとしても気の毒でなりません。
鉄道会社の経営者たるもの、「自社沿線に住む」(毎日乗って通え、とまでは言いませんが)
というのが最低限の良識であり、条件なのではないかと思います。

マスコミの関心は彼が実刑になるかどうかに移ってきた感がありますが、私はそんなことより
これまで不正に蓄財してきた金を、いかにして社会に還元させるかの方が重要だと思います。
このニュースにある、西武線の立体交差化に私財をあてさせるのも、その一案になるでしょう。
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by funatoku | 2005-03-09 20:47 | テレビ・ニュース | Trackback | Comments(0)

丹波山温泉のめこい湯(山梨県北都留郡丹波山村)

昼下がりに都下某市で美味いせいろ蕎麦を食べ(この店のことはいずれ書くことになるでしょう)、
腹ごなしに近くの大きな公園を散歩していたら、温泉へのお誘いの電話がかかってきた。
持つべきものは友人?と言う訳で、早速多摩モノレールの終点・上北台駅前で待ち合わせ。

(新)青梅街道を真っ直ぐ進み、青梅を越え、奥多摩湖を越え、山梨県に入ってしばらくすると
丹波山村の中心近くにのめこい湯がある。田無あたりから車で2時間。都心からだと中央高速
利用になるが、上野原ICからだと山越え道になるので八王子で降りた方が無難かも知れない。
電車利用だと、青梅線の終点奥多摩駅から西東京バス「丹波行」で約1時間「丹波山温泉」下車。
一日5往復しかないが、昼過ぎに新宿を出発すれば、日帰りも余裕で可能(平日・休日共)。

ここは、ほんのりと硫黄臭があり、入ると肌がつるつるになるという、山梨県東部エリアでも
有数の温泉らしい温泉である。数年前建物が新しくなる以前は、もっと“濃い”泉質だったとも
聞くが、残念ながらその頃は行った事が無い。青梅街道脇の駐車場から渓谷に下りて、吊橋を
渡ったところにあり、宿泊施設の無い日帰り湯で、設備は小奇麗。ローマ風呂と和風風呂の
2種類に分かれ、1週間ごとに男女交替する。前者は内風呂が充実し、後者は露天風呂が広い。
今週は和風風呂が男風呂だった。

上北台ではポツポツ小雨が降りだしただけだったのに、青梅を過ぎる頃から雪が混じり、
奥多摩ではすっかり本格的な雪になり、渓谷は山水画のような幻想的な風景となった。
ここの露天風呂は眺めはそれ程良い訳ではないのだが、思いがけない雪見風呂はまた格別で、
閉館時間ギリギリまで粘って、湯船につかってしまった。お気に入りなのになかなか来られないのは、
交通の便の悪さと、この閉館時間の早さ。せめてもう一時間営業して欲しいものです。

桜の季節になったら、今度はバスで来てみたいと思う。
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by funatoku | 2005-03-06 00:31 | 旅日記・温泉・鉄道 | Trackback | Comments(0)