カテゴリ:文庫・新書( 32 )

「孤独死」は悲惨なのか? 〜追悼・桜井センリ〜

 マスコミは「有名芸能人の孤独死」と騒いでいるんですが、どうも違和感があります。「この人らしい大往生だったな」というのが私の感想でした。

 私はクレージーキャッツ全盛期には間に合わなかったけれども、物心ついた頃から「シャボン玉ホリデー」を見ていた世代です。大学生の頃に改めてクレージーキャッツにはまり、クレージー映画5本立てに友人を誘ったりして“布教”に努めていました(笑)。
 私にとってのスーパースターは植木等でしたが、一番親近感を覚えるのは桜井センリだったんですね。

 クレージーキャッツの歴史について書かれた書物は意外に少なくて、その中で桜井センリの生い立ちに触れられたものとなると更に少ないんですが、そこで描かれた人間像は印象的でした。東京下町のいわゆる“江戸っ子”とは違った、昔の山手育ちの東京っ子らしさを感じるんですね。
 人間嫌いというほどじゃないけど、シャイで人見知り。人を押しのけようとは思わず、争い事になりそうになると自分は黙って一歩退いてしまうタイプ。押しつけがましいことは、するのもされるのも嫌い…。
 あまり得をする生き方とは言えないでしょうが、それだけにあくせくせずに悠々と生きたように見える桜井センリに私は共感と憧れを抱いたのでした。

          *

 桜井センリさんは1926(大正15)年、日本郵船勤務だった父親の赴任先であるロンドンで生まれました。3歳で帰国してからは東京暮らしで、小学生の頃から東京芸術大学が開いていた音楽教室に通い、ここでピアノを習ったというから本格的です。中学は私立暁星中学(旧制)に進学。小学生の頃は学年総代になるぐらい優秀だったそうです。

 〈「感性の強い子って、小さいうちはできるんです。勉強しなくてもできるから、しないくせがついちゃう。気がつくとできなくなっているという典型例ですね、ボクは」〉
(山下勝利『ハナ肇とクレージーキャッツ物語』朝日新聞社1985 p127)

 〈人間もあまり好きではない。人間というより、人間同士のつきあいが得意でない。
「それは子どものころからずっとでしたね。一人でいることが多かったせいか、一人が好きでした」
 母親が病弱だったため、朝起きることができない。朝食は前の晩に用意されていたものを一人で食べて学校に行った。兄がいたが、一緒に食べた記憶はない。自分のほうで避けていたのかも知れない。一人だと落ちつける。〉
(同書p123)

 兄と食事をした記憶が無いとはかなり極端ですが、人一倍感性が鋭くて内向的。そんな様子が浮かび上がってきますね。
 また、お坊っちゃん育ちのようでも、幼少時に自宅が差し押さえを食ったこともあるといいますから、やや虚無的な性格も加わったかも知れません。同書でも過去のことはあまり覚えてないと言って著者を戸惑わせていますが、覚えてないというより過去にこだわらない性格なのでしょう。

 大学は早稲田大学政治経済学部。ロンドン生まれ、暁星育ち、早稲田の政経とくれば、商社や金融関係に進みそうなルートで、後に有名コメディアンになるような要素は見当たりません。
 ただ、同じ学部の後輩として言うと、桜井さんにとってこの学部はあまり居心地が良くなかったのではないかと思います。天下国家を論じるという気風があって何かと理屈っぽいのです。そして、マンモス学校なので常に自己主張をしていないと自分の居場所を確保出来ない。シャイで感性が鋭い桜井さんとは正反対の“野暮”な校風なんですね。
 こういう環境が逆に背中を後押ししたのか、大学を2年で中退してジャズピアニストとして活動をはじめます。

 〈「ピアノ弾きが少なかったからです。使われたのは。それにしても三月に一度ぐらいで引き抜かれていましたから、ギャラがぽんぽんあがって、二年ほどしたらかなりいいバンドにいましたね。」〉
(同書p128)

 昭和29年にフランキー堺のシティ・スリッカーズに加入して、そこで植木等と谷啓に出会うものの、翌年には脱退して三木鷄郎の冗談工房に加入し、テレビ番組の音楽を作曲する一方で、コントにも出演。昭和35年にクレージーキャッツのピアニストだった石橋エータローが病気で倒れた時、代役として桜井センリに白羽の矢が立ったのは「音楽」と「コント」という方向性が一致したからでしょう。

 クレージーキャッツ全盛期については省略しますが、グループとしての活動が一段落してから、桜井さんは映画やテレビドラマのバイプレイヤーとして活躍。「男はつらいよ」にも最終作まで計10本に出演しています。
 しかし、テレビのいわゆるバラエティ番組には殆んど出演していないんですね。Wikipediaのプロフィールにも記載が少ないし、私も見た印象がありません。クレージーキャッツはバラエティ番組の先駆者とも言える存在ですが、リーダーのハナ肇以外のメンバーはバラエティ番組に出なくなりました。中でも桜井さんは俳優としての出演が多いのに対して、バラエティが極端に少ない。

 「クレージーキャッツ」という“祭”が終わった後は、元の繊細な芸術家肌に戻っていったと見るのは穿ち過ぎでしょうか。
 作詞や脚本でクレージーキャッツを支えた青島幸男は桜井センリを「器用で小回りがきく。だけどあの人はクレージーでなにかやるより、ほかに行ったら大変な人だ。ピアノの先生で音楽的素養は十分で、作曲もすればオペラの専門家でもあるんだから」と評しています。(同書p200)
 先程から引用している『ハナ肇とクレージーキャッツ物語』ではそんな桜井さんの性格についてこう記します。

〈「いまでも家に帰るとホッとします。だから、たばこも外ですうだけ。家では一本もすわない。落ちついているからすう必要がない」
 保守的というより内向的といったほうがいい。食事を例にとってもそれはいえる。普通の人なら大勢の人と一緒にしたほうが楽しいというが、桜井センリは他人と一緒だと半分しか食べられない。一人ならば食べたいだけ食べることができるが、人前だとどうにもおちつかない。
 酒はかなり強い。クレージーでは安田伸がいちばん強いが、これは体で飲むタイプ。体の割に強いのが石橋エータロー。これは酒豪といっていいだろう。その二人に負けないぐらい桜井センリも飲む。
 ただし、この酒も家ではあまり飲まない。一人でいるときはなにもしないでも心安らかでいられるからだ。飲みたいときは赤ちょうちんに行く。そこで落ちついていられれば腰をすえて飲む。隣席の客が仕事の話なんかを仕掛けてくると、いやになってすぐ帰る。相手がこちらに気を使っていることはわかるが、どうにも我慢ができない。
「もう少しラフになって、あの女優はこうだなんて話を合わせればおもしろいんでしょうが」〉
(同書p123-124)

 家にいるのが好き。一人でいるのが好き。
 “人に会うのが商売”の週刊誌記者である著者は、芸能人らしからぬ桜井さんを何やら珍しがっているようです。

 ただ、これを読む限り結婚生活にはあまり向かない人じゃないかなあとは感じますね。同書に桜井さんの結婚についての記述はありませんが、家族というものにやや関心が薄そう。
 ちなみに私が見たニュースでは「葬儀は親族のみで〜」と報じており、“家族”という言葉は使われていませんでした。

          *

 さて、このように多趣味で、過去にこだわりが無くて、一人でいるのが好きで、家族に関心が薄いという人が、いわゆる「孤独死」を必要以上に怖れたとは私にはどうしても思えないのですよ。マスコミは孤独死の悲惨さを喧伝しますが、人によりけりじゃないでしょうかね。一律に「気の毒な孤独死」扱いするのは如何なものか。
 ひと月前まで車を運転していたというから86歳まで健康。新聞が溜まっているのを見た近所の人が通報したというから、恐らく最短で発見。何よりも一番愛した自宅で亡くなった訳です。羨むべき人生で、以て暝すべきではないでしょうか。


          *

■桜井センリさん死去…クレージーキャッツ
(読売新聞 - 11月12日 12:04)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2219759&media_id=20&from=diary

コミックバンド、クレージーキャッツのメンバーだった俳優の桜井(さくらい)センリ(本名・桜井(さくらい)千里(せんり))さんが11日、東京都内の自宅で死去しているのを通報を受けた警視庁牛込署員が発見した。
桜井さんは一人暮らしで外傷はなく病死とみられる。
86歳だった。告別式の日程は未定。
早稲田大学在学中からジャズピアニストとして活動し、1954年、フランキー堺さんが率いるシティ・スリッカーズに参加した。60年にクレージーキャッツに加入し、石橋エータローさんと共にピアノを担当した。フジテレビ「おとなの漫画」や日本テレビ「シャボン玉ホリデー」のほか、植木等さんが主演した映画「無責任」シリーズでも、グループの一員として活躍した。
さらに俳優として、松竹の「運が良けりゃ」「男はつらいよ」シリーズなどの喜劇映画や、TBS「遥かなるわが町」、日本テレビ「前略おふくろ様」、NHK「新事件」などのテレビドラマに出演し、味のある脇役として存在感を示した。クレージーキャッツの存命者は、犬塚弘さんだけとなった。

(mixi日記から転載)
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by funatoku | 2012-11-14 06:28 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(1)

【復活】夏アニメの評価が「私、気になります!」

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氷菓
(独立系U局)
http://www.kotenbu.com/
☆☆☆☆☆
 原作は米澤穂信のミステリー小説〈古典部シリーズ〉。著者は昨年日本推理作家協会賞を受賞するなど気鋭のミステリー作家として活躍中ですが、01年にデビュー作『氷菓』を刊行した時はあまり評判にならず、〈古典部シリーズ〉も2作で中断。今回は原作刊行から11年目のアニメ化ということで、サイクルが速い近年では珍しい。
 何故11年前にあまり売れなかったというと、〈角川スニーカー文庫〉というライトノベルのブランドから出たことが要因でしょうね。〈古典部シリーズ〉はライトノベルのテンプレというか“お約束ごと”をわざと外していて、“萌え”やラブコメを期待している若い読者には物足らなかったろうと思われます。〈古典部シリーズ〉の“幼馴染み”はテンプレ通りに主人公を朝起こしに来たりしませんから(笑)。

 しかし、ライトノベルに不馴れな一般読者にとってはむしろ読みやすいとも言え、その後角川文庫に移ってシリーズは継続中。北村薫ファンあたりからは受け入れられる作品じゃないでしょうか。このアニメも、普段はアニメを見ないミステリーファンにこそ見て頂きたいですね。
 ミステリーと言っても人が死んだりはしなくて、「毎週金曜昼に別人が図書室から貸り出して、午後に返却している本の謎」「撮影が中断してしまった文化祭映画の結末」「合宿先に現れた幽霊の正体」といった日常的なミクロな事件です。「氷菓」というのは古典部の部誌の題名で、この由来の謎を探るのが前半の山場になっています。
 「氷菓」では行方不明になった人は行方不明のままだし、一度壊れてしまった人間関係は元通りには戻りません。劇的な変化は起こらず、ほろ苦い現実をほろ苦いまま受け入れるあたりは、“大人のための青春ストーリー”と言えます。

 「京都アニメーション制作」はもはやブランドになっていますが、本作は学園日常生活のリアリティという京アニが最も得意とする部分がよく現れています。シナリオは原作に忠実ですが、トリックの説明など文字だけだとちょっと物足りないかなという部分は、映像でしっかり補っていて、毎度ながら原作の的確な読み込みに感服します。
 細かいことですが、例えば登場人物たちが揃って下校する光景は学園ものの定番ですが、現実に於いてはよほど街から離れた高校でもない限り校門を出たらすぐ四方八方に散ってゆきますよね。このアニメでは違う中学から進学してきた子は、先に別れてゆく。そういう細部のリアリティに拘った作品なんです。
 主人公グループが最初からやけに結束が堅かったりするのも嘘臭いんですが、古典部員4人は色々な出来事を経験して少しずつ距離を縮めてゆきます。高校1年が終了しましたが、今のところ主人公とヒロインは付き合い始めていない(笑)。アニメ版のラストは将来を予感させる表現になっていましたが…。

 現在原作は5巻まで刊行されていて、アニメでは4巻まで消化して高校1年生編が終了しました。「私、気になります」というヒロインの口癖はネット界隈ではそれなりに流行りましたし、アニメ第2期が何年先になるのか私も気になりますね。



TARITARI
(独立系U局)
http://taritari.jp/
☆☆☆☆
 高校合唱部アニメ。春期の「つり球」に続いて江の島が舞台というのは偶然かな。
 合唱部員は寄せ集めで、本格的な“声楽部”から落ちこぼれた子、音楽家だった母親が死んでから音楽をやめていた子、他との兼部が2人、勧誘された転入生が1人の計5人。バックボーンもバラバラの5人が、合唱という一点で力を合わせてゆきます。
 感心したのは、5人それぞれの1人の時間をきちんと描いている点。個人練習したり、家族との会話があったり、将来について悩んだり、といった部分を地道に積み重ねたことで、5人のキャラクターが鮮明になりました。
 1クール3ヶ月アニメの場合、主役グループは5〜6人が適当じゃないかと私は思っています。それより多いと存在感希薄な奴が出てしまうし、3ヶ月かけても5人のキャラクターを描けないようでは出来が宜しくない(笑)。その点でこのアニメは5人の群像劇としてバランス良く描けていました。男子2人、女子3人。凡庸な制作者だと、恋愛要素を入れたくなるところでしょうが、この作品の場合は入れなくて正解。恋愛入れると焦点がボケたと思いますね。
 また、文化祭に向けて練習していた終盤で、突然文化祭中止が発表されるという場面。主人公たちがショックを受けた場面を敢えて描かずに、次の場面は何日か経ったであろう放課後の廊下で、テンション低めの主人公たちが“再会”するんですね。これは上手いなあと思いました。小津安二郎は「人は悲しい時には笑うもんだ」と言って、いかにも“悲しんでいる”という演技をさせませんでした。この場面も主人公たちが泣き喚いたりしていたらゲンナリするところです。

 物足りないのは合唱場面が少ないことですが、合唱というのは人数が少なければ少ないほど各人に高度な技量が要求されるので、やむを得ない面もあります。中には高垣彩陽のように音大出の声優さんもいましたが。
 最終回に向けての展開には無理がありましたねえ。廃校が決まり文化祭も中止されてしまったものの、合唱部は閉鎖された校内でコンサートを強行。そこに吹奏楽部や音楽教師がやって来て協力してくれるんですが、取って付けたように70年代青春ドラマみたいなラストにする必要は無かったと思いますよ。それまで細かいところを丁寧に描いていたのが台無し。5人の行動は行き当たりばったりだし、悪玉理事長を止めてくれた校長先生は最後どこに行っちゃったの?ラストの展開だけはガッカリ。



超訳百人一首 うた恋い。
(テレビ東京)
http://www.anime-utakoi.jp/
☆☆☆☆
 百人一首の恋愛歌をテーマに、作者たちの恋愛や人間模様を史実をベースにしながらも大胆にアレンジ。例えば金髪や茶髪はいるし、言葉づかいは殆んど現代語なんですが、平安朝文化を身近に感じさせるためにはなるほどこれも一つの方法かな。原作コミックスは受験生に“参考書”として売れてるんだとか。
 一首ごとの短編作品で特定の主人公はいませんが、選者である藤原定家が全体の進行役になっています。少し不満が残るのは、和歌そのものの解釈は意外に通り一遍である点。それを始めると本当に受験参考書みたいになりかねないんですがね…。
 SOUL'd OUTというグループによるエンディング曲は私が苦手なヒップホップなんですが、番組を古臭い雰囲気にせずに引き締める絶妙の効果があったと思います。



貧乏神が!
(テレビ東京)
http://www.binbogamiga.net/
☆☆☆☆
 桜市子は金持ちで美人で成績優秀という強運な女子高生。ただ、無意識に周囲の幸運まで奪い取ってしまう特異体質のため家族や友達とは縁が薄い。そこへ市子の“幸福エナジー”を吸い取るべく下っ端“貧乏神”の紅葉が派遣されてきた…。幸福エナジーを吸い取ろうとする紅葉と取られまいとする市子のドタバタコメディ。
 最初は敵対していた2人の間に徐々に信頼感が生まれてきて“喧嘩友達”のようになってゆくのは、少年漫画の王道展開と知りつつもホロリとさせられたりしました。これは市子のキャラクター設定が上手かったということに尽きます。嫌な奴っぽい言動をしている割に、根はいい奴なんですね。
 ストーリーも後味良く終わりました。原作コミックスはこの後も続いているんですが、アニメはこのまま終わった方がいいかも知れません。



もやしもん リターンズ
(フジテレビ)
http://kamosuzo2.tv/
☆☆☆☆
 舞台は農業大学。発酵や醸造をテーマに、濃いキャラクターたちが活躍するコメディ。原作コミックスは手塚治虫文化賞や講談社漫画賞を受賞。
 07年に第1期が放映されており、5年ぶりの2期ということになります。実は途中の2010年に同じ“ノイタミナ枠”で実写ドラマになっているんですが、これは余計でしたなあ。主人公は細菌が肉眼で見えてしまうという漫画ならではの設定があるんですが、実写にすると空々しいばかり。近年「もやしもん」「うさぎドロップ」「荒川アンダーザブリッジ」のように当たった深夜アニメを実写化するケースがありますが、私見ではアニメを超えられませんね。アニメはアニメ、ドラマはドラマ。棲み分けた方が良いのかなと。



人類は衰退しました
(独立系U局)
http://www.maql.co.jp/special/jintai/
☆☆☆★
 人類が激減した数世紀先、突然現れた“妖精”という“新人類”と共生している世界。人類滅亡というのは極めてSF的なテーマなんですが、何故衰退したのか、どうやって生き延びるのかというSF的な見せ場は殆んど活かされていません。主人公の「私」も人類最後の学校の卒業生にもかかわらず、先の心配をする様子もなく優雅にお菓子作りを楽しんでいたり…。
 近未来SFとして見るよりも、妖精と共生しているまったりとした中世風ファンタジーとして見た方が正解なのかも知れません。そうしたファンタジー世界に伊藤真澄さんのエンディング曲は合っていたと思います。私は「あずまんが大王」以来この人のファンで毎回エンディングが楽しみでした。



じょしらく
(TBS)
http://www.starchild.co.jp/special/joshiraku/
☆☆☆★
 女性落語家たちが楽屋でとりとめもなくガールズトークを繰り広げるギャグ漫画が原作。ストーリー担当は久米田康治ということで、メタ発言や時事ネタ羅列ネタ自虐ネタなど「さよなら絶望先生」の作風を受け継いでいます。
 登場人物が女性落語家というのは久米田先生の当時の担当編集者の企画だそうで、作者自身が落語に詳しい訳ではないようです。落語家という設定を十分に活かし切れなかったのはちょっと残念なところです。
 「絶望先生」では新谷良子演じる奈美がどんどん“ウザキャラ”になっていきましたが、「じょしらく」最終回で新谷さん演じるウザい新キャラが登場したのには笑いました。こういう“楽屋落ち”も久米田先生の得意技。



ゆるゆり♪♪
(テレビ東京)
http://yuruyuri.com/
☆☆☆★
 “百合風味”の日常系コメディ。昨年に続く第2期。太田雅彦監督は「みなみけ」「みつどもえ」そして「ゆるゆり」など、単調になりがちな日常系ギャグアニメを、メリハリをつけながら見せてゆく技術が高いと思います。



この中に1人、妹がいる!
(TBS)
http://www.tbs.co.jp/anime/nakaimo/
☆☆☆
 主人公が周囲の女子たちから何故かモテモテ。こういうラブコメはなるべく能天気にやって欲しくて、変にリアリティを入れようとすると無理が生じます。本作はその点で割と良い線を行ってたかな。
 言い寄ってくるヒロインたちの中に正体不明の実妹が混ざっているので、妹だけは避けねばならないという縛りも活かせていました。ヒロインたちは様々な思惑から、妹と自称したりするのですが。
 アニメは妹が判明したところで終了しましたが、原作は「しかし、それは間違いで実は…」と続いているらしい。アニメはきれいにまとまったのでこのままでも良いと思いますがね。



ココロコネクト
(独立系U局)
http://www.kokoro-connect.com/
☆☆★
 男女5人の高校生が超常現象を共有したことで、絆を深めてゆくストーリー。
 5人のキャラクターは鮮明に描けていたし、展開自体には無理がなかったけど、性格が全員あまり宜しくないんですよ。主人公は自分を犠牲にしてでも他人を救いたいという少年なんだけど、仲間にもそれを強要して、出来ないと詰ったりする(笑)。押しつけがましかったり、自分勝手だったりして、それぞれ言動が鬱陶しい上に、5人の間で恋愛が絡み合ってゆくので益々脂っこい。
 序盤の出来の良さで見続けたら、キャラクターが胃にもたれてしまった感じでした。


(100点満点。☆は20点、★は10点)
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by funatoku | 2012-09-29 16:16 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

竹内洋『大学という病』(中公文庫)を読む

(mixi日記から転載)

 昭和前期の東京大学経済学部の紛争と人物像を描いた歴史ドキュメント、というと硬い内容を想像されてしまいそうなのですが、読んでいくうちに「これは『文学部唯野教授』(筒井康隆)だ」と気がつきました。或いは東大版「三国志」、まあスケールは小さいけどね(笑)。しかもこれらは全部実話なのです。以下、例によって付箋代わりのメモ。

*話は昭和3年、経済学部の大森義太郎という28歳の助教授が退職するところから始まる。その背景は二つ。まず当時、高校生や大学生の間でマルクス思想がブームになっており社会問題化していた。大森はマルクス主義活動家でもあったのである。
 二つ目は、大森の執筆活動。先輩教授の土方成美をこっぴどくこき下ろしたりして、反感を買っていた。結局、大森は自ら辞表を提出する。
*大森は筆が立ったので、マスコミに積極的に文章を発表し始める。当時、経済学部には何十年も同じノートを読み上げていたり、休講ばかりの古参教授がいて、大森はこうした内情を告発したのだが、東大や大学教授の権威が今とは比較にならない時代だけに大変な人気を博した。
*東大経済学部が法学部から独立したのは大正8年だが、独立の立役者だった左派の高野岩三郎教授(戦後、第5代NHK会長)に対抗するために、保守派の若手・土方成美教授と、リベラル派(自由主義派とでもいうべきだが、ここでは便宜的に中間派と呼んでおく)の河合栄治郎教授が結託して多数派を構成した。
 これが経済学部の派閥の始まりで、就任早々に辞職した高野教授の一派、つまり左派マルクス陣営は少数派へと追い込まれてしまい、例えば当時助手だった左派の美濃部亮吉(のちの東京都知事)は助教授昇格への望みを絶たれている。
 この時点ではこんな感じ。
(左派・マルクス派)大内兵衛 (中間派・自由主義派)河合栄治郎 (右派・反マルクス派)土方成美

*その後も、多数派による支配は続き、昭和8年には土方、11年には河合が経済学部長になる。昭和初年のマルクスブームの頃に河合の人気は最低だったが、ブームが去るとリベラルな教養主義を掲げてジャーナリズムで活躍し、教育熱心な河合の人気は高まるようになっていた。学部長に就任した河合は、直弟子の大河内一男(戦後、東大総長)、安井琢磨(日本の近代経済学の先駆者)、木村健康らを助教授に昇格させようと画策する。
*ところが、この人事は年功序列を大きく崩すものであったため、多数派に亀裂が生じて河合派と土方派に分裂。そして、何と反マルクス派の土方は中間派の河合を排除するために、マルクス派(少数派)の大内兵衛(戦後、法政大学総長)と結託してしまうのである。
 自分が提案した人事案が否決されたため、河合はわずか一年で学部長の座を去り、河合派の教授達も一人を除いて土方派に鞍替えしてしまう。残った一人は講義で何を言っているのかもよく分からない、学内でも有名な“無能教授”だったとのこと。また、土方派に寝返った荒木光太郎の妻と河合は不倫関係にあった。いや何だかもう、ドロっどろ。
*河合に代わって学部長になった土方は国家主義を標榜して保守色を強め、一度は組んだマルクス派の追い落としにかかり、まず矢内原忠雄(戦後、東大総長)を辞職に追い込んだ。そして、いわゆる人民戦線事件で検挙された大内兵衛を休職させようとしたが、これが勇み足だった。
 休職させるのは起訴されてからでも遅くないのに、土方は功を焦ったのか大内休職を強行しようとして教授会で否決されてしまう(結局、大内は起訴されて休職となる)。今度は中間派の河合が左派と手を組んだのである。土方も学部長を辞任し、後任には左派の舞出長五郎が選出される。

*昭和13年、近衛文麿内閣の文部大臣に陸軍大将の荒木貞夫が就任し、大学人事に積極的に介入する姿勢を見せた。また、貴族院などをバックにつけた右翼思想家・蓑田胸喜がリベラルな帝大教授達を執拗にバッシングするようになった。
 土方は今度はこうした勢力と結託して、著書が発禁になっている河合栄治郎の追い落としを図るのである。そして、河合を辞職に追い込むのだが、ここで東大総長に就任したばかりの平賀譲(海軍中将)が離れ業を見せる。「喧嘩両成敗」ということで、土方も河合と同時に休職させてしまうのだ(平賀粛学)。土方はやり過ぎたのである。
*そして、土方派、河合派の教授連も辞表を提出するのだが、全員が辞めたら学部が崩壊してしまうため、平賀は慰留に努めて何人かが撤回した。例えば河合派では、山田文雄(上記の“無能教授”)と木村健康が辞職し、大河内一男安井琢磨が残留したため亀裂が入り河合は後者二人を破門した。
*戦時中の昭和19年、在野の大森義太郎河合栄治郎が病死する。この頃の経済学部長はかつて土方派の参謀格だった橋爪明男。内務省に学内情報を流していたスパイと言われる人物で、人民戦線事件に連座した大内兵衛有沢広巳(のち法政大学総長)らに無罪判決が出たものの、橋爪は彼らの復職を認めなかった。
*そして、翌20年に終戦。橋爪学部長や土方派残党の難波田春夫(のち早大教授)らが辞職し、大内、矢内原、有沢、木村らが復職する。その後、矢内原、有沢、脇村義太郎などかつての少数派が、学部の実権を握り経済学部長職を引き継いでゆくことになる。
 河合がもし存命ならば、当然復帰していて、総長になった可能性が高いというのが著者の意見。別の論者は、戦後河合のリバイバルブームが来ており、存命なら片山哲ではなくて河合が社会党委員長に選ばれたはずと指摘している由。つまり河合首相が実現していたかも知れないのだ。
*しかし、話はこれでめでたしでは終わらない。昭和43年、大学解体を叫ぶ全共闘の左翼学生らに吊るし上げられたのは当時東大総長を務めていた大河内一男なのである。あたかも戦前にリベラルな教授が右翼学生に吊るし上げられたように。引退していた大内兵衛も全共闘学生から叩かれた。戦後、中央大や独協大教授を務めていた土方成美はどういう思いでそれを見ていたのだろうか…。

 イデオロギー闘争と権力闘争が重なり合っているために、凄まじいことになっていますねえ。経済学は文学や法学に比べると新しい学問で、イデオロギーや流行に左右されやすいという性質も、この抗争に輪をかけたのでしょう。
 また、戦後の東大経済学部はマルクス派が長く多数派になっていたために、近代経済学への進出において完全に遅れをとります。日本の近代経済学は河合門下出身ながら、東大に残れなかった安井琢磨熊谷尚夫(ともに大阪大学教授)らによってリードされるのです。私が学生の頃は、お二人の名を冠したテキストがまだ現役で使用されていましたし、安井の弟子である伊達邦春先生の講義も受けました。そういう意味では、この本の出来事は単なる過去ではなくて、現在に続く歴史の一環だと感じられました。
 高野、河合、大内、矢内原らの名前は高校の日本史教科書レベルでお馴染みでしょうが、別に名前を知らなくても「三国志」として楽しめるんじゃないでしょうかね。
 ミニ知識。土方成美の孫が、「牡丹と薔薇」の女優・小沢真珠(本名:土方典子)。ツンデレは祖父譲り?(笑)
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by funatoku | 2007-10-19 20:52 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

ある「吉行淳之介伝説」

 一九九四年に亡くなった吉行淳之介は対談の名手と呼ばれましたが、二〇〇一年に対談集『やわらかい話』(丸谷才一編・講談社文芸文庫)が刊行されています。その最後に編者の丸谷才一さんと、イラストレーターとして吉行さんの対談に数多く同席した和田誠さんによる「あとがき的対談」が収録されていて、吉行さんがいかに怖がりだったかということに触れています。何しろ吉行さんは恐怖感をテーマにした「恐怖対談」という対談集を4冊も出しているのです。

和田 酒場の話です。先程の劇画の人ではないのですが(笑)、すぐ人を殴るというような人が来た。それを吉行さんが酔っ払った勢いでからかったんですって。そしたら「表へ出ろ」という話になっちゃった。吉行さんはそのときは怖がらずに、「表に出てもいいよ。表に出たら君はオレを殴るだろう。一発殴られたらオレは死ぬよ」って言ったんですって…。さすがにそれでおさまっちゃった。
丸谷 おかしな理屈だねえ(笑)。そんな頭の働き方、ふつうの人はしないよ。
和田 それを聞いて、恐怖に対して意外にうまく立ち向かってらしたんだと思いました。(後略)


 吉行さんといえば、会ったことの無い私には洒脱な人というイメージがあるのですが、どうもこの吉行さんは余り洒脱ではありません。洒脱というのが、物に拘らないこと、バランスがいいことだとすれば、この行為はその対極にあります。ただ、かつて喧嘩に巻き込まれて殴られた時、思いっきり吹っ飛んだら相手が弱さに呆れて喧嘩が治まったと書いていたことがありますので、その「応用編」といったところでしょうか。
 ところが、この「吉行淳之介伝説」(笑)の詳細が、最近明らかになりました。今年四月に刊行された『淳之介流 やわらかい約束』(村松友視著・河出書房新社)で村松さんがこの場面をさらに詳細に記述しています。

 銀座の地下にある小さい店「まり花」が舞台だ。そこをひいきにしていた吉行淳之介は、銀座へ出ればかならずこの店に寄った。ある夜、ロック歌手の内田裕也氏と同席になった。相手が歌手だと聞いて、吉行淳之介は酔いの上に冗談気分が加わり、しかもホーム・テリトリーの気楽さもあって、ある歌を所望した。その「ある歌」はロック歌手内田裕也を苛立たせるに十分な、当時やたらに流行っていたフリオ・イグレシアスの甘ったるいメロディの「ナタリー」だった。
「あれ歌って欲しいなあ。ほら例の♪ナタリーってやつ」
 上機嫌に冒頭のメロディを口づさんだとき、吉行淳之介はさすがに内田裕也氏の表情のこわばりにきづいた。そして、やっちゃったか……と覚悟を決めたような顔をつくり、
「あれ、その目はオレを殴ろうかと考えてる目だね。うん、殴ってもいよ……だけどさ、殴ったらオレ」
 と言って間をおき、
「殴ったらオレ、死んじゃうよ」
 そう言って笑った。気色ばむ寸前の内田裕也氏が、ニヤッと笑って立ち上がり、吉行淳之介に握手を求めた。(略)


 内田裕也でしたか、そりゃあ怖いわ(笑)。ただ残念なことに和田さんも村松さんも現場に居合わせたわけではないのですね。同席していた人の話では、吉行さんが内田氏を認識していたか、内田氏が吉行さんを認識していたのかは定かではないそうです。
 それにしても、内田裕也に「ナタリー」を所望するとはかなり無謀かつ悪趣味ですし、ドビュッシーを愛する吉行さんが「ナタリー」という曲を好きだったとも思えません。吉行さんは人一倍怖がりでありながら、その恐怖に敢えてにじり寄ってゆく性質だったのでしょうね。そしてこの資質は吉行淳之介という作家の芯の部分を成しているのかも知れません。そう考えると、相手を怒らせるまでの経緯はともかく、その後の対処は水際立った手腕のように見えてきますね。
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by funatoku | 2007-08-20 07:16 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

「らき☆すた」に見る今どきの“角川商法”

 私はこの二ヶ月ほど「らき☆すた」(作・美水かがみ、角川書店から単行本4巻)という漫画にハマっています。追ってゆくうちに、なるほどこれが今どきの“角川商法”なのかなあ、と感心しました。漫画に詳しい人には当たり前のことかも知れませんが、このジャンルに疎い私には結構新鮮だったのですね。
 角川商法というと70年代に角川春樹氏自ら陣頭指揮で映画を制作し、「読んでから見るか、見てから読むか」なんてキャッチフレーズで本と映画を売りまくった“メディアミックス”が、その始まりと言えるでしょう。角川春樹氏が角川書店を去ってから久しいのですが、今もこの“メディアミックス”は形を変えて健在だったのです。

 この「らき☆すた」は女子高生たちの日常を描いた4コマ漫画です。進学校が舞台となっていて恋愛やシモネタが殆ど無いという形式面では、ヒットした「あずまんが大王」と共通点もありますが、学校行事を中心に描かれた「あずまんが大王」に比べて、こちらは放課後や家庭が主たる舞台になっていて、宿題、パソコン、ネット、オタク、萌え、ゲームなどのネタが多く、時事ネタや楽屋オチも珍しくないなど、内容的には異なる部分の方が多いと言えるでしょう。
 主人公の泉こなたはコミックやゲーム好きの“オタク”で、彼女のオタクっぽい言動に、優等生の柊かがみが“ツッコミ”を入れるというのがこの漫画の基本形。それに双生児の姉・かがみに似ないおっとりタイプの柊つかさと、優等生で学級委員の高良みゆきを合わせた4人が主役級メンバーです。

 さて、話を戻すと、雑誌に連載された漫画が単行本化され、好評につきアニメ化される…。この漫画はそういう道筋を辿っていますが、これはよくあることで、何も“メディアミックス”などと大袈裟に表現することではありません。しかし、細部を良く見るとそれほど単純ではなくて、まず掲載誌は一誌だけではないのです。メディアミックス誌「月刊コンプティーク」、コミック誌「月刊コンプエース」、アニメ誌「月刊ニュータイプ」(いずれも角川書店)にそれぞれ連載中です。しかも、各誌に別の携帯ストラップが付録でついていたりするので、ファンは各誌に眼を配らざるを得ないという仕組みになっているんですね(笑)。
 各誌の漫画の後には、読者からの葉書を紹介したり、質問に答える「らっきー☆ちゃんねる」という見開き2頁の情報コーナーがあるのですが、ここに漫画本編には登場しない「アイドル・小神あきら」という新キャラクターをメインに据えたのも、なかなか上手い仕掛けです。二つの世界を作ることで、これらがどう関連してゆくのかという興味を持たせるようなフックになっているわけですね。
 またこの「らっきー☆ちゃんねる」はアニメ化に先駆けてラジオ番組として独立しており、ここでは「小神あきら」とオリジナルキャラクターの「白石みのる」が登場しますが、後者は声優の白石稔が自分をモデルにした「白石みのる」を演じています。更にこの番組の最後には「らっきー☆ちゃんねる」を聴いた柊かがみ・つかさ姉妹が感想をお喋りするというコーナーがあります。自分たちが主人公である番組の情報コーナーを、一リスナーとして聞いているという重層的な構造なので、初めて聞いた人にはなかなか分かりにくいかも知れません。しかも、この番組はアドリブ部分が多いようで、役としての演技と声優の地の部分が微妙に交錯するのですから。
 更に、「らき☆すた」には05年と07年に発売されたゲーム(任天堂DS)もあります。これはドラマの進行中に出てくるドリル(計算、英単語等)を解くという脳トレで、ストーリーは原作では描かれなかった泉こなたのアルバイト生活が中心になっています(オタクというのは結構金がかかるので、高校生にはバイトが必須になるんですね)。ここでもゲームで初登場するキャラクターを、逆に原作漫画に登場させたりして、単なる“外伝”では終わらせていません。
 そして、この4月からは東京MXテレビ他でアニメ版「らき☆すた」が始まっています。原作が日常の「あるあるネタ」を中心にまったりとした雰囲気なので、テレビで30分続けると単調になる危険がありますが、まず番組内に前述の「らっきー☆ちゃんねる」コーナーを設けることで変化をつけました。そして本編では原作をベースにしつつも、原作には無かった他作品のパロディを積極的に混ぜることで、動きのある場面を取り入れることに成功しています。ただ、パロディというのは原典が分かる人はとても喜ぶけれども、知らない人を排除してしまう危険性がありますが、この番組がパロディ(というよりコラボレーションに近い)にしている「涼宮ハルヒの憂鬱」「頭文字D」「アニメ店長」などを殆ど知らなかった私でも楽しめましたから、バランスは保っていると言えそうです。漫画よりも不特定多数が見るアニメの方が一般向きになっていると思われそうですが、地方局で深夜放映という時間帯のせいか、アニメの方がマニアックに出来ているのです。エンディングに特定のテーマ曲を置かず、主役4人がカラオケボックスで歌っているという設定で、毎回異なるアニメやドラマのテーマ曲を歌っているのもなかなか斬新なコラボレーションです。
 この9月には、ノベライズしたジュニア小説「らき☆すた殺人事件」が刊行される予定であり、また上記の掲載誌には美水かがみ氏が原作で、他の漫画家の作画による4コマではないストーリー漫画の「らき☆すた」も並んでいるのです。素人が同人誌でやりそうなことを、既に本人たちが押さえている(笑)。こうしてみると、アニメでも原作の世界を忠実に守った「あずまんが大王」とは実に対照的で、どう料理しても「らき☆すた」の世界は壊れないという作者の自信を感じてしまいますね。

 雑誌、単行本、ラジオ、テレビ、小説、ゲームと多様な媒体において、それぞれ重なりつつも異なる世界を提示し、受け手はその微妙な差異を楽しむというのは、実に“オタク”的なメディアミックスではありませんか。
 評論家大塚英志氏は『「おたく」の精神史』(講談社現代新書)の中で、一般大衆をターゲットとしてマスセールスを求め続けた角川春樹氏に対して、角川書店を継承した角川歴彦氏は早くから“オタク”(趣味の領域ごとに分断された消費者)をターゲットにしていたと、二人の出版人としての資質の差を指摘しています。.春樹氏においては大作映画を中心にしたメディアミックスが、歴彦氏においては微妙な差異を楽しむ手段としてのメディアミックスに変貌しているわけですが、大博打のような前者に比べて、各メディアから少しずつ回収してゆこうという後者の方が、出版不況の中で生き残る手段としては現実的なものであるでしょう。大塚氏の前述書でも、角川歴彦氏が目指したのが、アメリカにモデルをとった「まず架空の世界像を作って、その世界に関する情報を本の形で小出しにしていき、受け手にその世界の全体像を想像させつつ、具体的には本やゲーム用のキットを売ってゆく」手法であると明記されています。この「らき☆すた」にはそうした手法が合っていたことは間違いないでしょう。もっとも、アニメ開始当初に原作本が品切れ状態だったり、ゲームとアニメでは声優が全員交替するなど、割と隙だらけなのがご愛嬌とも言えますが。
 先頃、朝日ソノラマが廃業を発表しましたが、雑誌とソノシートを組み合わせた朝日ソノラマこそ“元祖メディアミックス”だったわけです。しかし、朝日ソノラマは早くから“オタク市場”に進出していたのもかかわらず、メディアミックスの遺産をオタク向けに転化することが出来ませんでした。こういう点から見ても、兄のメディアミックスという遺産を自分流にアレンジした歴彦氏の先見性はもっと評価されて良いものではないかと思いますね。
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by funatoku | 2007-06-27 20:13 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(4)

本間之英『誰かに教えたくなる「社名」の由来』(講談社+α文庫)

誰でも知っている会社なのに、意外に知られていない120社の社名の由来を各々見開き2頁で解説。

マツダ㈱ 英語表記がMAZDAなのは古代オリエントの叡智神アフラ・マズダーから。
ヤンマー㈱ 農家に親しまれるトンボ印にするつもりだったが、同名他社があったためオニヤンマに因んで。
シャープ㈱ 創業者早川徳次がシャープペンシルを考案したことに因んで。
富士通㈱ 富士は古河財閥の「フ」と、技術提携したジーメンス社の「ジ」を組み合わせた。
オムロン㈱ 旧・立石電気。地名の京都・御室をブランド名にして、後に社名に。
コニカミノルタホールディングス㈱ コニカは杉浦六三郎が薬種問屋小西屋六兵衛を買収して開業。小西六のカメラでコニカ。ミノルタは「稔る田」から。創業者は小西でも稔でもなかった。
フマキラー㈱ 「フライ(蝿)+マスキート(蚊)のキラー(殺し屋)」
㈱トクホン 武田信玄の主治医だった永田徳本に因む。社名は鈴木日本堂から改称。
コクヨ㈱ 旧社名は国誉。「国」は日本ではなくて、創業者黒田善太郎の故郷富山のこと。
㈱バンダイ 中国周代の兵書「六韜」の「萬代不易」から。旧社名は萬代屋。
㈱コーセー 創業者小林孝三郎の「孝」と誠実の「誠」から。
㈱マンダム 「man(男)」と「domain(領域)」の合成語。
ヤマサ醤油㈱ 創業者浜口儀兵衛の出身地紀州の「キ」を横倒しにして「サ」と読ませてブランド名に。
㈱ポッカコーポレーション 旧社名ニッカレモン→ニッカボッカ→ポッカ。
㈱イトーヨーカドー 創業者の干支にちなんで羊華堂、そこから伊藤譲が暖簾分け。
大成建設㈱ 大成は創業者大倉喜八郎の戒名の一部。Constructionを新たに訳出して「建設」。

著者は社名には創業者の夢や願いが託されているという。社名を守るか軽んじるかで、会社の価値や寿命が決まるとも。
それにしても「建設」という単語が、大成建設の社名に始まるとは全く知らなかった。
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by funatoku | 2007-04-09 20:16 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社)

(MIXI日記からの転載です)
最近まちBBSで中野区が舞台と知って手にしたのですが、近年読んだ中でも出色のコミックスでした。

時代背景の異なる三篇の連作。一作目の「夕凪の街」は昭和30年の広島市が舞台、原爆の後遺症を発病する女性・平野皆実が主人公。彼女の最期の場面は漫画でしか出来ない表現。
そして二作目の「桜の国(一)」は昭和62年の中野・新井薬師が舞台です。皆実の姪にあたる石川七波の小学5年生時代を描いていますが、背景として中野通りの桜を実に効果的に使っています。
最後の「桜の国(二)」は平成16年、成人した七波が、突然故郷広島への旅に出た父・旭(皆実の弟)を追ってゆく話。七波は田無(西東京市)に住んでいる設定で、ラストでは母と祖母を失った街であるため思い出したくなかった新井薬師を再訪します。
これだけじゃどういう話か分からんと思うんですがね。全編でも100頁足らずの長さなのに、とても緊密な構成になっているので、粗筋を文章で表現しようとすると大変長くなってしまいます。

原爆の悲惨さをこのように静かなタッチで描いたフィクションは珍しいのではないかと思います。あとがきによると、著者自身は広島市の出身ながら被爆者でも被爆二世でもなく(68年生まれ)、今までなるべく避けてきたテーマだったといいます。だからこそ徒に高調子に悲惨さを強調することなく、深く染み入るような作品を描けたのかも知れません。

舞台となった中野通りには桜並木があるのですが、シーズンになるとピンクの提灯が並び、公園ではカラオケ大会…、というよくある俗っぽい花見スポットに過ぎません。しかし、このような素晴らしい作品に描かれると、何やら素敵な場所に思えてくるのが不思議です。今年も桜の季節がやって来ましたね。
映画的な表現が上手いなと思ったら、今夏にはこの映画が公開されるとのことです。
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こうの史代「夕凪の街 桜の国」(双葉社・840円)
(付記・mixiを始めてひと月経ちましたが、あちらには記事の検索機能が無いのがちょっと不便。今後も転載するケースがあるかと思います。両方ご覧になってるであろう約5名の方にはお手数かけて申し訳ありません。)
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by funatoku | 2007-03-23 07:43 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

奥島貞雄「自民党幹事長室の30年」(中公文庫)

自民党の幹事長といえば、日本政治の中枢中の中枢である。本書は田中角栄から加藤紘一まで
22人の幹事長の下で、30年間幹事長室の事務職員として勤め続けた著者が見た幹事長たちの
素顔の列伝である。まず文章が良い。権力中枢に近かったことの驕りを感じさせず、卑屈さも無い。
事務的に羅列するだけではなく、興味本位の暴露本でもない。これは著者のバランス感覚の良さの
なせる業であろう。昭和から平成への政治史を概観しながら、貴重な証言も散りばめられている。

夜遅くなって幹事長室にいると、田中(角栄)は決まって、まず我々職員に声をかける。「君ら、もう遅くて自宅には帰れないだろう。宿はあるのか?おい、○○君!」という調子で秘書を呼び「ホテルをとってやれよ」と言い残し、自分はあたふたと幹事長室を出て行くのである。(略)「今から終電に揺られて帰っても、身体が休まるもんじゃない。ホテルをとってやれ」。難しい政局運営の渦中で、連日野党との折衝や政治判断でそれこそクタクタになっているはずの人が、我々のような若い党職員の一人一人にまでよくも気が回るものだと感心させられたものだ。

幹事長になって一年ぐらい立ったある日、幹事長室で夕食の弁当を食べながら、田中(角栄)がポツリと漏らしたことがある。「あーぁ、政治家なんか長くやるもんじゃない…(略)俺は六十になったら辞めるよ」(略)「幹事長なんてもう辞めたい」「政治家にも定年がある」…(略)その後、「大物」の口から、何度この言葉を聞いたことか。そうした発言こそが、むしろ政治家として充実していることのバロメータ、いわゆる「嬉しい悲鳴」だと私は解釈している。

実は幹事長室のメンバーは福田(赳夫)幹事長就任後しばらく半ば失業状態であった。日常のスケジュール作りや地方遊説の調整などは、すべて福田やその秘書が知り合いの他部署の職員などを使って行わせ、我々は相手にされなかったのである。(略)この辺のいきさつを(略)聞いたのは、福田が就任後一年ほど過ぎたある酒席でのこと。「オクちゃんたち幹事長室職員全員の身元調査をやらせてもらったんだよ」という言葉には驚いた。だが憤りよりは「なるほどなあ」という気持ちが強かったのも事実だ。(略)考えてみれば、我々は福田の就任直前までライバル田中角栄に「仕えて」いたのである。

(福田赳夫の)印象を一言でいえば、「芯が強く、自信家で、しかし人の話にはじっくりと耳を傾け、そして……勝負に弱い」

中曾根(康弘)は幹事長として地方に出張する際、必ずと言っていいほど他派の若手議員を誘った。一緒に旅をすれば気心も知れる。こうしてコツコツと人脈作りに精を出していた。そしてそれは見事に役立ったようだ。後の中曾根内閣発足時の閣僚名簿には、この時期旅行に誘っていた他派閥の人名が多く見られたのである。

党本部に来ても事務局にちょくちょく顔を見せる幹事長は、意外に少ない。ベストスリーは田中角栄、竹下登、大平正芳といったところ。現れ方は三者三様だった。田中はどっかと座り込むや、紙とペンを取りだして何事が書き付けては「あの時吉田首相が…」などという話を一生懸命語り、話し終えると慌しく席を立っていずこにか消える、というパターン。竹下の「ご機嫌伺い」は、決まって「どや?」。ニコニコしながら面白おかしい話を披露しては、職員たちを笑わせていたものだ。これらに対して大平は、もっぱら聞き役の風情だった。

総裁室から幹事長室前を通り、エレベーターに向かう時、私は一礼して見送ったのだが…。
この時、入れ代わるように幹事長室に入ってきたのが田村元代議士である。田村はいきなり大声で「おい!あの大平(正芳)の顔は何だ。死に顔じゃないか!」と誰に言うともなくまくしたてた。いつも誰彼なく大声で話す人である。「縁起でもない」と我々は眉をひそめたのだが、不幸にもその直感は的中してしまう。午後の遊説を終えた大平はその晩、午前零時三十分過ぎ、虎ノ門病院に緊急入院。「過労による狭心症」が病名であった。

本来物静かで一人の思索を好む哲学者タイプの大平(正芳)の時代に、それこそ自民党の歴史に残るような政争が頻発したというのは歴史の皮肉としか言いようがない。(略)考えてみれば、党を二分するような争いは、不思議とハト派政権時代に起こっている。三木政権、後の宮沢政権なども典型だ。単なる歴史のめぐりあわせなのか、それともハトにはもともと全体をまとめる能力がないからなのだろうか。

この幹事長代理職を一躍クローズアップさせたのは、ずっと歴史を下って平成八年、橋本龍太郎内閣時の加藤紘一幹事長のとき、同代理に就任した野中広務であろう。(略)野中は私に言ったことがある。「わしは加藤幹事長にどうしようこうしようというより、補佐に徹しとるんや。補佐する人間のあり方を、若い副幹事長の人たちに見ておいてもらいたいと思うとる」

最高顧問・実力者会議で中曾根(康弘)再選の方向が事実上決まった後、「では推薦人は挙党体制の証として党役員が名を連ねよう」ということになったのだが、その筆頭に二階堂(進)が自らの名を記した時には、さすがに唖然となった。ほんの少し前まで、「中曾根はけしからん」と声を張り上げ、これを倒すために野党とさえ組もうとしていたその張本人が、中曾根推薦人名簿の一番手に、墨痕鮮やかに「二階堂進」と書いたのである。

忘れられないのは、昭和六十年の日航機墜落事故。真夏の惨事だった。御巣鷹山で懸命に救助活動に励む自衛隊員の姿をテレビで見た金丸(信)は、即座に我々事務局に命じて、ビールやジュースを現場に届けるよう手配させた。「大変なところで頑張っているのだから」と。同じ画面を見ていた事務局の誰もが、「たいへんだ」と囁き合うばかりでそこまでは思いが至らなかった。こういう繊細さは、田中角栄を彷彿とさせるものだった。

議員の中には、場にふさわしくない言動を行ったり、あまりに政治音痴的な立ち居振舞いをしたりする人が必ずいる。こんな人が竹下(登)のいる幹事長室から出て行くと、しばらくして「あいつはポンだ」などというはきすてるような独り言がドアの向こうから聞こえたりもした。人知れず鬱憤晴らしができるタイプだったのだろう。歯を食いしばった数分後には、もうニコニコと普通の表情で接している姿は、相当な修行を自らに強いた人間のように思えた。


さて、著者は最初に仕えた田中角栄を幹事長としてベストとしているが、ワーストの幹事長は
小沢一郎と断言する。再生を前提とした「解体屋」ではなく、壊すだけの「壊体屋」と手厳しい。
小沢についての具体例は読んでのお楽しみということにしておくが、小沢と竹下派の跡目争い
をした政敵・梶山静六から著者は“小沢派”と見なされてイジメを受けたりしている。
「昔は良かった」というわけではないが、確かにこの辺になると、スケールが小さいですなあ。
(本書に登場する幹事長)田中角栄、福田赳夫、保利茂、橋本登美三郎、中曾根康弘、内田常雄、
大平正芳、斎藤邦吉、桜内義雄、二階堂進、田中六助、金丸信、竹下登、安倍晋太郎、橋本龍太郎、
小沢一郎、小渕恵三、綿貫民輔、梶山静六、森喜朗、三塚博、加藤紘一(就任順)
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by funatoku | 2005-09-25 19:35 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(0)

鈴木隆祐『名門高校人脈』(光文社新書)

全国300の名門高校の著名人人脈を探る本。出身大学については、マスコミなどでもよく
触れられるが、高校というのは盲点だったかも。新書で448頁もあるが、一気に読めた。
本書からちょっと“意外感”がある先輩・後輩の組み合わせを挙げてみよう。

西村晃(俳優・水戸黄門)、中谷一郎(俳優・風車の弥七)札幌南高校
伊藤整(作家)、加藤浩次(極楽とんぼ)小樽潮陵高校
中島みゆき(歌手)、安住紳一郎(TBS)帯広柏葉高校
菅原文太(俳優)、井上ひさし(作家)仙台第一高校*新聞部で一年違い
佐藤B作(俳優)、松野行秀(沢田亜矢子の元夫)県立福島高校
石原莞爾(陸軍中将)、丸谷才一(作家)、南部虎弾(電撃ネットワーク)鶴岡南高校
ケーシー高峰(コメディアン)、ビートきよし(漫才)新庄北高校
萩原朔太郎(詩人)、糸井重里(コピーライター)前橋高校
神崎武法(公明党)、志位和夫(共産党)県立千葉高校
宇津井健(俳優)、市原悦子(女優)県立千葉高校
山崎晃嗣(光クラブ事件)、浜田幸一(衆議院議員)木更津高校
浜四津敏子(公明党)、風祭ゆき(日活ロマンポルノ)都立戸山高校
堤清二(セゾングループ)、芳村真理(タレント)都立西高校
高見映(のっぽさん)、東海林さだお(漫画家)都立立川高校
小泉純一郎(首相)、窪塚洋介(俳優)横須賀高校
俵万智(歌人)、中垣内祐一(バレーボール)藤島高校
しりあがり寿(漫画)、赤堀元之(近鉄・投手)県立静岡高校
ジャンボ鶴田(全日本プロレス)、林真理子(作家)日川高校
池田満寿夫(版画家・作家)、町田行彦(国鉄・本塁打王)長野高校*同年生まれ
赤瀬川原平(美術家・作家)、浅井慎平(写真家)県立旭丘高校*同年生まれ
坪内逍遥(作家)、二葉亭四迷(作家)県立旭丘高校
湯川秀樹(ノーベル賞)、島崎俊郎(コメディアン)府立洛北高校
西本幸雄(プロ野球監督)、竹中平蔵(国務大臣)県立桐蔭高校
桂米朝(落語)、藤岡琢也(俳優)姫路西高校
小松左京(作家)、村上春樹(作家)県立神戸高校
尾崎放哉(俳人)、福士敬章(南海、広島、韓国三星・投手)鳥取西高校
種田山頭火(俳人)、重松清(作家)県立山口高校
原田宗典(作家)、大森うたえもん(たけし軍団)岡山操山高校*同年生まれ
広岡達朗(西武監督)、浜田省吾(ミュージシャン)呉三津田高校
ターザン山本(週刊プロレス編集長)、弘兼憲史(漫画家)岩国高校
岸田秀(心理学者)、中野美奈子(フジテレビ)丸亀高校
大藪春彦(作家)、南原清隆(ウッチャンナンチャン)高松第一高校
大友柳太朗(俳優)、石田波郷(俳人)松山東高校*同級生。大友が石田に俳句を教えたとか
石井和義(K1プロデューサー)、片山恭一(作家『世界の中心で愛を叫ぶ』)宇和島東高校
永淵洋三(近鉄・「あぶさん」のモデル)、村井国夫(俳優)佐賀西高校
草野仁(司会者)、麻生祐未(女優)長崎西高校
平松守彦(大分県知事)、村山富市(首相)大分上野丘高校*同年生まれ
福島瑞穂(社会民主党)、河野景子(貴乃花夫人)宮崎大宮高校
岡留安則(「噂の真相」編集長)、そのまんま東(たけし軍団)都城泉が丘高校
辛島美登里(ミュージシャン)、柳田理科雄(科学ライター)鶴丸高校*同年生まれ
南野知恵子(法務大臣)、恵俊彰(ホンジャマカ)甲南高校
渥美清(俳優)、和田勉(NHK)巣鴨高校
篠山紀信(写真家)、北方謙三(作家)芝高校
坂本新兵(「ピンポンパン」)、山本晋也(タレント)早稲田高校
蓮實重彦(東大総長)、角野卓造(俳優「渡る世間は鬼ばかり」)学習院高等科
養老孟司(解剖学者「バカの壁」)、細川護煕(首相)栄光学園
木村太郎(ニュースキャスター)、サンダー杉山(国際プロレス)東海高校
黒木香(AV女優)、辛酸なめ子(漫画家)女子学院高校
原由子(サザンオールスターズ)、荻野アンナ(芥川賞作家)フェリス女学院高校*同年生まれ

地方における名門高校の威光はただならぬものがあるようで、地元企業に高校閥があったり、
中学浪人が珍しくないなどと聞くと、東京育ちとしては驚くばかり。
ちなみに私は名門ではない公立高校の出身。本書で“名門”とされている私立を二校蹴って
入学したのだが、反骨精神などというものではなく、そういうことに無知だっただけである。
“名門校”を出ていた方が何かと世間で通りがいいことに、卒業後に気づいたという間抜けぶり(笑)。
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by funatoku | 2005-09-10 18:59 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(2)

福田和也「総理の値打ち」(文春文庫)

初代・伊藤博文から五十六代小泉純一郎まで、歴代総理大臣を100点満点で採点。

まず高得点組(引用)
伊藤博文 アジア最初の立憲政体の生みの親であり、自ら作った制度の下で政治家として
活躍した最初の議会政治家として、その功績は不朽といわざるをえまい。(91点)
山県有朋 抜擢の才能、つまりは遺賢を求める能力は卓越していた。(85点)
岸信介 憲法や安全保障という国家のアイデンティティにかかわる事柄と、産業経済という
国民生活に密着する分野の双方において、卓越した仕事をした(略)(81点)
原敬 原内閣は、多くの成果を残している。(略)軍の政治力を抑える一方、海軍の近代化にも
務めてもいる。米騒動以来の物価高騰の抑制に成功し、税制を改革した。(略)明治国家から
よりモダンな国へと日本が脱皮するために原がなした貢献は大きい。(73点)
加藤高明 日ソ国交の回復、普通選挙法の制定、治安維持法の改定など大きな仕事を
こなしている。(略)四個師団の廃止を眼目とする軍縮を実現した(略)議会制の下でのシビリアン・
コントロールを貫徹するだけの政治指導力を発揮できた宰相として政治史に大書されるべき(72点)

一方、低得点組(引用)
細川護煕 スタイルの斬新さ以外何も残さなかった。(31点)
森喜朗 「木を見て森を見ない」性格で、総理の器とみなすものは誰もいなかった。(30点)
村山富市 実質的には社会党を解体するための政権だった。(28点)
吉田茂* 占領が終結した後に、彼がすべてを話し、謝し、説明すること。だが吉田はそれを
しなかった。(27点) 引用者註*吉田については占領中は68点としている。
近衛文麿 貴族政治家というより、むしろ元祖ポピュリストと考えるべきだろう。(17点)

小泉純一郎については、読んでのお楽しみいうことで、敢えて外しておいた。さて、どちら?

巻末には国正武重、中西輝政、保阪正康氏との座談会が収録されており、本文の評価について
論客の三氏が意見を述べていて面白い。福田氏は「今日は出来の悪い修士論文の口頭試問に
臨むような気で参りました」とのことだが、読者自身が自分なりの採点を考えることが、
近代日本史を考え直す作業になるはずで、本書はその案内状であると言えよう。
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by funatoku | 2005-04-30 18:21 | 文庫・新書 | Trackback | Comments(2)