筑波常治先生(元・早稲田大学教授)

筑波常治先生はいわゆる“名物教授”であり、他学部の学生の間でも有名だったようだ。
科学評論家として多くの著作を発表していたこともあるが、服装が大変特徴的だったのである。
毎週必ず緑色なのだ。背広が緑、コートが緑、ワイシャツが緑、ネクタイが緑、鞄が緑…。
徹底しているのだ。コーディネートは変わっても、とにかく基本は緑色。
先生は痩身白皙で着こなしも良く、なかなか似合っておられたのだが、最初は驚く。

ある時、大学に提出する書類に「教員の推薦」が必要なことがあって、私は筑波先生に
お願いしようと思い、講義が終わった後でうかがうと快く引き受けて下さった。
万年筆を取り出しサインをすると、インクは鮮やかな緑色…とここまでは予想の範囲内だが、
続いて印鑑を押したのを見て度肝を抜かれた。何と朱肉ならぬ緑肉だったのである。

ちなみに、歴史好きの学生以外にはそれ程知られていなかったと思われるが、
先生は山階宮家から分かれて、皇籍離脱した筑波侯爵家の出身なのである。

卒業後、数年して筑波先生にお目にかかる機会があったのだが、先生は緑色の背広に
ミッキーマウスのネクタイでいらしたので、これ幸いと“緑色”について質問することにした。
「単純に好きなんです。(生物学専攻なので)自然に関係があるのかと訊かれたりしますが、
好きなだけなんです。昔は緑を着たり着なかったりしていたんですけど、ある時研究室の
前で私を待っていた学生が、たまたま緑を着ていなかった私が前を通ったのに、
私に気付かないということがありましてね。それ以来、意識的に着るようにしました」

さらに、私は以前からの疑問をぶつけた。「先生、お住まいは武蔵野市緑町なんですね」
「あれは、前から住んでいたら、地名の方が緑町に変わったんです」

私が受けたのは教養の「自然科学概論」。内容は進化論を中心にした生物学史だった。
先生は東北大学農学部で作物育種学を専攻するも、大学院のころから「外れ始めて」
歴史に関心を移し、その後は生物学史、日本農学史などを研究テーマにしている。
雑談した時にも「日本史の中の忘れられた人物」についての話題になった。

まず、名前が挙がったのは幕末薩摩藩の小松帯刀である。西郷隆盛、大久保利通ら
薩摩藩の維新の功臣は軽輩の出身ばかりなのだが、小松だけが家老の家柄なのである。
「でも、明治三年に小松帯刀が若死すると、薩摩派は扇の要が外れたようになってしまう。
小松の影響は大きかったと思うんですが、その視点で書かれたものはありません」
そして次に話題は近衛文麿の息子でありながら、徴兵されて謎の死を遂げた近衛文隆へ。
「お父さんより傑物だったようです。生き残っていたらどうなっていたでしょうか」
こちらはその後、西木正明さんの『夢顔さんによろしく』(文春文庫)という力作が書かれた。

筑波先生は2001年3月に定年退職なさっている。今後の一層のご健康を祈りたい。

2006年8月14日追記
この夏話題になっている、いわゆる「富田メモ」の影響で筑波先生の名を聞くことになりました。
公開されたメモの中で「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司が~」
の「筑波」こと靖国神社の筑波藤麿宮司は、筑波先生のお父上なんですね。
筑波先生も「(筑波藤麿宮司)本人には(A戦犯を)祀る気はなかった」とコメントなさったようです。
(「文藝春秋」18年9月号 p118 秦郁彦氏の発言)
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by funatoku | 2005-01-13 21:12 | 一期一会 | Trackback | Comments(0)
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