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“新規参入”した頃の国鉄スワローズ


楽天イーグルスの三木谷浩史オーナーは15日に「拡張ドラフト」開催を要求したという。
聞き馴れない名前だが、要は既存球団に「選手を分けてくれ」ということらしい。
何十年も新規参入が無かったので、かつてどのような事例があったのか調べてみた。

国鉄スワローズが新規参入を正式表明したのは、昭和25年1月5日のことだった。
オーナーは国鉄の外郭団体・交通協力会の会長・三浦義男氏(のちの宮城県知事)。
監督には法政大学出身で、プロ野球の審判員を務めていた西垣徳雄氏が就任した。
西垣氏が旧知の加賀山之雄国鉄総裁に、球団設立を勧めたのが契機になったのである。
だが、選手集めは難航した。この年からセ・パ2リーグに分裂、他に6球団が新設されたため
とにかく選手不足。先行チームが既にアマチュアの有望選手との契約を完了していたのだ。

国鉄の加盟条件として、セ・リーグ既成球団が二人づつ選手を供出するという約束があった。
ところが、この約束は反故にされたのである。巨人は既に大洋、広島、西日本に
供出したばかりであり、阪神は毎日に主力をごっそり引き抜かれた直後であった。
同情の余地はあるものの、随分ひどい話である。梯子を外された気分だったのではないか。

いよいよ窮した国鉄は、日本各地の鉄道管理局のノンプロチームから主力選手をかき集め、
中央大学の高橋輝投手、専修大学の初岡栄治投手を、中退させて入団させたりもした。
結局、戦前の阪急に在籍した中村栄遊撃手を唯一のプロ経験者として春の開幕を迎えた。

しかし、10連敗を喫するなど余りの貧打ぶりに、西垣監督は球団に補強を要請する。
藤田宗一は戦前のノンプロ・川崎コロムビアのスター選手で、当時は監督を務めていた。
森谷良平は八幡製鉄を経て、23年秋に松竹ロビンスに入団。当時は二軍監督だった。
補強した二人は法政出身の強打者だったが、既に藤田35歳、森谷37歳の大ベテラン。
更に戦前の満鉄クラブ以来の現役復帰になる捕手の宇佐美一夫(36歳)を入団させた。
しかし、何とこの三人がそのままクリーンアップを打ったというから驚く。
藤田、森谷.288、宇佐美.284というシーズン打率は、当時としては悪くないのだ。
彼らがいなかったら、一体どういうことになっていたのか、想像すると恐ろしい。

で、楽天どころではない悲惨な出発をしたこのチーム、当然最下位を独走したと思うでしょ。
ところが、8月に高校を中退した金田正一が入団し、8球団中7位を確保したのである。
(参考文献:徳永喜男「ヤクルトスワローズ球団史」ベースボールマガジン社)
by funatoku | 2004-11-24 18:58 | ヤクルト・西武(プロ野球) | Trackback | Comments(0)


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