女子プロレスの老舗・全日本女子プロレスが消滅の危機を迎えていることが28日、分かった。
都内の事務所で本紙の取材に応じた松永健司副会長によれば、収入はすべて税務署に持っていかれ、選手のファイトマネーや会場費の支払いもおぼつかず、4・17後楽園ホール大会も会場費の調達が難しいという。 松永高司会長ら松永一族の経営では団体が成り立たない状態のため、29日横浜・金沢大会前に同会長の勇退を発表。団体存続のため新たなスポンサー獲得を目指す。 全女は97年に2度目の不渡りを出し、昨年12月には山口県小野田市から施設使用料滞納で訴えられそうになるなど、苦しい経営が続いていた。 (デイリースポーツ) - 3月29日10時55分更新 全女は何度も「倒産」しているので、「またか」という気もするのですが、今度は松永一族が経営から 手を引くということなので、何らかの形で会社が存続したとしても、それは別会社と言えるでしょう。 先日も少し書きましたが、私は90年代前半の全日本女子プロレスには少々思い入れがあります。 ここでは当時活躍した所属選手たちを、簡単に振り返ってみたいと思います。 <56年組> 立野記代*すぐに引退して、のちLLPWで復帰。女子プロ特有の動きの柔らかさが印象的。 <58年組> ブル中野 獄門党という軍団を率いるヒールながら、全女史上初めてヒールとしてトップに君臨。 もっともその頃は既にヌンチャクを使う位しか“悪いこと”はしていなかったけど。 100キロを越える巨体でムーンサルト・プレスをこなすなど、運動神経にも優れていました。 <60年組> 北斗晶 抜群の運動神経での飛び技が見事でしたが、この人の最大の武器は性格でしょう。 神取忍との一戦は、“デンジャラス・クイーン”の名に相応しいプロレス史上に残る一戦でした。 みなみ鈴香 北斗とコンビを組んでいたが、とにかく試合運びの巧い職人レスラーでした。 女子プロらしい流麗な技が多く、地味な存在ではありましたが、私のご贔屓の一人。 堀田祐美子*極真空手出身ということでキックを得意にしていたが、当時は恵まれた体格を 持て余していました。格闘技スタイルで芽を出すのは90年代後半になってから。 <61年組> アジャ・コング*獄門党を抜けブル中野と壮絶なトップ争いを展開。巨体に似合わずジャーマンを こなしたり俊敏な動きを見せました。頭の回転が良く、テレビでも活躍しているのはご存知の通り。 バイソン木村 アジャ・コングのパートナー。ロング・ヘアーを振り乱す様はなかなか色っぽかった。 ブル中野・井上京子組との敗者髪切りデスマッチに敗れ、丸坊主になったのは名場面だった。 高橋美華 華やかなルチャ・リブレ系の技が得意な細身のレスラーだったが、当時は重量級の ヒール同士の抗争が主流になっており、ライバルに恵まれないまま怪我で引退したのは残念。 前田薫*ユニバーサル・プロレスに移籍。ルチャ・スタイルだったが、のちにヒール転向。 神谷美織 B級レスラーの代表格のような存在。後輩に“抜かれた”試合を何度か見てますが、 普段出さないエグイ蹴りを出したりしてました。気は強い人だったのだろうと思います。 <62年組> 豊田真奈美*長い黒髪をなびかせての華麗な飛び技と、ゾンビのような打たれ強さを誇った名選手。 常に激しい試合で会場を沸かせましたが、やや一本調子なのが玉に傷でしたね。 山田敏代 試合スタイルは長与千種のコピーで、長与ファンの女の子達に人気がありました。 三田英津子*当時は長身を持て余していたが、のちに北斗門下でヒールとして開花しました。 下田美馬*すぐ消えそうなレスラーだったのに、意外にものちに三田とのタッグでトップ・ヒールに。 私は彼女のテーマ曲(神保彰「Skip Street」)が好きだったのに、滅多にかかりませんでした。 <63年組> 井上京子*ブル中野のパートナーとして台頭。男子プロレスの流行技を巧みに取り入れたりする 「プロレス頭」の良さでトップに躍り出ました。その後あんなに巨大化するとは思わなかったけど。 井上貴子*当時はアイドル路線で売っていたが、ドロップキックは使わず、アマレス流のタックルを 使ったり、意外にシブいファイトスタイルのレスラーでした。私、彼女の色紙を持ってますよ。 吉田万里子*跳躍力に優れ、飛び技が派手だったが、故障も多かった。 <平成元年組> 長谷川咲恵 獄門党出身だがすぐにベビーフェイスに転向。受身の派手な、根っからのベビータイプ。 スタイルも良く、男女問わず人気があり、女子プロを支える存在になりつつあったが、故障で引退。 バット吉永 極真空手出身で、キックを得意とし、異種格闘技戦に駆り出されていました。 伊藤薫*小柄な頃に覚えたフットスタンプを、巨大になってからも使っていたのは納得がいかない。 渡辺智子*獄門党出身。当時はタッグの負け役が多かったが、息の長い選手になりました。 驚いたことに半数以上がまだ現役続行中(*)。逆に平成2年以降デビュー組の方が、既に引退した 選手が多いのです。その結果、最近は随分平均年齢が上がってしまっているようですが…。 あの頃の試合の凄さについては、いずれまた書いてみたいと思っています。 (注)初めてここをご覧になる方に一言。右の写真の4人組は女子レスラーじゃないぞ。
by funatoku
| 2005-03-30 00:43
| テレビ・ニュース
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Comments(4)
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勢朝です
at 2005-04-04 06:24
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女子プロはJWPを応援しています。けなげな興行ぶりが魅力です。老骨に鞭(失礼)旦那様の愛の力で不死身の『ジャガー横田』御大が華を添えて下さり。日向ちゃんや春ちゃん・よねちゃん・・けなげで。昨日あるパーティーで、素顔の「ボリショイ」ちゃんも拝めました。頑張れJWP!
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funatoku at 2005-04-04 10:14
私が初めてボリショイ選手を見たのは、91年2月・埼玉県戸田市スポーツセンターでした。
当時は前身のジャパン女子プロレスで、ボリショイ選手も若手時代で、勿論素顔(笑)。 「こんな小さな選手がいるのか!」という驚きで、一番印象に残ったのです。 失礼ながらあんなに長く現役を続けることになるとは思いませんでした。 団体対抗戦初期に、全女の選手たちが「怪我をさせてしまうのではないか」と ボリショイとの対戦を渋っていたのですが、一度対戦すると「あ、これは大丈夫だ」 ジャガーさんが参戦しているとは知りませんでした。一度、JWPにも行きたいものです。
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勢朝です。
at 2005-04-04 17:36
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ボリショイちゃん、体ボロボロですが、団体を率いる立場上、頑張るっきゃない状態の様です。(聞けば漫画タイガーマスクの実写版の様な生い立ちとか)思わず応援したくなります。
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funatoku at 2005-04-04 23:26
体重が10キロ違うと、軽量側の負担は相当なものらしいですね。
あの体格で、未熟な若い選手の技を受けて立たねばならない立場ですから、 体は大変でしょうが、頑張って欲しいものです。 彼女の生い立ちについては、昔プロレス誌にちょっとだけ載ったことがありました。
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