カテゴリ:ヤクルト・西武(プロ野球)( 22 )

“移籍”した球団オーナー

 日本のプロ野球において、オーナーでありながら“移籍”してしまったのは、球団の買収等のケースを除くと多分この中村長芳氏だけでしょう。球団のオーナーといえば、福岡ソフトバンクホークスの孫正義オーナーや、既に退任した巨人・渡邉恒雄オーナー、西武・堤義明オーナーのように親会社の社長が就任するのが通例です。それなのに2球団でオーナーとはどういうことでしょうか。それも間をあけずに“移籍”しているのですから、現在の感覚からするとかなり不思議な現象です。これを説明するには千葉ロッテマリーンズの歴史を振り返る必要があります。

 昭和25年に第1回の日本シリーズを制した毎日オリオンズは、昭和32年に大映ユニオンズを吸収合併して大毎オリオンズと改称します。オーナーには大映の永田雅一社長が就任し、毎日新聞と大映が共同で球団を経営する体制になったのです。昭和35年に西本幸雄監督のもとで大毎はリーグ優勝しますが、この年限りで毎日は事実上経営から手を引き、39年には資本関係も解消します。
 しかし、既に映画業界は斜陽期で、大映一社で球団を維持するのは難しくなっており、永田オーナーは友人である岸信介元首相の仲介によってロッテとスポンサー契約を結び、昭和44年に球団名をロッテオリオンズに改称します。この時点ではロッテに命名権を売却しただけで、ロッテが正式に球団を買収するのは46年のことです。こうした買収の経緯から、オーナーにはロッテ側ではなくて岸信介氏の秘書だった中村長芳氏が就任したのです。いわば“雇われオーナー”という変則状態ですね。
 ところでこの頃、福岡に本拠を置いていた西鉄ライオンズは人気、成績ともに低迷しており、親会社の西日本鉄道は売却先を探していました。ここで中村氏が西鉄球団の株を購入するのです。しかし、プロ野球協約では2球団に関係することは禁じられていますから、中村氏はロッテのオーナー職を辞任し、47年のオフに福岡野球株式会社を設立してライオンズのオーナーに就任しました。そして、ゴルフ場を経営する太平洋クラブや、廣済堂のグループ企業であるクラウンガスライターに命名権を売却して6年間球団を経営しましたが、赤字が増えたために昭和53年オフに西武グループに球団を売却してオーナーを退任しました。

 こうして中村氏は球界を去りましたが、ロッテ以来中村氏のもとで球団経営にあたっていた坂井保之氏は西武ライオンズに残留して球団代表に就任しています。正直なところ球界混乱期に暗躍した胡散臭い存在というのが、中村氏への現在の一般的な評価でしょう。しかし、私財をなげうって球団経営にあたっていたのも確かで、もう一度見直されても良い人物ではないかと私は思っています。
 例えば、ロッテのオーナーに就任したのは岸氏の意向でしょうが、ライオンズのオーナーに就任したことに岸氏がどの程度関わっていたのかがよく分かりません。昭和53年にライオンズが去ってから昭和63年オフにダイエーホークスが来るまでプロ野球空白地帯だった福岡に、ロッテが移転するという構想がありました(西鉄出身の稲尾和久氏がロッテ監督に就任したのはこのための布石と言われています)。岸氏や韓国資本は福岡に関心を持っていたようですが、これと中村氏とのつながりがよく分からない訳です。そう言う意味では、中村氏は戦後政治史とプロ野球の狭間の生き証人だったと言えるでしょう。

 余談。数年前まで東京竹橋の毎日新聞本社1階に「オリオンズ」という喫茶店がありました。「毎日オリオンズ」最後の遺構だったかも知れません。


■中村長芳氏=プロ野球ロッテ、太平洋クラブ元オーナー(読売新聞 - 10月18日 22:50)
 中村長芳氏(なかむら・ながよし=プロ野球ロッテ、太平洋クラブ元オーナー)18日、くも膜下血腫(けっしゅ)で死去。83歳。告別式は23日午前11時、山口市本町1の2の15長寿寺。自宅は同市泉都町3の1。喪主は長男、芳夫氏。
 岸信介元首相の秘書を務めた後、1971年にプロ野球ロッテのオーナーに就任。72年オフ、西鉄ライオンズを買収し、太平洋クラブ(76年10月からクラウンライターに変更)のオーナーに転じて、78年に西武に球団を売却するまで球団経営に携わった。
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by funatoku | 2007-10-20 00:18 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback(1) | Comments(0)

ロッテ・西武17回戦(8/16 千葉マリン)

 千葉マリンスタジアムに初めて行ってきました。東京西部在住者にとっては幕張は実に遠くて、なかなか行く機会がありませんでした。熱烈かつ整然たることで有名な千葉マリンのロッテ応援団を一度生で見たかったのと、ロッテの渡辺俊介投手を見たかったのです。私は対戦相手の西武ファンなのですが、今春も書いたようにアンダーハンドスロー投手が大好きなのですね。渡辺は今や数少なくなったアンダースロー投手で、恐らく球史でも一二を争う程低い位置からボールを投げています。
 今までなかなか生観戦する機会がありませんでしたが、この日は渡辺の登板日を目指して遥々やって来たのです。というわけで、4500円のバックネット裏席を奮発。やや三塁寄りで右投手の球筋がなかなか見やすい席です。試合前のシートノックから見るのは久しぶり。ロッテ応援団は試合前の選手紹介への声援からして統制がとれているので驚く。こういう場面はなかなかテレビに映りませんからね。

 1回表、西武は福地寿樹、片岡易之、栗山巧と左打者を並べるも、渡辺は三者凡退に仕留め、痛し痒し。ところが、2回表にカブレラと中島裕之に四球を出し、GG佐藤の二塁打で1点を失ないます。一般的にアンダースローは左打者が苦手というものの、今日の渡辺はどうも右打者の方が投げにくいようで、高めの直球が大きく外れています。しかし、2回裏には西武先発ギッセルも1失点。球が低めに決まらずベルト近辺に集まり、変化球でストライクが取れません。しかも、昨年見たときは投球テンポの速さが際立っていたのに、今日はその面影も無く不安が募ります。
 果たして不安は的中して3回表、カブレラが渡辺から3点本塁打を放ち1-4にしたものの、3回裏にはギッセルが3安打を食らい2失点で降板してしまいます。カーブのコントロールに苦しんで、球を置きにいっているのが素人目にも分かるのに、何故速球勝負をさせなかったのか、捕手細川亨の配球にも疑問が残ります。
 4回からは渡辺が立ち直り始め、大きく外れていた高めの直球で空振りを取れるようになってきました。対する西武二番手山岸穣もカーブとスライダーのコントロールが素晴らしく3回2/3を1安打に抑えますが、6回裏にショート中島の失策で1点を失ない4-4で同点。7回表を渡辺が三人で抑えると7回裏、代わったばかりの西武三番手山崎敏が満塁にしてしまい、四番手岩崎哲也がロッテの4番打者サブローにタイムリー安打を喫して5-4、ついに逆転を許します。8回表は薮田安彦に抑えられ、9回裏は小林雅英に2安打を浴びせ「すわ、コバマサ劇場か」と思いきや、そのまま抑えられてしまいました。9回無死1塁で中島の打席。中島は大きく構えて振り抜くタイプなのにバスターバントの構えをさせて結局三振。エラーしているんだから、汚名返上の為に自由に打たせてやればいいのに…、と監督の采配に疑問が残るところです。

 西武は先発ギッセルの不調が最大の誤算でした。来年の契約が微妙な選手ですが、この日の内容では先行き厳しいものがあります。渡辺俊介の二ヵ月半ぶりの勝利でロッテは2位に浮上する一方、4位西武は3位ソフトバンクと4ゲーム差と開き、プレーオフ進出が厳しくなりつつあります。まあ、アンダースローおたくの私とすれば、渡辺を間近で見られたのでまあ良しとするか…。あと、5回終了時に300発の花火を打ち上げたのですが、今年は花火を見られなかったので予想しないお楽しみでした。短時間に集中して上げるのでかなりの迫力なのね。

【16日・千葉マリン】◇17回戦・ロッテ8勝8敗1分 ◇観衆27,515
     1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
西武   0 1 3 0 0 0 0 0 0 4
ロッテ  0 1 2 0 0 1 1 0 X 5
[勝]渡辺俊 18試合 7勝 6敗
[S]小林雅 36試合 2勝 4敗 18S
[敗]山崎 30試合 2勝 2敗
[本]カブレラ20号3ラン(渡辺俊・3回)
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by funatoku | 2007-08-17 21:14 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)

親子二代の下手投げ 会田照夫と会田有志

このところ巨人は2年目会田有志投手を二番手としてリリーフ登板させることが多いようです。
ヤクルトファンの私としては、父親である会田照夫投手を懐かしく思い出します。有志投手は細身で、照夫投手は小柄でずんぐりとした体型。随分と違うのに顔立ちに面影があるのと、投球フォームがどちらも近年めっきり少なくなったアンダースロー(下手投げ)なのです。

私はアンダーハンドスローが大好きで、野球という種目が生んだ芸術品ではないかとさえ思っています。杉浦忠(南海)や小川健太郎(中日)の現役時代は記憶にありませんが、私がプロ野球で一番好きな投手は誰かと問われれば山田久志(阪急)を挙げますし、日本シリーズで淡々と投げていた足立光宏(阪急)、無駄な力が抜けていた上田二朗(阪神)、浮き上がる速球で三振の山を築いた松沼博久(西武)、早稲田実業で荒木大輔の前のエースだった弓田鋭彦、そしてもちろん会田照夫もそれに続きます。現役では渡辺俊介(千葉ロッテ)、まだ生では見てないんですけど、是非ネット裏で見たいですね。

会田照夫もゆったりしたフォームで、かなり低い位置でボールをリリースするアンダーハンド投手でした。47(昭和22)年、埼玉県生まれ。上尾高校、東洋大学、三協精機を経てドラフト8位でヤクルトに入団し、1年目の71(昭和46)年に6勝しました。その後4年間で1勝13敗と伸び悩みますが、76年に10勝、77年に9勝と先発ローテーションの一角として活躍。ヤクルトが初優勝した78年には3勝と衰えが見え始め、79、80年と勝ち星がなく引退しました。実働10年で29勝45敗3セーブ。同時代の松岡弘、安田猛、浅野啓司らに比べると成績は地味でしたが、忘れ難い選手の一人です。丹念に低めを突き、シンカーで打ち取るのが持ち味でした。

76年に突然ブレークしたのは、広岡達朗監督のアドバイスで投球フォームを変えたことがきっかけと会田本人が語っていました。打者に完全に背中を見せるフォームをやや小さくしたということですが、それでもかなり大きなフォームだったと思います。余談ですが会田再生に成功したことで、広岡監督自身もアンダーハンド投手指導に自信をつけたようで、その後西武監督として低迷していた松沼博久、高橋直樹らを再生させています。

息子の会田有志投手は高校時代にサイドハンドに転向、アンダースローに転向したのはプロ入り後というからちょっと意外です。意外と言えば、日本プロ野球史上、親子で1軍登板したのはこの会田親子だけなのだそうです。野手では長嶋茂雄・一茂、野村克也・克則などが有名ですが、投手は初めてとは知りませんでした。有志投手はまだ体の捻りと腕の振りがしっくり行かないようですが、目標にしているという父親のようなスムースなフォームを身に着けてくると、日本プロ野球史上初の親子で勝利投手は間近ではないかと思います。アンチ巨人の私としては少し困った心境なのですが。
(4/26追記)今日、会田有志投手が横浜相手に初勝利をあげました。
(5/1追記)有志投手が登板すると、解説者が照夫投手の思い出を語りはじめるようです。
谷沢健一「お父さんの方が、もっと沈み込むアンダースローだったんじゃないかなあ」
加藤博一「私のプロ入り初ヒットはお父さんからなんです。“お父さんに宜しく”と言いました」
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by funatoku | 2007-04-14 11:43 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(4)

東北楽天vs西武10回戦(7/29 フルキャストスタジアム宮城)

ご承知のように東北楽天イーグルスという球団は、とても不幸な出発を余儀なくされた。
ライブドアの堀江貴文氏が球団経営を放棄した近鉄の買収に名乗りをあげたにも拘らず、
新規参入者から既得権益を守りたい日本のプロ野球界は、あくまでも近鉄とオリックスの合併を
強行しようとしたものの、世間の反発に驚いて慌てて球団数減少を思いとどまった。
しかし、選手分配ドラフトなるものをデッチあげ、近鉄・オリックス両球団から残したい
選手25人をオリックスが確保した上で、残りの選手を新規参入した楽天に押し付けたのだ。

どう考えても暴挙である。日本プロ野球の暗黒史としか言いようが無い。私が断然楽天を
応援することにした所以である。しかしながら、ここに問題が生じる。私は既にヤクルトと
西武のファンであって楽天は3球団目ということになる。殊に西武とは同じパ・リーグなので
西武と楽天が対戦した場合、私はいかなる態度で臨むべきか。未だにハッキリしていないのだ。
しかし、今回の楽天対西武10回戦は楽天側の座席で見ようと決めていた。仙台のファンの
応援ぶりを肌で感じたかったのである。

仙台駅東口からシャトルバスに乗り10分ほど。フルキャストスタジアム宮城は運動公園の
中にある、かつてロッテが本拠地にしたことがある宮城球場を改修して出来た球場なのだ。
ホームチームの楽天が三塁側というのが珍しいが、その三塁側内野席は満員とのことで、
私は内野席後方に新設されたスタンド(甲子園のアルプス席のようなもの)に入ることにした。
球場に入って分かったが、一塁側内野席には後方にスタンドを拡張する余地が無いので、
これがホームチームなのに三塁側という理由なのだろうと納得した。

席に着いたのは1回裏フェルナンデスの打席が終了するところだった。西武先発の涌井秀章は
高卒2年目ながら低めに球を集める制球力の持ち主で西武投手陣の柱に成長した。2回裏、
3回裏に先頭打者を塁に出しながらも抑えると、4回表先頭打者の中島裕之がライトスタンドに
本塁打。0-1となる。楽天先発の一場靖弘は球に力があるが特に高低のコントロールが悪く、
勝負どころに弱い印象がある。この日も打たれた初ヒットが先制本塁打になってしまった。
ただ涌井もストライクとボールがハッキリして、スライダーを多投しており本調子ではない。
一場はストレートの球速は涌井よりやや遅いが、ランナーを出しても三振でしのぐ力投ぶり。

両投手の投げ合いで試合は早いテンポで進み、勝負どころは8回にやってきた。
西武は片岡易之、中島の連打の後、カブレラ三振、和田一浩敬遠で満塁。ここで指名打者の
栗山巧がライト前に2点タイムリーを放ち0-3。試合をほぼ決定付けたように見えた。
しかし、涌井が8回のマウンドに上がったところで私はオヤと思った。確かに7回を4安打
無失点なのだが、四球も4。前の7回裏には先頭打者の山崎武司を無造作に歩かせ、後の
3人を力を振り絞って三振に斬ってとっており、もう余力は無いように見えたのである。
ここで8回石井貴、9回小野寺力という得意の継投パターンに持ち込んでいたらどうなったか。
案の定、先頭の塩川達也から関川浩一、高須洋介が連打で満塁、フェルナンデス四球で1-3。
そして山崎がレフトスタンドに逆転満塁本塁打を放ち5-3で勝負あった。9回はリリーフ
エース福盛和男が危なげなく抑えた。でも野村克也監督が試合後にグランドで球団マスコットの
クラッチーナ(鷲の女の子)をおどけて抱き寄せたのには驚いたなあ。

スタンドで見た仙台の楽天ファンは暖かく、かつ素朴という印象。阪神ファンのように熱狂的ではなく、
ロッテ・ファンのように組織立ってはいないが、他球場では割と大人しい内野席も外野席に負けない
応援ぶりである。一球ごとに歓声があがったりしているし、途中までは負けていたのに、
8時過ぎに席を立つ客もほとんど見られなかった。負け試合と見切りをつけると途端に冷淡になる
巨人ファンあたりとは対照的で、野球馴れというか野球ズレしていないのだろうなと感じさせる。
仙台という町が楽天イーグルスを盛り上げていこうとしている姿勢がうかがわれて、何だか
私までとても嬉しくなった。西武は負けたけど、楽天が勝ったからいいか…ってね。

ところで、この球場のビール売りにはちょっと問題がある。私はスーパードライは飲まず、
一番絞りを好むのだが、私の席の近くまで来る売り子はスーパードライばかりなのである。
初めは偶然かと思ったが、見ていると一番絞りの売り子は上の席まで登ってこようとせず、
上の席を見るのさえ避けている様子。スーパードライが何十回もやって来たのに対して、
エビスが3、4回、一番絞りはゼロである。試合の中盤には一番絞りもエビスも全く来ないので、
試合そっちのけで苛立ってしまった。馬鹿馬鹿しい話だが、私はこんな極端な売り方をする球場を
初めて見た。どうにかエビスを2杯飲むことが出来たのは僥倖だったのかな。

2006年07月29日 パ・リーグ フルキャスト  
    1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
西武 0 0 0 1 0 0 0 2 0 3
楽天 0 0 0 0 0 0 0 5 × 5
投 手
西武 涌井
楽天 一場―福盛
   
【勝】 一場 6勝 9敗 0S
【負】 涌井 9勝 5敗 0S
【S】 福盛 0勝 2敗 17S
本塁打
西武 中島16号
楽天 山崎武12号
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by funatoku | 2006-08-01 01:42 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)

西武vs東京ヤクルト(6/7 インボイス西武ドーム)

私がヤクルトファンになったのは、71~3年の三原脩監督時代だから30年以上になる。
そのヤクルトを78年に初優勝に導いた広岡達朗監督が、82年に西武の監督に就任してから
西武も応援するようになった。西武沿線に住んでいたからファンになったのではないのである。
80年代の西武黄金時代の頃のヤクルトは何とも覇気の無いチームだったので、地の利も
あって私は西武球場に通うことが多かったのだが、90年代に入ると西武野球に破綻が見え
始める一方、ヤクルトは野村克也監督のもとで上位を狙えるチームに成長してきた。
以来、私はどちらのチームも同じように応援している。甲乙はつけ難い。

春夏の甲子園のようにどちらのチームのファンでない場合は純粋にゲームを楽しめる。
しかし、両方のファンである場合、どのような姿勢で試合に臨めばいいのだろうか。
自分でも判然としないまま18時過ぎに球場に到着した。チケット売り場の前で首をひねる。
さて…と少し考えて三塁側ビジター席を買うことにした。空いていそうなのと、西武先発予想が
聞いた事の無いギッセルだったので、ヤクルト館山昌平の方が有利と見たためでもある。

入場してみると案の定、1回表に既にクリストファー・ギッセルは1失点している。
長身だが球速は無い。速いテンポで投げ、低めに球を集めるのが身上の投手のようだが、
結構抜けた球も多く、ヤクルトの1番青木宣親あたりには芯で捉えられている。一方、ヤクルト
先発館山はサイドスローからの速球に力があり、カブレラ、和田一浩がタイミングを外されている。
ところが分からないもので3回裏館山が崩れる。西武の1番福地寿樹の3点本塁打で逆転、
更にこの回2死球と大荒れで2点を追加され5-1。続く4回裏、福地が二盗を決めた後、3番
中島裕之の適時打で6-1と西武ペース。4回までギッセルに7安打しながら初回の1点に
抑えられたヤクルトは、5、6回に得点してようやく6-4となって終盤に期待をつなげる。
7回は勝負の最後の分かれ目だった。ギッセルから交替した三井浩二は三人で片付けたが、
古田敦也監督は素人目にも疲れが見え始めていた館山を続投。おやおやと思ってる間に中島に
2点本塁打を食らい8-4、万事休した。石井弘寿が登録を外れているために交替機を逸した感は
否めない。最後は今年好調の石井貴、小野寺力の西武リリーフ陣が1回づつ危なげ無く抑えた。

福地寿樹は13年目。広島で主に代走、守備固めをしていて、今期直前西武に移籍した。
プロ入り初めてのお立ち台だったとのこと。ヤクルト青木は4安打猛打賞、宮本慎也は5回
ギッセルから右足に死球を受け退場。ヤクルト12安打、西武11安打の乱打戦だったのに、
試合が3時間かからず9時前に終了したのは、ギッセルの投球テンポが速いためだろう。

で、私の個人的な感想だけど、やはり球場での野球観戦はどちらかを応援した方が良いなあ。
「どちらも好き」というのでは、もう一つ消化不良の感が残るのである。

【7日・インボイス】◇5回戦・西武2勝3敗◇観衆12,303  試合終了
    1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
ヤクルト 1 0 0 0 2 1 0 0 0 4
西武  0 0 5 1 0 0 2 0 X 8
[勝]ギッセル 3試合2勝
[敗]館山 5試合1勝3敗
[本]福地3号3ラン(館山・3回)、中島10号2ラン(館山・7回)
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シーズン途中で来日し、1年だけで去る外国人選手は選手名鑑(印刷媒体)に名前が残りません。
ギッセル投手はどうなるでしょうか。78年生。196cm96kg。右投右打。

<6/27追記>25日のロッテ戦(7-2)、ギッセルは完投で3勝目をあげました。121球、被安打6。
この試合が2時間40分で終了したのは、ギッセルの早い投球テンポの結果に他なりません。
本人も「打者は読みにくいはず」と言っているようですし、日本野球に一石を投じたと思います。
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by funatoku | 2006-06-08 15:07 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)

浅野啓司投手(元・ヤクルト)のこと

かつて毎週読んでいたこともあるが、今では年に数冊しか買わなくなった「週刊ベースボール」の
10月3日号を買ったら、「想い出球人」という連載記事に浅野啓司さんが登場している。
昔、東京の子供は巨人ファンが多かったのだが、子供の頃からへそ曲がりだった私は、当時
弱かったヤクルトのファンになった。浅野さんはそのヤクルトの主力投手だったのである。
当時、ヤクルト投手陣には松岡弘や安田猛がいたのだが、松岡はコントロールが悪く、すぐに
2-3になるので、子供心に見ていて苛々したものだ。一方、安田はズングリとした体型で、
後年漫画「がんばれタブチくん」のキャラクターにもなった位で私は好きだったのだが、
その技巧派の極北とも言えるピッチングの真価を理解していたとはとても思えない。

それに比べて、浅野投手はゆったりとした美しいオーバースローの本格派だが、制球がよく、
糸を引くような速球や、縦に割れる大きなカーブ、切れのいいシュートを低めいっぱいに決める。
力で押すよりも理詰めで打ち取ってゆくタイプで、見ていて分かりやすく、そして快感があった。
あれは何年のことだったか、親に連れられて行った後楽園球場の巨人・ヤクルト戦で浅野さんが
巨人を完封した時は、喜んだのなんの。しかもヤクルトの2点は九回表に入ったものだった。
投げ合った相手は関本四十四という記憶があるが、堀内恒夫だったかも知れない。
あと、私は子供の頃は眼鏡をかけた選手が好きだったのだが、これは同級生が次々に近眼に
なって、メタルフレームの眼鏡をかけるのを羨ましく思っていたためだろう。
浅野さんの他には稲葉光雄(中日)、白石静生(広島)、高橋直樹(東映)らが眼鏡をかけていた。
ついでに言うと、私は未だに視力が2.0近くあって眼鏡に縁が無いのだが、遠からず老眼鏡の
お世話になりそうな気配ではある。勿論今は眼鏡に憧れてはいないが(笑)。

浅野さんは1949年生まれ。ラジオのナイター中継が野球にのめりこむ契機だったという。
すぐ長嶋さんのファンになりましたね。ただ、巨人ファンではなかった。むしろアンチ。ピッチャーだったから、こんなチームに投げてみたいなと。
福山電波工高(現・近大福山高)ではエースとして活躍するが、甲子園へは行けなかった。
ひとつ下に村田兆治がいたんですが、彼と一緒によく走りました。兆治は球が速かったけど、コントロールが悪くて上に行ったり下に行ったり、全然キャッチャーのところに行かなかった(笑)
ドラフト9位でサンケイ(現・ヤクルト)に入団、1年目の67年からリリーフとして頭角を現し、
50試合に登板して8勝12敗、防御率2.76。新人王は7歳年上の同期・武上四郎(故人)だった。
70年から先発が増えた。チームが弱かった時代で、前半に6勝し、オールスター休みでヒジを壊して後半投げてないけど、石岡康三さんと一緒にチームの勝ち頭。チーム全部で33勝ですからね(笑)
年間256イニングを投げた74年、ある時打者の動きがスローモーションに見えたという。
ヒジに痛みがあって、軽くしか投げられなかったんですが、突然バッターの打ち気が見えたんです。これがわかると、打ちそうならボール球、ないときはポンとど真ん中を投げられる。これで球の力が落ちてもいける、40歳までできると思いました。
榎本喜八もそうであったように、一流選手はこういう境地に達することが間々あるらしい。
ここまで8年で66勝。大投手への道が拓けたかに見えた。しかし、翌年…。
腰を痛めてしまった。次の年は粘ることができず、投げるのがワンテンポ早くなって、打者が見えなくなったんです。
ヤクルトを初優勝へと導くことになる広岡達朗監督の指導法にも合わなかった。
76年夏には、ある程度投げられるようになったんですが、広岡さんは投手にみんな同じ投げ方をさせようとした。僕は投手としては決して体が大きいわけじゃないし、大きい人と同じトレーニングをして、同じ投げ方をしても勝てないじゃないですか。だから「僕は自分のやり方でやります」と。ふだんはそうでもないけど、野球に関しては頑固でしたね。
77年倉田誠とのトレードで巨人に移籍してしまい、アンチ巨人の私としては残念だったのだが、
この年、9勝4敗1Sをあげ、カムバック賞を受賞する。王貞治が756号の世界記録を達成した
試合の先発も務めた。しかし、翌年から引退する84年までは、故障に悩まされ続けた。
(77年で)燃え尽きたこともあります。悪い時期の後だったし、なんとか結果を出したいと必死にやりましたから。それと腰を痛めて以来、無理が掛かったのか、ヒジや肩がすぐ痛くなるようになってしまいました。(略)最初の8年で66勝。その時は100勝なんて簡単だと思いましたが、その後、全然伸びなかった。いやになるくらい(笑)
18年間の通算成績は542試合登板(歴代47位)、86勝116敗10S、防御率3.39。

皮肉なことに巨人に移籍してからの方が知名度は上がったと思われるが、そもそもは強い頃の
巨人相手に快刀乱麻の活躍をした名投手として、記憶されるべき人であると私は思う。
巨人戦はお客さんも多いし、テレビ中継もあるから、やっぱり特別。球団も「巨人戦だけは頑張れ」みたいな雰囲気があった。
引退後は野球解説者を経て、ヤクルト、日本ハム、台湾プロ野球でコーチを務め、現在は
白鴎大学野球部の特別コーチ。プロ経験者が大学野球で実質的監督業を務めるのは珍しい。
コーチの仕事は好きですね。技術を理論付けるのは得意だし、選手にのめりこむタイプ。自分で言うのもなんですが、熱心なコーチだと思います。優秀かどうかは分かりませんけど(笑)
かつてのファンとしては、是非“浅野監督”の勇姿を見に行かねばなるまい。
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浅野さんはマスターズリーグにも参加しているとのこと。美しい投球フォームは健在でしょうか。

*     *     *
9月29日早朝にご訪問者数が6000人を突破しました。このところ、自分の引越しに加え、
仕事量のピーク、身内の入院などが重なって、すっかり更新ペースが落ちているにもかかわらず、
多くの方に来て頂きまして有難うございます。励みになります。私の中では“ブログを書くこと”の
比重がむしろ高まってきています。今後とも宜しくお付き合い頂ければ嬉しい限りです。
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by funatoku | 2005-10-04 04:02 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(4)

松井浩『打撃の神髄 榎本喜八伝』(講談社)

沢木耕太郎『敗れざる者たち』(文春文庫)の素晴らしさを教えてくれたのは代々木ゼミナールで
現代国語を担当していた椿本昌夫先生だった。沢木スポーツ・ノンフィクションの原点とも
いうべき初期の作品集であり、私も先生の熱弁につられて読んで、すっかり沢木節に魅了された。
その本の中で特に気になったのが、「さらば宝石」という一編である。主人公は長嶋茂雄と
同時代に背番号3をつけ、ほぼ同じ成績を残しながらひっそりと球界を去った榎本喜八。
榎本は1000本安打の最年少記録保持者であり、2000本安打もイチローに抜かれるまでは
最年少の31歳7ヶ月で達成していた。「さらば宝石」は打撃の求道者としての榎本を描いた傑作
だったが、本人へのインタビューが出来なかったために、結果として世間に榎本の“奇人性”を
強調してしまう恨みが残った。本書の著者は榎本喜八本人に2年間にわたる取材を続け、
合気道理論なども交えられた難解な打撃談義を咀嚼するまでに、さらに6年の日々を費やした
という。本書の刊行により、ようやくミッシング・リンクがつながった感がある。

「今までに見たバッターの中で一番正確なバッターは誰かと聞かれれば、躊躇なく榎本と言うな。
パ・リーグでは野村克也や張本勲が、榎本よりいい成績を残しているけれど(略)」(西本幸雄)
「私が対戦したバッターの中で、もっとも雰囲気のあるバッターだったのが榎本さんでした。
私はヒジへの負担が大きかったのでフォークボールを投げなかったんですが、榎本さんだけには
投げざるを得なかった。一試合に5球以内と限定して、ただ一人だけに投げてました」(稲尾和久)
「昭和30年代を代表するバッターを挙げろと言われれば、榎本喜八、張本勲、山内一弘、
長嶋茂雄、王貞治の名前を挙げます」(杉浦忠)
「お客さんを喜ばせるプレーが初めて芸の域に達したプレーなんだね。まず『技』があって、
その上に『術』がある。だから『技術』というんだ。『芸』はその上なんだよ。『芸』の域に
達したプロ野球選手には、川上哲治さんや、藤村富美男さん。長嶋、王、金田正一もそうだ。
で、『芸』の上が『道』を極めるだ。野球で、それに挑戦したのが榎本なんだよ。確かに残した
記録では王が上だが、到達したバッティングの境地でいえば、榎本が上だったね」(荒川博)

榎本喜八は1936(昭和11)年、東京・鷺宮の農家の生まれ。早稲田実業の先輩だった
荒川博の紹介で毎日オリオンズにテスト入団すると、1年目の55年、.298、本塁打16本で
新人王を獲得し、“安打製造器”と呼ばれた。この頃の榎本を支えたのは荒川、小森光生、
沼沢康一郎という早稲田大学出身の先輩たちとの打撃談義だったようだ。この4人は仲が良く、
遠征先の宿でもお互いのバッティングを検討しあったのだという。高度な打撃技術を持ちながら、
それを維持する器用さに欠け、数年後プロの壁に当たった榎本を合気道に誘ったのも荒川だった。
そこで、藤平光一に師事し、合気道の呼吸を身に着けたことで、翌60年に首位打者に輝くと
共に、山内一弘、田宮謙次郎、葛城隆雄らと組んだダイナマイト打線で優勝をも果たした。

この合気道との出会いが打者としては大きかったのだが、彼を孤高の存在にした感もある。
「骨や筋肉、それに胃や腸、肝臓などがどこにどんなふうにあるのかわかるようになったんです。
(略)そして、呼吸法をしながら、自分の体の調子を整えてたの。大阪から東京まで特急列車に
乗っていても、目をつぶって体の中をじっくり感じているとアッという間に時間が過ぎたものね」
そして63年7月、榎本は生涯最高の絶好調を迎える。
「自分の身体の動きが、それこそ五体のスミズミまではっきりとわかったんです。毎日毎日
バカ正直に稽古していた臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映ったとでもいうのか、
脳裏のスクリーンに映ったというのか。(略)夢を見ているようでしたね」
「タライに張った水に、お月さんが映るでしょ。あれと同じ。タライに張った静かな水に
自分のバッティングフォームが、はっきりと映ったような感じだったですねぇ」
「ヒットを打ったり打ち損じたりするたびに、タイミングが合った、狂ったと一喜一憂してた。
しかし、臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになると、ピッチャーとの
タイミングがなくなってしまった。ピッチャーの投げたボールが、指先を離れた瞬間から
はっきりとわかる。タイミングなんて最初からないから、タイミングが狂わなくなったですね」
この間すべて4番を打ち、4割以上の打率を残したが、2週間後に足を捻挫して欠場。
復帰した時には、その感覚が失われており、二度とその境地に達することはなかったという。

選手生活晩年は、同じポジションに濃人渉監督子飼いの強打者・江藤慎一が移籍してきたり、
大沢啓二監督にも干されたりして余り幸福なものではなかったようだ。この時期に、試合前に
ひたすら瞑想していたり、ロッカールームで荒れたりという“奇行”が有名になってゆく。
また、有藤道世、山崎裕之らの若手に自らバッティングを教えようとしたこともあったが、
榎本独特の“合気道打法”は、当時理解されることもなく、孤立を深めただけだった。
現役引退後3年も経って、東京球場付近でトレーニングしている榎本の姿が見られたため、
“榎本は現役に未練を残している”という噂が広がった件は、「さらば宝石」でも触れられていたが、
これは当時、青田昇が榎本を打撃コーチに起用したがっているという話を伝え聞いて、
コーチ就任のためにトレーニングしていたというのが真相だったらしい。
現在は球界との関わりを断ち、地元・鷺宮でアパート経営などをして悠悠自適の暮らしとのこと。

この本を読んで私が単純にいいなあと思ったのは、“早稲田4人組”の野球談義の場面。
西鉄のように二日酔いで球場に駆けつけて打ち勝つのもプロなら、酒も飲まずに延々と
バッティングを論じ合うのもまたプロである。榎本を指導した手腕を買われた荒川が川上監督に
請われて巨人入りし、王貞治の一本足打法を完成させたのは有名だが、小森、沼沢も指導者として
早くから頭角を現したのは偶然ではあるまい。面白いのは、後年“教えだしたら止まらない”
打撃コーチと称される山内一弘が、早稲田組に混じって野球談義をしたかったのだが、
自分は早稲田出身では無いので入りにくかったと語っていること。何とも勿体なかったなあ。
一応早稲田出身者の端くれとして言うと、早稲田出身以外を排除するなんてことを、最もやらない
校風なので、山内は歓迎されたろうに…。私の周りの飲み会でも、気がつくと早稲田出身者が
集まっていることが多くて、幾つになっても議論好きが多いことだけは確かなようだが。
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by funatoku | 2005-08-08 21:22 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(4)

プロ野球の“幕見席”

 プロ野球で、試合途中から観戦するファンを対象に、入場料金を割引する球団が増えている。日本ハムが昨季、午後7時半以降の入場者を対象に割引券「730(ななさんまる)」を販売したところ好評で、他球団も観客増を狙いに、同種の入場券の販売を始めた。
 楽天は5月10日から、フルキャスト宮城の主催試合で午後7時半以降の入場券を子供料金に下げる「おばんですチケット」の販売を開始し、当日は423枚が売れた。同19日のヤクルト戦では1538枚が売れ、球団側は販売窓口を増やして対応した。最後の観客が球場に入ったのは午後8時過ぎ。今は午後7時半前になると、入場券売り場に列ができる。
 島田亨球団社長は「日本ハムのまね」と率直に認め、「幅広いニーズに応える狙いもあるが、参入初年度のため、まずは球場を満員にしたかった」と明かす。
 西武も本拠地のナイターで「740(ななよんまる)チケット」を導入した。西武鉄道の主要駅・西武池袋駅から西武球場前駅までの所要時間は約40分。午後7時に池袋駅を出発した人でも観戦できるように、割引開始の時間を同7時40分に設定した。1試合平均で数百枚売れており、球団営業部は「導入して良かった」という。
 また、横浜は昨年まで販売していた八回表から格安で見られる入場券を「8時だヨ!チケット」に衣替え。横浜スタジアムでのデーゲーム、ナイターともに開始2時間後から入場料金を割り引いている。百瀬修営業部長は「きめ細かな価格設定でお客さんの『お得感』を掘り起こすのが重要と考えた」と話す。
 ヤクルトは神宮球場のナイターで六回以降に格安販売していた「立見席券」を、今季から七回表から観戦できる「スリーイニングチケット」にリニューアルした。球団営業部によると「石井、五十嵐といったリーグを代表する抑え投手を見てもらおうと、本人たちとも相談して始めた」という。
 一方、火付け役となった“本家”日本ハムのチケット事業部は「まねであれ何であれ、各球団の努力でプロ野球ファンが増えれば何より」と、他球団の動きを歓迎している。
2005年7月14日(木) 10時38分 毎日新聞

プロ野球の試合時間は、現代の大多数の人の感覚では、いささか長過ぎるのではないしょうか。
私は以前から、プロ野球にも歌舞伎でいうところの“幕見席”のような制度が導入されないかな、
と考えていたので、歓迎すべき傾向です。各球団の価格設定を比較してみましょう。

<日本ハムファイターズ>19:30~
1階内野自由席 2000円→1000円
外野席 1500円→1000円

<東北楽天ゴールデンイーグルス>19:30~
バックネット裏席 5500円→3000円
フィールドシート 6500円→3500円
内野指定席 3500円→2500円
内野自由席 2500円→1500円
外野指定席 2000円→1200円
外野自由席 1500円→900円
芝生席 1000円→700円

<西武ライオンズ>19:40~
内野指定席A 3600円→1800円
内野指定席B 3300円→1800円
内野自由席おとな 2800円→1400円
外野自由席おとな 1600円→800円

<横浜ベイスターズ>試合開始2時間後(デイ・ゲームでも発売)
内野指定席S 5500円→3500円
内野指定席A 4000円→2000円
内野指定席B 3500円→1500円

<ヤクルトスワローズ>7回表から試合終了まで
内野A指定 3900円→1500円
内野B指定 2600円(巨人戦)3100円(巨人戦以外)→1500円
外野自由席 おとな1500円→1000円

比べてみると、ヤクルトの場合、時間が不確定なので使いにくそう。球場の周りで客を待たせては、
何の意味もありません。信濃町や外苑前の駅で、試合速報と共に発売してはどうでしょうか。
西武の場合、池袋駅でも発売したら良いでしょうね。直通電車を走らせれば、なお好ましい。
こうした割引チケットは、“安く売ってやる”という姿勢では、余り成功しない気がします。
最大の目的は、より多くの大人たちに「勤め帰りに野球を見る」習慣を広めるということでしょう。
そのためには、短期的にはある程度の出血も覚悟した上で、取り組みを続けて欲しいと思います。
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by funatoku | 2005-07-14 13:49 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)

勝てない松坂大輔投手

【西武2―4日本ハム】感情を抑え切れなかった。リーグワーストの9敗目を喫した西武・松坂はバスに乗り込む直前に足を止めた。

 「誰も言わないから言います。今に始まったことじゃないですけど、球際に弱い選手が多いし、1つのプレーが軽すぎる。相手の守備を見て何も感じないということはない。自分も含めてワンプレーに気持ちを入れていかないと」。プロ入り以来、敗戦の責任を常に背負ってきた松坂が初めてキレた瞬間だった。

 2回2死一塁から高橋信の右越え二塁打で右翼・栗山が返球を悪送球。石井義が捕球しきれない中継ミス。カバーに入ったフェルナンデスまでが三塁へ悪送球するなどミスが重なって打者走者の生還まで許すお粗末ぶり。5回には稲葉の平凡な邪飛を中村が捕球できず。「勝負どころでの制球が良かった」とダルビッシュを評価したが、そんな18歳に敗れたことよりもチームの現状に我慢ならなかった。

 この日の2失策で今季54失策はリーグワースト。併殺を取れないなど記録に表れないミスもある。投手陣のフラストレーションが相当たまっているのは事実だ。松坂自身、右股関節痛をこらえながら今季10度目の完投。防御率2・36の力投が白星につながらないイラ立ちも重なったエースは最後に「ウチのチームはまだ若い選手が多い。もっとがむしゃらにやってほしい」と加えた。

 チームは4連敗で借金6。4位転落もここが踏ん張りどころだ。投手と野手の信頼関係が崩れれば、シーズンも終わってしまう。

 ≪気持ち分かるが≫松坂の発言に西武・伊東監督は困惑顔ながら「気持ちは分かるけど、それをカバーするのもエース。松坂の言うことじゃない」とぴしゃり。試合後は栗山、石井義、中村、中島の若手野手をコーチ室へ呼び出して反省会を行うなど、首脳陣もチームの立て直しに必死。指揮官は「みんな分かっているんだから」と自分に言い聞かせるように話した。
スポーツニッポン[ 6月28日 6時6分 更新 ]

ついにきたかという感じです。松坂大輔は今までこういうことを口にしない選手でした。
それだけに彼の言葉を軽率な野手批判、チーム批判として片付けるわけにはいかないと思います。
先日、今年初めて西武戦を見ましたが、正直なところ昨年日本一のチームには見えませんでした。
上の記事にもありますが、前回かいたように栗山巧の雑なプレーは、西武黄金時代の伝統は
どこへ行ったと嘆きたくなるようなものでしたし、中島裕之は一度送球が逸れると意識過剰に
なってしまい、その後は投げ方がおかしくなっているのが外野席からでもはっきり判りました。
そういえば去年、清水雅治コーチか笘篠誠治コーチだったかが、「中島はすぐ松井稼頭央の守備の
真似をしたがる。小坂誠(ロッテ)の真似をしろと言っているのに…」とボヤいていました。
優れた身体能力に頼り過ぎた松井のショート守備は、メジャーリーグでは通用しませんでしたね。

今年の松坂はテレビで観戦する限り、1ランク成長したように思われます。
フォームに無理が無くなって、八分の力で低めにベストボールが行くようになりました。
2.36という素晴らしい防御率と、奪三振数などがその結果と言えるでしょう。
ひとつ階段を昇ったエースが、階段の存在に気づかない、或いは階段を昇ろうとしない同僚に
苛立ちを覚えるのは無理もありません。松坂を“孤高のエース”にしてはならないと思います。
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by funatoku | 2005-06-28 13:16 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)

西武―阪神(交流戦・6/15 インボイス西武ドーム)

何とか交流戦に間に合いました。小雨降る中、西武ドームに着くと、同行のもみカルさんが、
是非外野席で見たいと言います。正直なところ、外野席応援団の大音量の中で見るのは、
余り気が進みませんが、確かに投手の球筋が良く見えるという内野席に無い魅力はあります。
私も80年代にはよくこの球場のバックスクリーン脇で、球種をチェックしながら見たものです。
しかし、外野チケットを買って入場してみたら驚きました。予想以上に随分混雑しているのです。
阪神応援団はどの球場でも多いのですが、1塁側外野席も雨の平日とは思えないほどの
活況振りで、内野席も9割がた埋まっているようです。
ここ数年観客動員では寂しい状況が続いていたので、これはちょっと嬉しい誤算でした。

しかし、試合の方はライオンズに全くいいところがありません。
私達が着いたのは2回裏の攻撃が終わったところだったのですが、4回表には、立ち直り
かけていた帆足和幸をショート・中島裕之の悪送球と、ライト・栗山巧の返球のもたつきで、
足を引っ張りました。ランナーを進めてしまった栗山はうなだれていましたが、こういう態度は
いただけません。知らん顔して“プレーで返してやる”位の気概が欲しいところです。

また打線も2点リードされた5回裏、2死1、2塁のチャンスに現在打率トップの6番石井義人が
2球目をセンターフライ。続く6回には1死満塁のチャンスで2番赤田将吾が空振り三振。
彼らが本当に自分の持ち味を理解しているのか疑問が残るところです。こうなると売り出し中の
“おかわり君”こと3番中村剛也も力んで引っ張りにかかり、あえなく三振を喫しました。

西武投手陣では終盤に小野寺力、長田秀一郎が本塁打を2本づつ打たれましたが、
こちらも重症に見えます。小野寺はなかなか投球フォームが安定しないタイプなのですが、
この日はやたら力み返っていて、そのくせ球は余り走っていないようです。
阪神4番手の藤川球児が力まずに、低めに伸びのある速球を投げていたのとは対照的でした。
長田は本来はスピードを捨て、コントロールに活路を見出すタイプであるはずなのに、逆ダマや
スッポ抜けばかりが目につきました。腕を遅らせて振ろうするフォームがしっくりいかないようです。
二人とも自由枠で獲得した逸材であり、まだやり直しがきく年齢です。こういう形で消耗させるより、
この辺でもう一度、2軍でしっかりとフォームを固めさせることが必要ではないでしょうか。
(追記:長田投手は翌16日付で、一軍登録を抹消されました)

▼西 武-阪 神 5回戦 (阪神4勝1敗、インボイス西武、18:01、27245人)
      1  2  3  4  5  6  7  8  9  計
阪 神 0  2  0  2  1  0  2  3  0  10
西 武 1  2  0  0  0  0  0  0  0  3

【投手】
(神)杉山、橋本、江草、藤川、ウィリアムス、桟原-矢野
(西)帆足、正津、小野寺、長田-田原、野田

【責任投手】
(勝)杉山9試合3勝4敗
(敗)帆足12試合6勝4敗

【本塁打】
(神)金本16号ソロ(7回、小野寺)、17号ソロ(8回、長田)、今岡13号ソロ(7回、小野寺)、
鳥谷1号2ラン(8回、長田)
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by funatoku | 2005-06-17 10:12 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(2)