カテゴリ:演劇・映画・展覧会( 8 )

こまつ座第83回公演「円生と志ん生」(11/3 所沢ミューズマーキーホール)

 古今亭志ん生と三遊亭円生は昭和20年5月、戦火に焼かれた東京を後にして満州へ慰問に出発します。2ヶ月程度の巡業のつもりで出かけたものの、戦況の悪化により帰国出来なくなり、更に終戦によって混乱した大連に留まらざるを得なくなりました。そして、昭和22年の春に帰国するまで辛酸を嘗めたのです。

 渡航した時点で志ん生55歳、円生45歳。志ん生は芸人としては遅咲きで、芸は評価されていたものの酒や博打による不行跡が祟って、ようやく人気が広まったのは五十代に入ってからのことといいます。一方の円生は少年時代から舞台に上がっていた二世落語家で志ん生より芸歴は長いのですが、こちらもなかなか人気に恵まれませんでした。戦後、名人の座に上り詰める二人ですが、この時点では志ん生だけが名人見習程度のポジションであり、円生はまだ数多い中堅の一人と言って良いでしょう。こうした二人が2年近く異国の地で苦労を共にした訳です。

 私はこの話で思い出すのはゴッホとゴーギャンのことなのです。ゴッホとゴーギャンという二人の天才画家は1888年に共同生活を試みますが、わずか二ヶ月でゴッホの「耳そぎ事件」によって破綻してしまいました。果たして、落語界の天才二人が心ならずも始めた共同生活は如何なるものだったのか?原作者の井上ひさし氏ならずとも想像が膨らむところでしょう。
 こちらの組み合わせでは年上の志ん生が破天荒な性格で、年下の円生がそれに比べれば常識的な性格なので、直接ぶつかり合うということは無かったようです。ただ、円生は金が入ると酒ばかり飲んでいた志ん生に困っていたのは確かなようで、渋滞のために私が10分遅れて入場した舞台では、そうした場面になっていました。二人は旅館を追い出されて、遊郭に居候するなど苦労をしながらも、それによって落語の新しいクスグリを考えたりしています。このあたりは落語ファンにとっては興味深いものがあります。休憩時間には同行者に「火焔太鼓」のストーリーを説明することになりましたが(笑)。

 後半、円生は“現地妻”と結婚することになります。これは自伝でも語られているのですが、小唄の師匠と同居することになって、志ん生との同居を解消するのです。これから帰国するまでの二人の生活には謎の部分が多いのですが、この芝居では円生は羽生座という芝居の一座に加入し、志ん生は修道院の炊き出しなどで食いつなぐという設定になっています。どうやら円生に関しては事実のようであり、志ん生の方は孤児院に預けられた井上氏の経験を投影したものと見て良いかもしれません。聖書の言葉と落語の言葉を取り違えるというギャグは井上氏の人生観そのものが現われており、笑いつつも考えさせられるものがありました。
 芝居は一足先に志ん生が引き上げ船で帰国するところで終わります。後日談になりますが、志ん生の帰国は熱烈に歓迎され、昭和36年に脳梗塞で倒れるまで天下の名人として落語界のトップに立ちます。一方の円生も着実に名人への道を歩んで、昭和54年に79歳で亡くなる直前までその芸は進化し続けました。

 私が引っかかったのは二人の呼び方です。この芝居では志ん生→円生「松ちゃん(円生の本名は山崎松尾)」、円生→志ん生「兄さん」と呼んでいます。しかし、落語界では年齢に拘わらず、芸歴が長い者が先輩ということになります。7歳から高座に上がっていた円生には「芸歴は自分の方が上」という意識は常にあったでしょう。現に円生の著作にはお互いに「君」と呼んでいたような記述があります。実年齢や芸の上ではともかく、芸界の序列として円生には自分が後輩という意識は余り無かったでしょうから、後輩から先輩への呼びかけ方である「兄さん」を使っていたのかは疑問が残るところです(これについては落語関係者のどなたかが証言しているかも知れません)。
 調査魔である井上ひさし氏がそのことを知らなかった筈はなくて、2時間半の舞台劇の中で二人の立ち位置を明確にするために、このような設定にしたのでしょう。しかし、落語ファンとしては、もう少しこの二人の微妙な“上下関係”を出してもまた別の深みが出たのではないかと想像してしまいますね。

 角野卓造(志ん生)と辻萬長(円生)の掛け合いはとても楽しいものでした。実年齢は辻さんの方が4歳年上なんですね。脚本は未読なのですが、読んだ上でもう一度この芝居を見たいとも思っています。(11/14~12/2 新宿紀伊国屋サザンシアターにて上演)
[PR]
by funatoku | 2007-11-06 20:47 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(0)

小津安二郎映画における“実年齢”と“役年齢”

mixi日記からの転載です。

 先日の日記で小津安二郎監督「秋刀魚の味」の同窓会場面について触れました。(URL省略)
 あの場面、教師役の東野英治郎(55歳)の方が教え子役の笠智衆(58歳)や北竜二(57歳)より実年齢は年下なのですね。教え子役の一人、菅原通済に至ってはこの時68歳だから13歳も年上。もちろん夜間中学じゃありません(笑)。東野が年寄り臭く見えるのは“演技力”の賜物なのですね。俳優は様々な年齢の役柄を演じますから、実年齢というのは余り関係無いとも言えますが、舞台とは違って映画ではそんなに無茶な設定は出来ないでしょう。と言うわけで、主な戦後小津映画の役者たちの実年齢と役の設定年齢を調べてみました。
( )内が実年齢。役年齢>実年齢 実年齢>役年齢

晩春(昭和24年)
 笠智衆(45歳)が娘の原節子(29歳)を嫁に出す話。笠は56歳の東大教授という設定なので既にかなりの老け役ですね。原は27歳なので実年齢よりやや若い。笠の妹役の杉村春子(40歳)も兄につられて49歳と結構年上の役柄ですが、余り年齢は関係無い芸風でしたね。原を嫁がせた夜、笠が台所で独り寂しくリンゴの皮を剥くラストの場面は有名ですが、あれが45歳とはねえ…。ちなみに今年平成19年に45歳になる芸能人は柳沢慎吾、豊川悦司、石原良純、林家正蔵(こぶ平)など。

麦秋(昭和26年)
 2年経ったら笠智衆(47歳)原節子(31歳)が兄妹に(笑)。兄妹なので笠38歳、原28歳という設定ですが、笠は一気に20歳近く若返ってしまうという荒業。そう見れば見えないことはないか…、でもやっぱり笠さんには老け役の方が似合いますね。杉村春子(42歳)は原の結婚相手の母親役で54歳とかなり上の設定。

東京物語(昭和28年)
 笠智衆(49歳)東山千栄子(63歳)70歳67歳の夫婦役。実年齢より21歳も上の役を演じる笠さんには苦労も多かったようで、背中にタオルを入れて丸まって見えるように工夫したりしたそうです。その子供たちの山村聡(43歳)杉村春子(44歳)大坂志郎(33歳)香川京子(22歳)はそれぞれ47歳44歳27歳23歳という設定。戦死した次男の未亡人原節子(33歳)28歳で、みんな実年齢に近い。
 しかし、実は笠を上回る老け役がいて、笠の旧友である東野英治郎(46歳)71歳の設定なんですね。その差25歳。ちなみに水戸黄門こと徳川光圀は73歳で没しています。

東京暮色(昭和32年)
 笠智衆(53歳)57歳の銀行員役だから実年齢に近くなってきます。笠の娘の原節子(37歳)有馬稲子(23歳)は、32歳21歳の設定。笠と別れた妻山田五十鈴(40歳)52歳と老け役で、長女の原と実年齢は3歳しか違わないのです。母を知らない設定の有馬に「(山田は)若く見えたけど」という台詞を言わせているのは、小津監督が山田に気を使ったのでしょうか。
 「東京物語」では親子だった笠と山村聡(47歳)がこちらでは同級生を演じています。

彼岸花(昭和33年)
 佐分利信(49歳)笠智衆(54歳)中村伸郎(50歳)北竜二(53歳)が同級生役で55歳。佐分利の妻田中絹代(49歳)48歳、佐分利の娘有馬稲子(24歳)23歳をはじめ主要キャストが実年齢に近いのは、小津監督初のカラー作品だったことと関係あるのでしょうか。

お早よう(昭和34年)
 と思いきや、笠智衆(55歳)46歳とまた若返る(笑)。この映画では中学1年と小学1年の息子が重要な役どころなので、父親である笠を極力若く設定しないと無理が生じるんですね。でもやはり無理があるかも…。息子というより孫みたいに見えるもん。
 笠の妻三宅邦子(43歳)37歳はともかく、近所の杉村春子(50歳)38歳というのはさほど必然性が無さそうな設定です。東野英治郎(52歳)55歳で定年退職した男を演じていますが、この程度では東野さんにとっては老け役とは呼べませんね。

秋日和(昭和35年)
 長らく年下の役を演じてきた原節子(40歳)が、ついに年上の45歳の未亡人という設定になり、今度は24歳の娘司葉子(26歳)を嫁がせる立場に回ります。笠智衆(56歳)は亡き夫の兄で59歳。亡き夫の同級生は佐分利信(51歳)中村伸郎(52歳)北竜二(55歳)というお馴染みの面々で53~4歳。中村さんの回想によると、実年齢が一番下の佐分利さんの頭髪が真っ白だったので、他の人に合わせて黒く染めたそうです。小津監督が生きていれば原節子の老け役がまだ続いたのでしょうかねえ。

秋刀魚の味(昭和37年)
 若い頃の笠智衆(58歳)を老け役として抜擢したのは小津監督ですが、遺作である本作品では実年齢とほぼ同じ57歳を演じています。長男佐田啓二(36歳)32歳、長女岩下志麻(21歳)24歳、次男三上真一郎(22歳)21歳で、姉の方が弟より年下ですが、この頃から姐さんの貫禄があったのか…?
 笠の中学時代の教師が東野英治郎(55歳)で、72歳の老け役を見事に演じます。東野の娘の杉村春子(53歳)48歳の設定ですが、この親子も2歳しか離れていませんね。

 小津安二郎監督は翌昭和38年12月、60歳の誕生日に癌で亡くなるわけですが、もし斃れなければ笠智衆らの還暦後の生活を描いたのでしょうか。ファンとしてはぜひ見たかったですね。
 なお、ここに挙げた実年齢は映画の公開年の誕生日以降の満年齢で、撮影時の年齢ではありません。役の設定年齢は『小津安二郎を読む』(フィルムアート社刊)を参照しました。
[PR]
by funatoku | 2007-08-11 08:01 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(2)

立川志らく劇団・下町ダニーローズ第6回公演「はなび」(6/16夜 神楽坂・theatre iwato)

いや、泣けた。最前列で泣く客は演者に迷惑ではないかと心配はしたが、大いに笑い、かつ泣いた。

原作は座長立川志らくのシネマ落語「たまや」である。シネマ落語というのは映画通の志らく師匠が
創始したもので、洋画のストーリーを落語仕立てに翻案したオリジナルを70本程発表している。
何やらキワモノ風に聞こえるかも知れないが、これが実に古典落語のエッセンスを抽出した趣の
ある本格的な噺で、最近は聴く機会が無いもののかつて何度も「志らくのピン」で聴いている。
この「たまや」は映画「天国から来たチャンピョン」(私は未見)を下敷にした、なかなか見事な
人情噺に仕上がっていて泣かされた記憶がある。師匠自身も十八番と考えているようだ。

舞台は明治初頭、今は亡き「玉屋」を再興しようと「鍵屋」から独立した花火職人与五郎(柳家一琴)を
慕ってついて来た若い職人の辰吉(田中大輔)だったが、馬車にぶつかって急死してしまう。
自分が死んだことがまだ理解出来ない辰吉が三途の川に辿り着くと、神様(片桐仁)と死神
(原武昭彦)が現われ、辰吉の寿命はまだ残っていたので、死んだのは間違えだと告げる。
既に火葬された辰吉の身体には戻れないが、死にかけた誰かの身体に入れば生き返れるという。
で、その死体に選ばれたのが大きな呉服屋の主人徳兵衛(立川志らく)。金の亡者として有名で、
自分の長屋の住人を追い立てようとして恨まれていて、徳兵衛の妻(千宝美)と共謀した番頭
(コンタキンテ)に毒殺されてしまうのだ。辰吉が徳兵衛に“入る”と、意識は辰吉のままなので
長屋の連中に大盤振舞いを始めて見直され、長屋の娘お玉(酒井莉加)とは相愛の仲になる。
そして花火職人に戻ろうと与五郎にだけ正体を明かすのだが、これは本来ご法度で元の正体を
聞いた者は死神に取り憑かれて死んでしまうルールなのだ。与五郎は死を逃れたものの、
もう与五郎の妻おせい(柴山智加)には教えることが出来ない。おせいは辰吉の死以来悲しみに
くれてばかりいた与五郎が、急に「呉服屋の主人徳兵衛」と組んで花火を作り始めたのを心配する。
一方、辰吉が“入った”徳兵衛の運命も急転し、再び番頭に殺される運命になる。それを知った
徳兵衛はお玉に「また玉屋再興を手伝う男が現われるが、それが自分だ」と別れを告げる。
番頭に刺殺された徳兵衛から抜け出した辰吉、今度の死体はと見れば、鍵屋時代の弟分だった
吉三(吉野俊哉)で、玉屋を手伝うべく与五郎のもとに来てすぐに急死してしまったのだ。
今度吉三の身体に入ると、辰吉としての過去の記憶は消えてしまうと神様に言われて躊躇ったが、
死ぬよりはマシとばかりに身体に入る。急に蘇生した吉三を見た与五郎は辰吉が“入った”と知るが、
吉三にはもう辰吉としての記憶は無くなっていた。二人で協力して何とか成功させた隅田川花火
大会の日、偶然吉三とすれ違ったお玉はもしや「徳兵衛」ではないかと声をかけるが、もはや彼には
「徳兵衛」としての記憶が無いのである。二人はもう愛し合えないのか。しかし、そこで「徳兵衛」が
作ってあった隠し玉の花火が一発上がったのを見て吉三は突然名前を思い出す。「お玉~!」

最後にもう一つ落語的なサゲが入るが、ネタバレしてもいかんので自粛(こんなに書いて何だが)。
こうしてあらすじを辿ってみると、かなり込み入っているのだが、舞台では場面転換がスピーディー
かつ的確なのでストーリーはすっきりと頭に入ってくる(これ読んで分かり難いのは私のせいだ)。
どうも私は「リインカネーション」もの(そんな呼び方は無いだろうけど)に弱いみたい。
途中から涙が止まらなくなった。特に最初、辰吉が徳兵衛になったことを理解出来なかったおせいが、
最後の場面で夫に「確かに辰吉だったよ」と語る場面、これ書いていてもまた泣ける(ツボか?)
名演の柴山智加は「リインカネーションもの」で知られる大林宣彦映画の常連なんだってね。
私は大林作品を殆ど見ていないのだが、今度見てみるかなあ。柴山ファンになりそう。
ラーメンズの片桐仁、テレビで見た時には「テレビ向きじゃない芸」という印象を持っただけで、
ファンの熱狂的支持を冷ややかに見ていたのだが、今回面白さの一端が分かった気がする。
一時期のシティボーイズのように、美大生系のお洒落なファンがついて笑いが少ない不条理劇に
走ってゆくタイプかと思ってたら、コメディアンとしての存在感が予想以上に強かったのである。
どうも美大出身という先入観を私が持っていたようだ。不明の到り、今さらながら要チェック。
片桐の相棒役の原武昭彦。葬儀屋のような格好した死神として出て来るだけでもう可笑しくって。
あと阿部能丸、山咲小春(鍵屋夫婦)といった上手い脇役がいるのもこの劇団の強みですね。

それにしても昨年の「あ・うん」以来、下町ダニーローズは大変な充実ぶりである。
ブログには書きそびれてしまったが、昨秋の「あ・うん」もとても感動的だった。
しかし前回は客席が酷過ぎた。掛け値無しで空間が座布団一つ分しかなくて、全く足を伸ばせない
のだ。あれだけの芝居を見せるのだから、それなりの場所を選ぶ覚悟が必要ではないだろうか。
座長自らが「お客が難民のようになって」なんてギャグにしている場合ではない、と思っていたら
「あ・うん」は今年12月に劇場でキャストを代えて再演するとのこと。
今回は前回より客席がゆったりしたものの、私のいた最前列は地べたに座り、時々舞台に足を
伸ばす恰好だった。師匠、並びに制作の皆様、そろそろ他の場所を本気で探して下さいな。
b0058309_10405163.gif

[PR]
by funatoku | 2006-06-17 04:05 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(2)

ウディ・アレン監督・脚本「メリンダとメリンダ」(恵比寿・ガーデンシネマ2)

ニューヨークのイタリアン・ビストロで4人の男女が議論をしている。喜劇作家は「人生の本質は
喜劇だ」と主張し、悲劇作家は「悲劇だ」と応じる。同席した男が「ホームパーティーに突然、
女が現われた」という実話を紹介し、二人の劇作家はこの同じシチュエーションで、ストーリーを
考える。つまり、以下は二人がその場で創作したストーリーという設定なのである。

悲劇編。俳優のリー(ジョニー・リー・ミラー)と音楽教師ローレル(クロエ・セヴィニー)の
ホームパーティーに、突然ローレルの学生時代の友人メリンダ(ラダ・ミッチェル)が現れる。
またこの女が迷惑な奴なんだ。自己中心的で、精神不安定で、不幸を招き寄せるような女。
医者と結婚して二人の子供を生んだが、浮気して離婚され、その浮気相手にも捨てられて、
精神病院に入っていたという。こんな女にしばらく泊めてくれなんて言われたら、リーならず
とも迷惑がるよ。メリンダは連れて行かれたホームパーティーで知り合ったピアニストの
エリスと恋に落ちる。自分を悲劇のヒロインと思っているもんだから、芸術家には弱い(笑)。
しかし、結局エリスはローレルと付き合うようになってしまい、それを知ったメリンダは
窓から飛び降りて自殺するだのしないだの騒ぎになって…。もう見事なまでの不幸の連鎖反応。

喜劇編。俳優のホビー(ウィル・フェレル)と映画監督のスーザン(アマンダ・ピート)が、
スーザンの次回作のスポンサー接待のホームパーティーをしていると、今日階下に引越して
きたばかりだというメリンダ(二役)がふらつきながらやって来て、睡眠薬を飲み過ぎたという。
こちらも迷惑度は相当なもんだが(笑)、スーザンと上手くいかなくなっていたホビーは、
メリンダに惚れ込む。スーザンがメリンダと付き合わせるために設定した、金持ちの歯医者との
ダブルデートの時も、ホビーはイヤミばかり言っている。やがて、スーザンのスポンサーとの浮気が
発覚して、離婚することになったホビーはこれでメリンダと付き合えると喜んだが、メリンダに街で
知り合ったピアニストのビリーと恋に落ちたと告げられる。メリンダたちが独身に戻ったホビーを誘った
パーティーで、ホビーはセクシーな共和党員(!)といいムードになるが、この女最近フラレた怨みが
甦ったのか窓から飛び降りるだの大騒ぎになり…。騒ぎがやっと納まったところへ、メリンダがやって
来て、「あなたの気持ちにやっと気がついた」と恋心を打ち明ける。おいおい。最後は急転直下で
話がうまく進み過ぎだよ。男の願望がむき出しじゃないの(笑)。

二つの話が交互に出てくるので、私なんぞはどちらがどちらだったか混乱しかかってしまう。
悲劇編はクラシックがBGMで、喜劇編はジャズだったりと、変化をつけてはいるが、段々と
実は悲劇も喜劇も、それほど違いは無いということに気が付いた。つまり、それがこの映画の
テーマなんでしょうな。対象との距離や関係次第で、喜劇と悲劇は背中合わせなのである。
大体、理屈っぽいダメ男ホビーと、天然迷惑女メリンダが、付き合い始めて上手くいくのか。
ハッピーエンドの先にも、「ハッピー」が続いているとは限らない訳ですね。

ラダ・ミッチェルの悲劇メリンダの不幸オーラはなかなか迫力があった。喜劇メリンダと
同一人物が演じていると分かっているのに、別人のように見えてしまうくらい。
一番笑わされたのはウィル・フェレル。前述の文を読んだだけで気付いた人もいると思うけど、
これは昔ならウディ・アレンが自分で演じた役。「あの男は僕の役だったね。何年か前だったら、
絶対に演っていたと思うよ。でも今の僕はそんな歳じゃない」とアレン自身も語っている。
アレンとは逆に、小太り大柄でぬぼーっとした雰囲気なのだが、ダブルデートの途中で悪態を
つき続ける場面とか、スーザンに離婚を切り出されて、嬉しさをかみ殺す場面などは、
もうただただ可笑しくて、そして往年のアレンの演技が眼に浮かぶようだった。
クロエ・セヴィニーはお嬢様育ちの主婦が似合っていたが、ストリート系のインディーズ
映画出身とは意外。ただ本人自身は中流家庭の育ちで、こちらの役の方が自然なのだとか。

映画で重要な場面になるのがホームパーティーと、それを可能にする広いアパートメント。
そういう点でもアレンの一連のニューヨークものの系列に入るだろう。
昔ほどアレン映画が一般受けしなくなっているのは、アレンの描くニューヨークが微妙に現実と
ズレてきているのかも知れないが、小津安二郎が描く東京だってあくまでも虚構の東京である。
既に殿堂入りしてしまったかのようなアレン映画が再評価される日も、遠くないと私は思う。
アレン今年で70歳。これから撮る映画を全て見逃さないようにしたい。
b0058309_1422061.jpg

悲劇メリンダ(右)とローレル。チェーン・スモーカーという設定が不幸感を高めている(笑)。
[PR]
by funatoku | 2005-08-20 14:26 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(0)

ウディ・アレン監督・脚本・主演「さよなら、さよならハリウッド」(恵比寿・ガーデンシネマ2)

「カイロの紫のバラ」「ラジオ・デイズ」など、80年代のウディ・アレン映画が好きだったのだが、
90年代以降は単館上映が多くなり、目にする機会がめっきり減ってしまった。
何故なのだろうか。彼の映画の登場人物はニューヨークの上流階級、セレブリティが多いので、
バブル期以降不況が長引く日本では、いささか共感を呼びにくい面があるのは確かだし、
何となくインテリ向けのスノッブな映画という位置づけになってしまったようにも見える。
だが、日本初公開となるこの2002年作品を見たら、「なぁ~んだ、ドタバタ喜劇じゃん」。
“コメディアン”ウディ・アレンは健在だったとホッとしたのである。

かつてアカデミー賞に2度輝いた映画監督・ヴァル(ウディ・アレン)は、今ではすっかり
落ち目になっていた。そんな彼のところに、久々にハリウッドから依頼が来たが、プロデューサーは
元の妻・エリーであり、彼女をヴァルから奪った現在の婚約者・ハルが映画会社の重役だった。
依頼を受諾したヴァルだったが、久々の大仕事で緊張し過ぎたせいか、クランクイン直前に突然、
心因性で目が見えなくなってしまう。しかしヴァルのマネージャーのアルは、せっかくのチャンスを
失わないためにも、黙って仕事を続けるようヴァルを説得する。つまり“目が見えない監督に映画を
作らせた”のである。ところが、目の見えないヴァルを手助けするためにつけた中国人通訳が
解雇されてしまったために、困ったアルはプロデューサーのエリーにヴァルの失明を打ち明ける。
後戻り出来ないエリーは、ヴァルの手足となって何とか映画を完成させるが、評判は散々だった…。

“目が見えない映画監督”というシチュエーションだけで、コントとして色々展開しそうでしょ。
チャップリンだったらどう演じるか、志村けんならどうか…、などと想像しても楽しいが、
こういう“困惑する男”を演じさせたらアレンは日本一だ。あ、日本じゃないか。
それに、喋り。元の妻エリーと再会する場面、「Business is business」と言って仕事の話を
始めようとした直後に、一転して「君は薄情な尻軽女だ!」などとぶち始める絶妙な間ときたら…。
故景山民夫氏によれば、アレンのトークにはパロディが多いので、原典を知らない日本人には真髄が
分からないとのことだったが、これはもう落語名人のような話芸であり、字幕を見ながら笑い転げた。
やけに髪型がキマっているハルのことを、「散髪代だけで家族5人養える」なんていうギャグも、
こうして書いてしまうと面白さが伝わりにくいが、もう可笑しくてしょうがない。

ただ、後半はちょっと駆け足というか、ストーリーが雑な印象を受ける。視力が戻ったヴァルが
エリーと復縁してしまうのは、ちと都合が良過ぎるものの、まあ男のおとぎ話ということだろうが、
ヴァルの息子との関係修復のエピソードが飛び出すのは唐突で、この辺りはアレン映画に
時折見られるユダヤ的要素かも知れない。ユダヤ人の父子関係は、ちょっと独特らしいしね。
アメリカで酷評された映画が、フランスで受けたというラストは、フランスをナメてるのかなぁ、
ちょっと酷いなと思ったら、何と60年代の「フィルム・ノワール」という実際にあった映画史の
パロディになっているらしい。そういったエピソードも含め、プログラムの町山智浩氏の解説が
とても勉強になる。その解説によると“盲目の映画監督”というのも実在したのだという。
b0058309_23234622.jpg

[PR]
by funatoku | 2005-06-09 23:07 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(2)

志らく劇団・下町ダニーローズ「リカちゃんと怪獣」(5/26 19:00 神楽坂・theatre iwato)

立川志らく師匠が脚本・演出・主役を担当する「下町ダニーローズ」第4回公演初日。
「トイストーリー」のような芝居、ということだが、私は「トイストーリー」という映画を
見ていないからなあ。登場人物は子供部屋のおもちゃ箱にいる人形たちである。

人形を大事にしない花子(声:林家きく姫)の部屋にいるのは、リカちゃん(酒井莉加)、
リカちゃんのママ(長宗我部陽子)、ジェニー(原田果奈)、招き猫の貯金箱(立川文都)、
キャベツ畑人形(三遊亭楽春)、てるてる坊主(内藤忠司)、こけし(山咲小春)、下仁田生まれの
フランス人形(奈賀鞠子)たち。ついさっきも仲間のバービー人形が窓から投げ捨てられたばかりだ。
一方、貧しい隣家の太郎(声:柳家花緑)の部屋にいるのは、パチモンのゴジラ(モロ師岡)、
GIジョー(入月謙一)、踊るサンタ人形(立川談四楼)、達磨(柳家一琴)、粘土(阿部能丸)、
ウサギのぬいぐるみ(桜井麻美)、花子が窓から捨てたリカちゃんのパパ(谷畑聡)、
紛れ込んできたバイブレーター(コンタキンテ)、本物の鼠(原武昭彦)たち。
こちらは男が多いせいか喧嘩が絶えない。

花子がクリスマスプレゼントでもらったドラえもんのぬいぐるみ(立川志らく)に、新興宗教の
教祖のように「皆さんを幸せにする」と言われた花子の家の人形たちは、隣家への移住を願う。
しかし、人形界には掟があって、勝手に家を移ったりした者は藁人形に呪われて死ぬのだ。
果してリカちゃんはパパに会えるのか。そして彼らは幸せをつかめるのだろうか…。
まだ公演中でもあることだし、ストーリーについてはこのくらいにとどめておく。

志らく師匠はすっかり座長が板についていたし、文都、談四楼両師匠も持ち味が出ていた。
本職のモロ師岡を除くと、内藤忠司、原武昭彦のコメディアンぶりが印象に残った。
女優さんはチラシの写真を見ても印象が違ってて、名前が一致しない。申し訳ない限り。
開演前は2時間の芝居と聞いて随分長いと思ったが、終わってみれば短かった。
私が前回見たのは2年前の「ブルーフロッグマンの憂鬱」という一種の人情もので、
「これを新作落語にしたものを聴きたい」と思ったものだが、今回そうは思わなかった。
これは確かに芝居でしか表現できない世界であり、その分完成度は高いと言えよう。
“落語家が作った芝居”と考えなくても、普通に楽しめる喜劇になっていたのではないか。

今回、実は公演前に志らく師匠からご案内のメールを頂いた。数年前に知人が落語会を開いた
際に、ご挨拶して名刺をお渡ししたことがあるのだ。それ以来、お目にかかる機会は無い
(勿論、高座は何度となく拝見しているし、本にサインを入れて頂いたこともある)が、
こうしてご連絡を頂くと嬉しいもので、月末でドタバタしているのに、すぐ申し込んでしまった。
ただ、座席が狭くて終演後は膝がガクガク。小劇場を見るには年をとり過ぎたのかなぁ…。
[PR]
by funatoku | 2005-05-27 00:34 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback(1) | Comments(4)

長尾直樹監督『鉄塔 武蔵野線』(DVD・vap)

小学校6年生の夏休みの一日、行ったことの無い遠いところを目指して、
自転車で“冒険”の旅に出かける。勿論親には内緒で…。
「鉄塔武蔵野線」は、そんな誰もが持っているような少年時代の経験を思い出させる。

自宅の近所にある鉄塔に「武蔵野線71」というプレートがつけられていることに気づいた
主人公の環見晴(伊藤淳史・チビノリダーの子)は、親友と共に「鉄塔調査隊」を結成し、
埼玉郊外の野を越え、山を越えて「1号鉄塔」を目指してゆく…。

主人公の自宅があるとされているのが東京都保谷市(現・西東京市)なのだが、
小学生時代を保谷市で過ごしている私としては、原風景を見ているような気分。
私が育ったのは武蔵野市に近い南端で、こちらは埼玉県境に近い北端なので
結構離れており、当時行ったことは無いのに、その風景には“懐かしさ”を感じさせられる。
新座、清瀬、所沢、三芳、狭山、日高…。まだ緑が多く残る郊外の風景の映像も美しく、
「あー、遠くまで来ちゃったなぁ」という、遠い日のかすかな不安感までもが蘇ってきた。

ただ、この主人公の鉄塔への執着は並大抵ではない。冒険旅行に出た挙句に、
そのまま野宿してしまうというのはかなり珍しいし、今の東京なら大騒ぎになりかねない。
PTA全国協議会も推薦しているこの映画、実は相当な“オタク映画”なのである。
世の中には鉄塔マニアなる人達がいて、鉄塔写真をサイトに発表していたりするのだ。
主人公は紛れも無くそういった人間である。オタクっぽい夫に愛想を尽かした母親が
家を出てゆくという原作に無い挿話も、それを暗示していると言って良いかも知れない。

さらに、原作(銀林みのる「鉄塔武蔵野線」新潮文庫・品切)を読むと更にオタク度は高い。
鉄塔の形状や、そこに行き着くまでの様子が詳細に描かれ、写真まで添えられているのだ。
この本は「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞しているのだが、選考過程ではこの
達者なファンタジーの衣を被った前代未聞の“オタク小説”に、賛否両論あったようだ。
原作者の銀林氏は、私の高校の同級生の大学時代のバイト先の同僚であり、
同級生によれば、知り合った頃から鉄塔の写真を見せてくれたりしていたという話である。
10年前にこの傑作を書いて以降、銀林氏は新作を刊行していないようなのだが、
この作品を上回る素材を見つけられないのだろうか。

ところで東北新幹線に乗ると、大宮の先にやたらに鉄塔が林立している場所があるのだが、
この映画を見て以来、そこを通るのを楽しみにしている私も鉄塔オタクの一員になれたのかな。
[PR]
by funatoku | 2004-12-29 13:50 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(0)

「村上豊の世界」展(講談社野間記念館)

各方面で活躍中の村上豊さんを「挿絵画家」と呼ぶのは失礼にあたるかも知れない。
しかし、芸術的評価でも時間的制約の上でも厳しい条件にあり、華やかに見える割には
必ずしも経済的にも恵まれているとは言えない挿絵を、40年以上画業の中心に据え、
常に第一線を走り続けたということは空前の偉業と言えるだろう。

村上さんはこの夏、長年住んだ渋谷のマンションから中央区内に転居。それを機に
原画3万点をこの野間記念館に寄贈した(ご本人曰く「引き取ってくれました」)。
創刊以来「小説現代」の表紙を描き続けるなど、講談社とは縁が深いのである。
これだけの挿絵が一箇所に保管されることも、恐らく初めてのことであろう。
それを受けて開催された今回の個展では、コンパクトに画業を振り返ることが出来る。

挿絵、絵本、仏画、襖絵など幅は広いが、作者名を隠されてもわかる程、作風はブレない。
そして一番印象に残ったのは、やはり挿絵と装画。大仏次郎「天皇の世紀」、
赤川次郎「幽霊列車」、夢枕獏「陰陽師」を始め、文芸のあらゆるジャンルをカバー。
小説の本質を捉えながら、童心とユーモアあふれる“村上調”のイラストで描いている。
これは想像なのだが、村上さんは他の挿絵画家より描く時間自体は短いのではないか。
しかし、作品を頭の中で熟成させる時間は長い…。そんな気がしている。

いくら日記とはいえ、昨日で終わった展覧会のことを書くのはいささか気がひけるなぁ。
というわけで、ご連絡を頂ければ、今日買った村上さんの絵葉書を進呈致します。
(存じ上げない方との連絡方法を、思い浮かばないのが残念ですが…)
[PR]
by funatoku | 2004-12-20 01:02 | 演劇・映画・展覧会 | Trackback | Comments(0)